1611(慶長16)年発行(第007号)
浅野長政さん、死去
関ヶ原以降 | ||||
1601年ー長政さんの三男坊である長重(14歳)さんは下野国真岡2万石を与えられました。 1602年ー長重(15歳)さんは徳川家康さんの養女(松平家清さんの娘)と結婚しました。 1606年ー浅野長政さんは隠居料として常陸国真壁・筑波両郡のうち内5万石を与えられました。 1609年ー長政さんは近江神崎郡内5000石を増加され、5万5000石となりました。 1610年ー家康さんの9男義直(歳)さんが浅野幸長さんの娘さんと結婚しました。家康さんの政略 結婚政策が、まだまだ続行中ということです。 1611年 4月7日ー長政(67歳)さんが江戸にて死去しました。 そのため、長男の幸長さん(35歳)が和歌山の遺産37万6000石を相続しました。 また、三男の長重さん(24歳)が長政さんに隠居料として与えられていた常陸真壁(茨城県水戸 市の西方)の遺産5万石を相続しました。 |
長政さんは、すぐれた民政家として旧領甲斐・播磨の庶民に慕われ、また囲碁に長じ、しばしば家康さんと盤上の争いを楽しんでいました。家康さんは長政さんの死を聞き、しばらく囲碁の遊びを絶つと言っております。 |