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那波小学校
 那波尋常高等小学校平面図(那波村字大谷)
 明治15年、那波村字古宮に建築した学校も、生徒数の増加のため、明治35年、那波村字大谷(現在地)に新築した。
 校舎設計は、尋常小学校として設計され、普通教室のほかに、雨中体操場と裁縫室を持つことになった。ところが組合立鶴亀小学校の解散にせまられたため、雨中体操場と裁縫室はそのまま高等科が普通教室として使用することとした。
 明治39年、年々増加していく生徒数と高等科併設にともなう普通教室の増築もあって、校地拡張校舎増築を決議し、同年12月落成した。
 当時、雨中体操場や裁縫室などの特別教室を持った学校はなく、そのうえ運動場周囲に木柵の寄付をうけ、一層整備された学校となった。
 このように学校は整備されたが生徒数の増加は著しく、明治39年444人の生徒数が大正10年には787人となった。このような状況から、大正12年北校舎二階建6教室を増築した。
 造船所の活況とともに生徒数は更に増加していったので、昭和14年山校舎6教室、昭和19年には南二階建校舎10教室を増築して1500人余の生徒を収容した。

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