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南 部 (旭・相生・野瀬・鰯浜・坪根方面)



文化財の見学コース順

@大石良雄別邸跡 → A北坂地蔵 → Bヤブツバキ(通称 市五郎椿) → 

C野瀬古墳 → D鳴島万葉歌碑・山部赤人万葉歌碑 → E坪根古墳群




















文化財見学コースのご紹介

@大石良雄別邸跡
 大石良雄が、
備中松山城の城受け取りの功により、浅野内匠頭より相生村を私領として賜り、よくこの地に来遊したことから、大石さんの別邸といわれるようになったと伝えられています。

A北坂地蔵
 
天明7年(1787)の大凶作で相生村では、家打ちこわし騒動に発展しました。その張本人と目された九助が獄門にかけられ、その供養にと地蔵尊が建てられたのです。


Bヤブツバキ(通称 市五郎椿)
 ツバキ科の野生のヤブツバキ。
樹高約6メートル、幹周1.42m、樹齢約300年を超える相生市では最大の古木です。2月頃から4月頃にかけて赤い筒状の美しい五弁花を次々とつけます。


C野瀬古墳
 
野瀬古墳は6世紀後半に作られた横穴式石室をもつ古墳です。二つある古墳は、並列し、それぞれに主体部があるので、双円墳と考えられ、おそらく夫婦を葬ったものと思われます。


D鳴島万葉歌碑・山部赤人万葉歌碑
 「室の浦の湍門の崎なる鳴島の磯越す浪に濡れにけるかも」作者不詳、万葉集巻十二。「室の浦」は室津藻振鼻から金ヶ崎にかけての湾入です。「鳴島」は金ヶ崎眼下の君島、金ヶ崎と鳴島の間が「湍門」で、磯浪のしぶきに濡れる舟行旅愁の歌です。書は犬養孝博士。歌碑の立つ周辺には、約千本の各種の椿が茂っています。

山部赤人万葉歌碑
 「辛荷の島に過る時に山部宿彌赤人の作る歌一首併せて短歌」万葉集巻六。
相生湾口の東突端金ヶ崎を「万葉の岬」と呼びます。すぐ眼前の三つの小島が辛荷の島です。歌聖人麻呂と並んで万葉を代表する山部赤人の舟旅望郷の歌の舞台となっています。瀬戸内万葉の故地を一望におさめられます。 


E坪根古墳群
 
5世紀後半から6世紀代にかけ、つくられた30基あまりある古墳群です。いずれも板石を組み合わせた箱式石棺とよばれる形式です。この墓に葬られた人々は、海に深いかかわりのあったことが想像されます。


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