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教育施設の整備
 旧相生小学校(大正9年建築)
 明治33年「小学校令」が改正され授業料が廃止されるとともに、小学校教育に対しての社会的認識も高まってきたので、就学率はたいへんよくなってきた。また、尋常小学校に高等小学校を併設するようになったので生徒数は著しく増加してきた。このような状況から明治30年代は、市内の各小学校とも校舎の新築、増築をたびたび施行していった。
 更に相生村には、明治40年漁村の発展策として、「播磨船渠株式会社」を誘致した。造船所はその後幾多苦難の道を歩んだが、第一次世界大戦がはじまってからは、好景気となりどんどん大きくなっていった。造船所の発展とあわせて相生村、那波村は人家がだんだんとふえ、特に会社の社宅が藪谷地区・那波南地区にたくさん建築されていった。このような状況から相生村・那波村の人口は著しく増加し、教育施設もつぎつぎと増改築がおこなわれていった。

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