home back next

日中戦争と太平洋戦争
相生市那波野にある日露戦争の戦没者の碑
西南の役から日露戦争までの従軍記念碑
相生市那波野にある第二次大戦死者の碑



 昭和に入り、昭和6年(1931)9月から満州事変、上海事変、支那事変と戦火が拡大し、相生市でも多くの人が従軍したが、そのうち61名の尊い魂が奪われている。
 以来、在郷軍人の召集も相続き、昭和16年(1941)12月8日に太平洋戦争に突入することになった。この戦いは、非常に激しいものであり、前線では704人が戦死したといわれている。
 昭和20年(1945)5月には、「相生市国民義勇隊」が発足し、全市民一丸となって臨戦態勢をとることとなった。
 同年7月28日午前7時10分、ついに相生市の上空を艦載機グラマンが乱舞し、再度にわたり播磨造船所を爆撃し、死者39人と多数の負傷者を出したと「播磨造船所五十年史」に記録されている。
 この敵機が、相生上空を旋回中に鶴亀で婦人1人が機銃掃射で胸部貫通銃創で即死をするという痛ましい犠牲者もでた。

home back next