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宮城県(1)

寺坂吉右衛門の墓
「寛保二壬戌年 理海慈寶主」とあります
 「理海慈寶主」と刻まれている石が、吉右衛門の墓石と伝えらている。
 赤穂浪士の中で身分の低かった寺坂吉右衛門は、泉岳寺へ引揚げの途中、大石内蔵助より
瑶泉院(浅野長矩夫人)や芸州浅野本懐の報告の命を受け、一人同志と別かれた。
 一年後自首したが許されて佛門に入り、理海坊と名乗った。亡君や同志の菩提を弔うべく諸国
を巡り、晩年この地に錫を止め、手習師匠として余生を送ったと伝えられる。
 討入り後、四十年の寛保二(一七四二)年死亡した。
 遺品を整理してはじめて寺坂吉右衛門であったことを知り、かっての寺子百八十人の手により、
ねんごろに葬られたという(仙台市教育委員会の案内板より)。
実相寺
仙台市泉区市名坂字実相寺1

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