観音寺(加東市家原)
 「赤岸」。加東市家原にある観音寺周辺の土地
を、地元ではそう呼んできた。地名の由来は、と
聞けば、「赤穂義士」がなまったとも。
 播州赤穂と遠く離れた北播磨に、なぜ赤穂義士
? 実は旧加東、加西両郡には赤穂藩領が数多く
あり、加東には赤穂藩浅野家の分家、家原浅野家
の所領や陣屋もあった。
 観音寺は浅野家の祈願所で、本望建立は元禄12
(1699)年。赤穂藩
主・浅野揮監察が、江戸城松の廊下で、有名な刃傷事件を起こす2年前のことである。
 境内の白塀に囲まれた一角。大石内蔵助や大石主税、堀部安兵衛ら赤穂四十七士の墓標が、浅野内匠頭の石碑を取り囲む
ようにずらりと並び、朝の光を浴びていた。
 義士の墓は、江戸・泉岳寺、赤穂・花岳寺のものが有名だが、それらに比べると、こちらは知る人ぞ知る「忠臣蔵」ゆかりの地だろうか。
 ここに供養の墓碑ができたのは、江戸後期の弘
赤穂義士ゆかりの観音寺=加東市家原
化4(⊥847)年。赤
穂藩の断絶後も、加東で
旗本として存続した家原
浅野家の当主が、義士た
ちの⊥50回忌を記念し
建立した。
 吉良邸討ち入りのあっ
た12月14日には、毎年こ
の寺でも「赤穂義士祭」
が開かれ、住民らが四十
七士の冥福を祈る。
 追善法要に加え、甘酒
接待などもあり、地元の
保育園児らも招かれ墓参
する。刃傷事件を、江戸
から赤穂へ伝えた早かご
赤穂義士を住民ら供養
 ■メモ■l 旧社町時代の1999年
には町内で「忠臣蔵サミット」カヾ
開カヽれた。寺の南の市街地には、
家原浅野家の菩提寺善龍院も。カロ
東市観光協会0795・47・1304
 ■lアクセス■l 神姫ノマス社営業
所から西脇行きバスなどでカロ東市
民病院口下車。徒歩2分。
にちなんだ中学駅伝大会や、討ち入りにちなむ少
年剣士たちの剣道大会も恒例の行事だ。「こんな
時代だが、子どもらには『義の心』を伝えていき
たい」と地元の区長、門脇紀夫さん(70)。
 静かな境内で、こけむした墓碑に手を合わせ
た。倫理なき現代。信念を曲げず生きた男たちの
きすな絆や忍耐、情熱に思いをはせた。 (堀井正純)
 2010年0月30日付け神戸新聞