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孫に伝える小説忠臣蔵

第一章
【007回】赤穂浅野家の誕生(2)━築城で大野九郎兵衛登場

武家屋敷図

赤穂城の大手門・塩屋門・清水門をまかされたのは?
大手門は大石内蔵助、塩屋門は大野九郎兵衛、清水門は奥野将監

入浜式塩田の構造図
入浜式塩田を解剖
毛管現象を利用して、海面より上の地表に塩の結晶
01 満潮時に、@「伏樋」の栓を抜いて、海水をA「潮まわし」に入れる
02 A「潮まわし」の海水を干潮水面から1メートルに調整して、B「浜溝」に入れる
03 干潮時に、@「伏樋」の栓を抜いて、雨水・悪水を海に流す
04 はりめぐらされたB「浜溝」から、海水がC「塩田地盤」に浸透する
05 浸透した海水は、毛管現象を利用して上昇させ、引き浜されたD「撒砂」を湿らせる
06 太陽・風が海水で湿ったD「撒砂」を乾燥させて、塩の結晶を浮き出させる
07 こうして出来た塩の結晶が着いた砂をE「鹹砂」という
08 E「鹹砂」を浜寄せして、F「沼井」に入れ、台踏みする
09 G「沼井下穴」に残っH「たもんだれ」(2番水)とB「浜溝」の海水をF沼井に注ぐ
10 その結果、スノコ状のF「沼井」で砂と塩分を分離させる
11 分離したI「鹹水」は、G「沼井下穴」に滴下させる
12 G「沼井下穴」のI「鹹水」は、J「突き返し」に入れる
13 K「地場樋」を通して、L「鹹水溜」に送る
14 L「鹹水溜」のI「鹹水」は、M「はねつるべ」で、N「鹹水槽」に送る
Hもんだれ(最初のI「鹹水」を汲み上げた後、滲んで出てきた二番手のI「鹹水」)

写真:入浜式塩田の復元(赤穂海浜公園)
大野九郎兵衛は毛管現象を利用した入浜塩田を開発
大野九郎兵衛は藩札を発行して塩の生産と販売を独占
 @「伏樋」の栓を抜いて、海水をA「潮まわし」に入れる
 A「潮まわし」の海水をB「浜溝」に入れる
 毛管現象を利用して、海水をC「塩田地盤」に浸透させる
 湖南土井瑠「上の写真を見ると、入浜式塩田の構造がよく分かるだろう?」
 3人「ぜーんぜん」
 土井瑠「そうかな。まず、満潮時に@「の栓を抜いて、海水をABに入れる」
 蛍子「それなら分かります」
 土井瑠「Cの下の海水が毛管現象を利用して、海水面より上に浸透する。CABより高いのに湿っていることが分かるね」
 葉月「分かります」
 あこな「こうした現象が毛管現象というんですか。これなら人力を省けますね。すごい!!」
 土井瑠「そうなんだ」
 蛍子「つまり、毛管現象を利用した入浜塩田を開発したのが大野九郎兵衛なんですね」
 土井瑠「その通りなんだ」
 蛍子「それで、お殿様から褒められて、出世しのたですね」
 土井瑠「赤穂三代目の浅野長矩の時の1675年に、大野九郎兵衛は藩札の発行主張して、許可されているんだ」
 蛍子「それも塩田と関係があるんですか」
 土井瑠「藩札の発行で、浜男・浜子を賃金労働者としたんだ。その結果、協業生産という方式が確立し、赤穂藩は生産と販売を一手に握ることになるんだよ」

赤穂藩の幕府掌握高は5万3500石
塩田収入は3万5000石
実際の高は8万8500石
大野九郎兵衛の活躍→それが「ねたみ」を買った?

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