熟女のパソコン苦戦記(40)
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モーツァルトへの旅 (番外編) |
| ベートーベン | シューベルト | モーツアルト | ブラームス | シュトラウス |
| モーツアルトが大好きな夫とオーストリアへ旅をした。「サウンドオブミュージック」の舞台にもなったザルツブルグはモーツアルトが生まれた街である。その生家のすぐ近くに「カラヤン」の生家もあり、ビックリした。さて、モーツアルトが活躍したウィーンの街。ここにはモーツアルト一家の墓や有名な音楽家たちの眠る中央墓地があり、ツアコンさんに呆れられながらも半日かけて行ってきた。そのおかげで分かったことがある。 モーツアルトはハイドンと交友があり、彼の追悼式にはモーツアルトのレクイエムが演奏された。そのハイドンにベートーベンはピアノを教えてもらいピアニストとしてデビューする。ベートーベンは自作の曲やモーツアルトの曲を演奏してその名を広めた。30歳を過ぎて、モーツアルトの宿敵サリエリと交流し、その頃から体調が悪くなった。シューベルトはハイドンと同じく少年聖歌隊(現ウィーン少年合唱団)に所属し才能を現す。内気なシューベルトが最後に望んだのは、神のように尊敬していたベートーベンの横に眠る事であったという。そしてその願い通りにベートーベンの横にシューベルトの墓があり、その近くにモーツアルトの石碑やブラームスやヨハンシュトラウス等有名な音楽家たちの墓が並んでいた。 今まで音楽家の一人一人が点だったのが、同じ頃に同じ場所で個性をぶつけ合い、影響し合う事で後世に残る曲が出来たのかと大きな線として分かった事が大収穫だった。 それはさておき、旅の終りに夫がツアーの参加者(14人)に「普通は写真の交換をするのでしょうが、ホームページにアップしませんか?」と、提案した。「ツアーでよく旅行しても、そんな呼びかけは初めてだ!」と皆さん驚いた様子だった。帰宅して1週間程すると次々とメールや写真・スケッチの作品が送られて来て6月号にアップする事になった。ホームページをしているとこういう交流が出来るのだと楽しくなった。 (見たい人はここをクリック ⇒ オーストリアの旅) |