1652年発行(第024号)
長直さん、赤穂着任の謎
未だ不明
浅野長直さん |
お城を造るための転勤か | ||||
塩の増産が目的ならば、立派の城を造る必要はないというべきか。 平尾孤城さんの言う「姫路岡山の両雄藩が聯携して策謀する」を防ぐという説も根拠が薄い。 池田輝政の孫と浅野長政の孫に対する「幕府の扱いの違い」の根拠が重要である。 | ||||
どのたか、ご意見を! | ||||
長直さん、勤務先の大坂より直接赤穂へ(7月) | ||||
その結果「赤穂郡三万五千二百石、 加西郡の内八千九百二十石八斗余、 加東郡之内八千二百一石九斗余、 佐用郡の内千二百十二石二斗、 都合五万三千五百石余、 外に新田及び塩浜五千石計」を与えられました。 | ||||
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有名な「鉢植えの大名」(越前松平氏の場合) | ||||
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参考資料 八木哲浩監修『赤穂市史第二巻』(赤穂市) 廣山尭道編『播州赤穂の城と町』(雄山閣) 岡田順一『新田の歴史一先人の遺産』 赤穂民俗研究会『赤穂の民俗その六一塩屋編』(赤穂市教育委員会) 廣山尭道編『赤穂塩業史』(赤穂市役所) 松岡秀夫編『ふるさとの思い出写真集一赤穂』(国書刊行会) 赤穂市立歴史博物館編『常設展示図録』(赤穂市立歴史博物館) 太田能寿「浅野長直公転封の動機」(『義士魂』第十九号) |