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兵乱━矢野荘
 大避山上の戦のあったところ
 東寺の百合文書によると正和4年(1315)土豪的な地頭職、寺田範家入道法念らの一族が連合して抗争している。
 つまり別名に数百人の輩卒が、同年10月28日、29日の両日に打入り、殺害、刃傷、放火などの狼籍の上年貢米や金銭まで盗む仕末をしでかしている。その後、別名内是藤名名主実長の文書や、兵庫五郎申状等によると、悪党法念らの反抗で、数度の合戦が下土井村の大避山上で行なわれ、名主、百姓が東寺側に協力し、建武2年(1335)に戦いは、東寺側の勝利に帰し、法念は姿を消してしまったと書かれている。

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