home back next

相生市郷土史年表
  ○神崎郡福本・神戸市西舞子・姫路市辻井では縄文式土器が出土している。
  ○千種川流域の盆地に弥生式時代の人々が住みついた。
 相生市若狭野(野々・八洞・下土井〉
 出土器=石鏃・石槍・石錐・石剣・石斧・石庖丁・サヌカイト
 弥生式土器(つぼ・かめ・たかつき・こしきなど)
  ○大和国家の勢力圏に入る。
  ○村がだんだん大きくなる。
  ○郷土の豪族各地に古墳を築く−220以上.
 那波野古墳・陸古墳
  ○若狭野付近に条里制のあとがある。
713   ○播磨風土記ができた。
○この頃奏内麻呂が矢野三濃山に観音堂を建てたといわれる(峯相記)
○赤松氏が白旗城を築いたといわれる。
1104 ○海老名家季が相模から移ってきて那波大島に城を築いた(海老名家系譜)
1156 ○平清盛播磨守となる。
1312 ○この頃那波市行なわれ銭納はじまる。
1333 ○赤松円心則村護良親王の令旨を奉じて兵を挙げた。
1334 ○新田義貞播磨守となる。
1441 ○赤松満祐、将軍義政を殺して嘉吉の乱がおこった。
○この頃市内の古城ができる
 光明山城・下土井城・感状山城・矢野山城・那波城・大島城
○この頃よりこの地方に真宗がひろがった。
1592 ○豊臣秀吉朝鮮征伐のため瀬戸内の国々から水夫を集めた。
1609 ○赤穂郡検地高3万1550石8斗9升8合、村数118
1645 ○浅野長直領となる。
長直 長友(赤穂5万石)長矩
長賢(加東郡家原3千5百石)
長恒(若狭野3千石)
赤穂城が築かれた
赤穂塩田が開かれた
藩札が発行された
鶴亀や東有年の宿場がさかえた
鷹取峠がひらかれた
1677 ○室津と相生浦・那波浦山海境目争論があった。
1699 ○光明山をめぐって揖西郡関係村々と出入がおこった。
1709 ○那波村と相生村が山のことで争った





赤穂藩領 (那波・相生・陸・佐方・池之内)
広島藩分家 (野々・入野・東後明・西後明・上松・八洞・寺田・出・福井・若狭野・雨内)
幕府領 (榊・三木・真広・上土井・寺田)
尼ケ崎藩領 (瓜生・上・森・中野・金坂・釜出・下田・下土井・寺田)
安志藩領 (菅谷・下頃・能下・三濃山)
丸亀藩領 (野瀬の一部)
竜野藩領 (野瀬の一部)
1756 ○佐方村と高野村山論おこる。
1767 ○相生村大火3百余軒焼失。
1787 ○飢饉おこり村中騒動(天明の飢饒)
1817 ○那波浦千尋田前赤地山辺に塩田開発のため石垣きづく。
1847 ○相生村山裾開発で佐方村と出入がおこった。
  ○赤穂郡幕末の教育施設藩学1、私塾4、寺小屋31。
1869 ○各藩主は藩知事となる(赤穂藩、森忠儀)
1871 ○赤穂藩が赤穂県と改められ同年飾磨県に合併。
1873 ○各村に小学校がおかれた。相生には要道・遂終などの学校ができた。
1876 ○兵庫県に合併された。相生港の一部を埋立、相生小学校が建てられた。
1885 ○明治天皇が中国地方御巡幸の帰途若狭野で御小休になった。
1887 ○相生村漁業組合結成。
1891 ○那波郵便局が開設された。
1907 ○播磨船梁株式会社が創設された。
1913 ○相生町制実施。
1917 ○播磨造船附属籔谷病院ができた。
1931 ○那波町制実施。
1933 ○相生大洪水(鶴亀の入鹿渕の堤防切れる)
1939 ○相生・那波合併。相生上水道完成。
1942 ○相生市制実施。
1946 ○農地改革。
1947 〇六三制学制改革がおこなわれた。
1954 ○相生市が矢野・若狭野を合併した。相生電報電話局が新築された。
1962 ○相生市庁舎ができる。
1972 ○山陽新幹線の開通。

home back next