この事件は、相生町が被告となり10年間、3代の町長がかわったという長い間、法廷で争い、その事件内容も非常に複雑なものであった。
この問題の始まりは、磯際山の付近から相生港へ通じる松の浦一帯、17、357坪余の埋立て工事を相生町が計画。
大正11年(1922)11月7日付で、認可された。相生町は、この工事の請負人を決定して、同12年(1923)4月8日に起工したが、下請負人と請負人との間で工費の支払いについて紛争が起こり、ついに工事を中途にして中止することになってしまった。
ここで相生町は、再三にわたり催告したが、請負人と下請負人の聞の紛争が暴力沙汰にまでエスカレートし、ついに請負人達は逃避してしまった。
このために相生町も、同年7月8日に契約を解除してしまった。
この結果、下請負人は「不当利得金返還訴訟」を提起して、相生町を告訴した。
その後、昭和7年(1932)9月10日、控訴却下で相生町は敗訴となり、町の不動産全部と金庫等の動産の差押えをされて相生町は商事調停を申立て、昭和10年(1935)5月に成立、12万円を支払うことになり、同年8月に完済している。この間のことを記録された文書に「満10年は該訴訟のため苦しめられ町勢発展上少なからず禍された事は千載の遺憾とする処なり」と書かれている。 |