1666(寛文6)年10月3日発行(第015号)
素行さん、幕府を批判して
赤穂に流罪
45歳の時、『聖教要録』により幕府の御用学問である
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聖教要録 |
専門研究班
素行さんの『聖教要録』とは何か44歳の時、『聖教要録』(1665年)を発表しました。そこで、素行さんは「世間(現実の社会) と学問(朱子学の理想)とは別の事に成候」(『配所残筆』)と指摘し、世間一般の儒者は「口に 聖教を唱へて、其の志す所は顔子(孔子の弟子)が楽(たのしむ)処、曾点(曾子の父)が気象」 (『聖教要録』)となっている。つまり、幕府つまり保科正之さんの採用している朱子学は、今や 「中国の、しかも書物の上の知識をふるまわすのみで、日用事物の上に役立っていない」と批判 し、自分の教え(聖学)こそ朱子学に代って封建的支配者に奉仕する御用学問であると主張し たのでした。これに激怒したのが正之さん、以前から快く思っていなかったのが素行さんの軍学 の先生で大目付である北条氏長さん。二人が共謀して、素行さんの流罪を決めたと言われてい ます。 |
参考資料 新人物往来社『図録日本史の人物2000』 堀勇雄『山鹿素行』(吉川弘文館の人物叢書) 岩波書店『山鹿素行』(日本思想史体系) 廣山尭道編『播州赤穂の城と町』(雄山閣出版)など 『世界人物逸話大事典』(角川書店) |