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三本卒塔婆(矢野町能下)
 三本卒塔婆
 聖徳太子に重く用いられた秦河勝は、蘇我入鹿に憎まれ、赤穂坂越にのがれ住んだ。
 ある日失意の胸をなぐさめるために、相生の奥矢野で狩りをしたことある。
 奥矢野でも最も山深い箕覆山までやってきた河勝は、峯から谷間へ「えもの」追い落とそうと勢子を峯におき、自分は弓をにぎって谷底に頑張っていた。日頃かわいがっていた3匹の愛犬は、しきりにニオイをかぎながら、谷から谷へ走りまわっていたが、しばらくすると3匹そろって帰ってきてなにかを河勝に訴えるように激しくほえ始めた。狩りに夢中になっていた河勝は、犬がほえると「えもの」がにげると思い、静かにしないかと懸命に犬を制したが、犬はほえやむどころかますますほえて、とうとう河勝の両足にかみついた。怒った河勝は、刀を抜いて3匹の犬を切り殺してしまった。
 すると切れた犬の首は、そのまま空中をとんで向かいの山へ行った。
 不思議に思った河勝が、首のとんだ方をよく見ると、10メートル余りもある大きなへびが、河勝をねらってカマ首をもちあげており、犬の首はしっかりへびにくいついていた。
 はじめて犬のほえたわけを知った河勝は、涙を流して犬の霊にわびその忠義に感謝した。
 狩りを中止した河勝は、持っていた弓を3つに切って卒塔婆をつくりねんごろに葬ってやったという。   それからそこを三本卒塔婆と呼ぶようになった。

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