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昭和時代の相生
 相生市中心部の写真(小赤地より眺む)
 昭和14年(1939)4月1日には隣接那波町を合併し、播磨造船所が支那事変および太平洋戦争の影響を受けて急激に活況を呈したために、人口もにわかに増加し、昭和17年(1942)10月1日には兵庫県下で9番目の市として相生市が誕生するにいたった。
 昭和26年(1951)8月10日隣接の揖保郡揖保川町に属していた那波野を相生市に編入し、ついで昭和29年(1954)8月1日には、町村合併促進法の施行にともない、隣接の赤穂郡若狭野、矢野両村を合併し相生市に編入し現在に至っている。
 ここ相生市は、古来より内海随一の天然の良港であるため、大正12年(1923)8月、内務省指定重要港にくみ入れられ、さらに港湾発展にともない、昭和13年(1938)1月、港の区域を拡大し相生湾一円が指定重要港湾となった。
 近代的な港湾を持ち、そこには日本有数の石川島播磨重工業株式会社を有し、山陽新幹線の開通とともに陸海交通がきわめて便利になったため主要造船工業、商港としてはもちろん、他の工業・水産業・港湾施設・都市計画と着々と新興都市の偉業を治める段階にあり、将来の相生市の発展は期して待つべきものがある。

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