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小河観音寺
小河観音の内陣
 十一面観世音を安置、禅宗花岳寺に属している。保元年間(1156〜1158)有年黒沢山光明寺の僧行安が一堂を建てたが、元弘の兵火で焼けた。後、行安の後裔が再建し、赤穂藩主浅野長直によって堂宇を拡大した。現存のものは、安永2年(1773)の再建である。
 眼病に霊験があるので、今日でも7年目ごとに盛大な開帳を行っている。俗に、「小河観音は開帳が早くくるので、ネンマに来る」といわれて、人々からも信仰されている。
 明治維新後、前記の二真宗寺院の他に、天明3年(1783)創建の鰯浜願船寺が、明治11年光明寺から分かれて独立寺となった。
 その後播磨造船所(石川島播磨)の隆盛とともに、各地からの人口の流入によって、新しい寺が建てられた。
 昭和3年、那波大島に、真言宗の一寺が建立されて、昭和23年、大島山善光寺として、寺号公称を許可されている。
 続いて昭和5年には、旭に日光尼によって、日蓮宗法華山立正寺が開基され、昭和28年寺号を公称した。
 また、真宗寺院として、昭和24年、陸に光照寺が建てられ、昭和30年、旭の現地に移転したのである。 その他、天理教・メソジスト・カトリック・PL教団などがあって、それぞれ教化につとめている。

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