難波宮跡で見つかった5世紀前半の須恵器窯跡(大阪市博物館協会・大阪文化財研究所提供)
須恵器窯のイメージ図(大阪市博物館協会・大阪文化財研究所提供
大阪・難波宮跡で須恵器窯跡見つかる 大和王権の重要拠点?
産経新聞(2010.9.28 22:24)
 大阪市中央区の難波宮跡で、古墳時代中期(5世紀前半)の土器「須恵器(すえき)」を生産した窯跡(かまあと)2基が見つかり、市博物館協会・大阪文化財研究所が28日、発表した。当時の倭国(日本)を統治した大和王権がこの地域で須恵器を本格的に生産していたことが判明。同研究所は「窯跡周辺に、大量に須恵器を使用する重要施設があった可能性が高い」としている。
 見つかった窯跡はいずれも、長さ3.8メートル、幅1.4メートル前後で、地下にトンネルを掘る構造。窯の入り口で薪などを燃やし、窯の中に並べた土器を高温で焼く仕組みになっていた。
 須恵器は、5世紀初めに朝鮮半島から伝えられた硬質の土器で、今回の発掘現場から約20キロ南の堺市南部には国内最大の窯跡群「陶邑(すえむら)」が知られている。
 難波宮には、飛鳥時代(7世紀)と奈良時代(8世紀)に宮殿が築かれたが、古墳時代にも国内最大級の倉庫群が建てられるなど、大和王権の重要拠点になっていた。
 
  大阪文化財研究所は「大阪湾に近いこの地域は朝鮮半島や中国への交通の要衝で、水運などにかかわる王権直轄の重要施設があったのではないか」としている。  発掘現場はすでに埋め戻され、窯跡の写真や出土遺物は29日から大阪市中央区の大阪歴史博物館で展示される。