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藩政当時の相生━新田開発
 検地帳表紙(田中脩治氏蔵)
 検地帳内容(田中脩治氏蔵)
 新田の開発も江戸時代にすすんだのは言うまでもないことであるが、この那波5力村も新田開発が行なわれ、だれがどのように開発してきたのかは定かではないが、新田検地帳によってその努力の一端をみよう。
 寛文2年(1662)那波村新田検地帳によれば、4町1反28歩の田地と、3畝20歩の畑が記載され、仁兵衛以下32人に登録されている。
 寛文13年(1673)の那波村検地帳によれば、苧谷川下流域の浜新田は、上中下田合わせて5町5反8畝25歩、筆数280、三郎右衛門以下83人に登録されている。
 同じく那波村は浦から随分離れた北部、東後明村境の字梨城谷方面へ進出し、宝永3年(1706)の地図には、那波出村としてあるが、寛文13年(1673)検地帳によれば、この地域は上田・上畑がかなり多く田1町4反3畝19歩、畑1町5畝3歩が記載され、筆数118、作治衛門以下10人が登録されている。

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