神崎与五郎と孝行井戸
神崎与五郎
 木像は、赤穂開城後江戸に出て、小豆屋善兵衛と名乗る町人に身をやつした与五郎が、吉良邸の門前に店を構え、火事と云っては屋根に登り、雨が漏る、風が吹くと云っては、屋根の上から吉良邸の中を見降ろして、敵情を探っていた苦心の姿である。(日展文展・入選 目下寛治作)(赤穂市大石神社蔵)
孝行井戸
 神崎与五郎は那波に役宅を与えられ、母と二人慎ましく暮らしていました。ある日、その母が目の不治の病にかかり、常に孝道に心掛けていた神崎与五郎は那波荒神山の國光稲荷社の籠堂に、毎日無心で祈願していました。そして七日目の夜更に突如、御神殿の内より、扉を押し開く音、すると若い美女が手に三光の玉をもってあらわれ、そのうしろに天童一人が稲穂を持ち出現し、玉光は月夜のごとくあたりを照らし 「大神は神崎与五郎の孝心を見て、天下台よりさし昇るご来光の光線を口に戴き、赤松の葉をかみしめ、井戸水で目を洗え、塩水をのませよ。されば苦悩去らん』とお告げがあり、早速、下山し、お告のごとく行うと、母の目の不治の病が治ったという伝説であります。
ならぬ堪忍するが堪忍