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1666(寛文6)年10月3日発行(第014号)

忠臣蔵新聞

そんな山鹿素行さんが、
赤穂とどんな関係があるの?

スーパースターが赤穂築城に協力

徳川家光さん 徳川家綱さん
由井正雪さん 保科正之さん
 30歳の時、将軍家光さんが死亡したのをきっかけに、由井正雪さんが事件を起こしました。家綱さんが4代将軍となり、おじさんの保科正之さんが、将軍を補佐しました。正之さんは、吉良義央さんの義兄上杉綱勝(義央さんの奥さんのお兄さん)さんの先妻のお父さんでもあります。正之さんは、由井正雪さんの事件を反省して、文治政治(特に朱子学により統治)に力をいれます。
 31歳の時、赤穂藩祖浅野長直さん(歳)の招きで、江戸屋敷で藩士に兵学を教えています。素行さんの禄は1000石で、ちなみに赤穂家老大石家の録は1500石ですから、厚遇であったことがわかります。
 32歳の8月に、素行さんは江戸を出て、9月に赤穂に着きました。赤穂にわずか7カ月滞在していますが、この間二の丸廓虎口の縄張りをしています。『山鹿素行先生日記』によれば、「大守縄張二廓虎口、招僕談之、大守自臨其地、…僕取間縄改直之…」とある。
 39歳の時、赤穂藩での致仕(就職)を辞退しています。赤穂藩に勤めた期間は7年10カ月にわたっています。

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