和泉式部石碑(若狭野町雨内)
(写真提供:赤穂朗史氏
 和泉式部は、ある事情で、自分の子小式部を捨てました。その後、上東門院のお供で書写山への参詣を終えた和泉式部は、若狭野の長者五郎大夫に頼んで一夜の宿をとりました。
 その時、五郎大夫の娘が綿を摘み揃えているのを見て、「その綿売るか」と尋ねました。五郎大夫の娘は「秋川の 瀬にすむ鮎の 腹にこそ うるかといえる わたはありけれ」と歌を詠んで答えを返しました。  和泉式部は、「あな子女がよく詠みたり」と褒めると、五郎大夫の娘は「 秋鹿の 母その柴を 折り敷きて 生みたる子こそ こめか(子女鹿)とはいえ」と歌を詠んで答えを返しました。
 こうして和泉式部は、捨て子した娘小式部と再会しました。
(相生市『相生市史』より)

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