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中央区(1)

 現在の両国西詰めの京菜道路に面した辺り。
薬研堀の近くに義士の堀部弥兵衛一家が借店をし
て、弥兵衛の妾わか、娘きち、その小者徳兵衛等、
七〜八人で居住していた。使用人もアルバイトに出
て一族で生計を立てていたようである。
 元禄十五(一七〇二)年十二月十四日は、討入り
参加の全員がこの場所へ立ち寄り、酒を酌み交わし
た。
 堀部弥兵衛借店の前にある。
堀部弥兵衛借店跡 薬研堀不動院
中央区東日本橋2−16 中央区東日本橋2−6−8
   
 浅野長恒は大石頼母助(大石内蔵助の大叔父)の三男で母は浅野長直の長女(鶴姫)である。若狭野浅野家三千石を分知され、旗本寄合に列せられた。
 その後山田奉行になり、従五位下美濃守に任ぜられた。松之廊下事件後、遠慮を仰せつけられている。
 現在の富沢稲荷の辺りである。
 松之廊下事件後、伊助は富沢町辺に住み、布を切り売りして生計を立てていた。
浅野長恒屋敷跡 富沢町宅跡(前原伊助)
中央区日本橋浜町3−35 中央区日本橋富沢町4

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