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北 部 (矢野・若狭野方面)

    ハイキングコース          文化財見学コース



文化財の見学コース順

@瓜生羅漢石仏 → A大ムクノキ → Bコヤスノ木叢林 → C犬塚五輪塔 → 

D若狭野古墳 → E浅野陣屋跡



感状山城・三濃山ハイキングコース(所要時間約3時間40分)

1.感状山城登山口 → 2.感状山城跡 → 3.三濃山 → 4.研修センター駐車場









文化財見学コースのご紹介

@瓜生羅漢石仏
 羅漢石仏は岩窟の中に安置されており、釈y如来像を中心に脇侍として、文殊、普賢の両菩薩と16羅漢像が左右に並んでいます。由来は欽明天皇の時代、高句麗の僧である恵便、恵聡が後世衆生に石仏を刻んだといわれています。

A矢野の大ムクノキ
 この大ムクノキは、根回り4.8m、高さ約15mに達し、樹齢推定600年以上といわれ、昔この地に荒神社の森があって、その御神木として大切に保護されたため残ったといわれています。

B磐座神社のコヤスノ木叢林
 このコヤスノ木は、トベラ科の常緑低木で
 葉は長いだ円形で光沢があり、小枝の先に集まってついています。
 五月ごろ花が咲き秋には実をつけます。西播地方と岡山県東部に生育しています。

C犬塚五輪塔
 秦河勝の狩猟の際、大蛇に襲われそうになった公を助けた忠犬の供養塔といわれています。

D若狭野古墳
 7世紀ごろにつくられた方墳で横穴式石室、外護列石が現存しています。古墳からは壺、甕などの須恵器片、土師器片が出土しています。

E浅野陣屋跡
 初代領主は浅野長恒で、寛文13年(1672年)若狭野三千石を貰い分家しました。7代長発までほとんど江戸に居住し、万延元年(1860年)に若狭野陣屋に引き揚げて住居しました。陣屋建物は現在の若狭野須賀神社付近にあり、現在残されている建物は、元札座であった法界庵です。


感状山城・三濃山ハイキングコース
1 三濃山求福寺
 貞観6年(864年)秦内麻呂が祖先の秦河勝の遺跡を訪ね、この地に観音寺を建立したといわれており、また、弘法大師(空海)が矢野庄が霊地であると考え、堂宇を建立したのが始まりといわれています。その後、源義家の信仰によって大繁盛しましたが、保元平氏の乱によって諸堂宇を焼失し、現在は観音堂のみ残っています。

2 感状山城跡
 建武3年(1336)新田義貞の播州攻めの時に、赤松則祐がこの城にたてこもって戦功をたて、足利尊氏から感状をあたえられたので、以来、感状山城と呼ぶようになったといわれています。

 ━ MEMO ━