home back next

兵庫県立相生産業高等学校
相生高等女学校(相生市役所那波出張所跡)
相生高等学校
 昭和17年、相生町・那波町が合併して相生市が誕生した。これを機会に相生高等女学校の設立を希望する市民の声にこたえて、この認可申請を提出するとともに設立陳情が強く進められた。
 この市民の願いがかない昭和18年2月、兵庫県相生高等女学校設立が文部大臣より認可された。市としては、直ちに設立委員会をつくるとともに、県立中学教諭12名に委嘱して入学生徒の選抜を実施した。昭和十八年四月、相生市役所那波出張所を改造して、階上2教室、階下1教室、校長室、事務室をつくりこれを校舎として開校された。
 仮校舎で不自由な校舎であったが、昭和20年12月、相生市相生340番地の播磨造船所工員寮を改造して移転した。
 昭和23年、相生市立相生水産学校の廃校により生徒45人を収容した。昭和24年、相生市立相生高等学校となり、相生市教育委員会の管理下となった。そして高等学校の校区が決められ、相生高等学校は相生市及び若狭野村、矢野村を学区と決定した。
 人口四万たらずの相生市として、市立高校を維持していくことは財政的にたいへんなことであった。特に、昭和30年頃には市の財政困窮はその極に達し、ついに財政再建団体の指定を受けた。このような事態のため市立高等学校の県立移管の陳情となり、昭和34年、兵庫県立相生工業高等学校と合併し、兵庫県立相生産業高等学校と校名を変更した。
 兵庫県立相生産業高等学校は、相生市立造船工業学校、兵庫県立造船工業学校を経て誕生した。  昭和18年、相生高等女学校の設立に成功した相生市は、続いて男子の中等学校として、中堅造船技術員の養成の必要を訴え、造船工業学校設立申請を提出した。昭和19年2月、相生市那波丘の台に相生市立相生造船工業学校の設立が認可された。昭和19年創立、開校式は相生国民学校において挙行された。
 昭和20年4月、県営移管となり、兵庫県立相生造船工業学校と改称して、同年12月校地を相生市千尋町10番地に移転した。
 昭和23年、学制改革により兵庫県立相生工業高等学校と改称された。昭和27年、定時制課程が新設、昭和31年を第1期とし、昭和34年の第3期工事を以て施設の整備を行い、相生市立高等学校と合併して兵庫県立相生産業高等学校となった。

home back next