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若狭野小学校
 旧若狭野小学校
 明治7年、若狭野町野々村字亀之元に新築した校舎は、明治10年、八洞小学校と改称した。その後、学務委員(明治12年設置)の努力によって就学率もよくなり、校舎が不足したので民家を借りて勉強していた。
 明治15年5月、若狭野町八洞村字梶へ校舎新築を決め着手したが、同年8月5日、暴風雨で崩壊した。その後、学校位置の異議をとなえる地区などがあって建築は難行したが明治16年3月ようやく落成した。
 明治35年校舎改築、鶴亀高等小学校の解散もあって高等小学校を併置したので、若狭野尋常高等小学校と改称した。
 明治40年、小学校令の改正があり尋常科が6ケ年となった。そして義務教育も6ケ年に延長された。このような状況から生徒数も急に増加してきたので、明治41年に裏校舎一棟を増築した。
 整備されたこの校舎は、その後、生徒数の増加も少なかったので、昭和26年の改築まで使用された。 昭和3年、二階建の公会堂が建設され、婦人会・青年団・消防団等各種の集会に利用、文化活動に大きな役割を果した。
 昭和26年の改築校舎も、生徒数の増加と設備の充実から、昭和43年、鉄筋三階建の近代的な学校が建設された。

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