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1652年発行(第023号)

忠臣蔵新聞

新城築造に好意的な
幕府の意図は

知恵伊豆(松平信綱)の出した転勤命令は非常に好意的
「赤穂は土地柄もよく、その上浅野本家に近い。
また、赤穂は5万石としての城が無いから
普請をしたければ、幕府の許可を得なさい」

浅野長直さん 赤穂城(大手門と隅櫓)
長政さんの赤穂着任に、3つの説あり
その1
幕府の事情という説(『赤穂塩業史』)
 幕府と関東諸領の軍用塩を供給していた下総行徳塩田が地理的条件のために衰退してきたので、食塩確保のために浅野家を赤穂に派遣したというのです。
その2
武家諸法度違反による左遷説(『義士魂』第十九号)
 長直さん造った佐白山麓の下屋敷は世間では新城といい、これは幕府が制定した一国一城令に違反しているし、幕府の許可を受けるという武家諸法度にも違反しているという説です。
その3
 幕府は1645年6月13日に、老中阿部重次さん、同阿部忠秋さん、同松平信綱(知恵伊豆で有名な人です)さんの連名で浅野長直さんに宛てて次のような転勤命令書を出しています。
 原文は、以下の通りです。
 浅野長直さんの赤穂転勤を命ずる。赤穂は土地柄もよく、その上浅野本家の近くでもある。また、赤穂は5万石としての城が無いから普請をしたければ、幕府の許可を得なさいという、好意的な内容である。 

史料
 其方儀播州赤穂江所替被仰付候、然者赤穂之儀所柄能候故、…其上松平安芸守近国之事ニ候間…赤穂之儀唯今迄者屋鋪構計雖有之候、少々城地程之構能所候間、以来普請仕度候者、得上意可申付旨候事
参考資料
八木哲浩監修『赤穂市史第二巻』(赤穂市)
廣山尭道編『播州赤穂の城と町』(雄山閣)
岡田順一『新田の歴史一先人の遺産』
赤穂民俗研究会『赤穂の民俗その六一塩屋編』(赤穂市教育委員会)
廣山尭道編『赤穂塩業史』(赤穂市役所)
松岡秀夫編『ふるさとの思い出写真集一赤穂』(国書刊行会)
赤穂市立歴史博物館編『常設展示図録』(赤穂市立歴史博物館)
太田能寿「浅野長直公転封の動機」(『義士魂』第十九号)

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