元禄14年3月14日
(第076号)
伝奏屋敷での動きをリポート
(3月14日)
内匠頭さんの後任を決定
親族を利用して事務引継
伝奏屋敷跡
御馳走役の後任は佐倉藩主の戸田忠真さん
内匠頭さんの従兄弟戸田氏定さんに何を命じたか
浅野内匠頭長矩さんは田村建顕さんに預けられ、伝奏屋敷の御馳走役には佐倉藩主戸田
忠真さんが命じられました。
目付鈴木利雄さんと曽根長賢さんを伝奏屋敷に派遣して、内匠頭さんの家来の騒動を静め
ました。また親類の戸田氏定さんにも同じ事を命じました。
史料原文
(前略)長矩は田村右京大夫建顕にあづけられ館伴をば戸田能登守忠真にかへ命ぜらる、
かくて目付鈴木源五右衛門利雄・(曽根)五郎兵衛長賢をば伝奏邸につかはされ長矩が家人
の騒擾を静めしめらる、親縁戸田采女正氏定も同じ事奉りてまかる(後略)
出典
「常憲院殿御実紀」(赤穂市発行『忠臣蔵第三巻』)
老中土屋政直さんが戸田氏定さんに指示
「内匠頭さんの家臣が騒がないように」
「親族一同は遠慮するように」
3月14日内匠頭さんと上野介さんが喧嘩した時、江戸城において当番老中の土屋政直さん
が「伝奏屋敷において内匠頭さんの家来が騒動しないように」と戸田氏定さんらに言われまし
た。
目付の鈴木さんと曽根さん、それに徒歩目付4〜5人が伝奏屋敷へ行った所、御馳走役に
は佐倉藩主の戸田忠真さんが命令されました。
忌み懸かり(喪に服するように定められた)の親族は遠慮するように言われました。私(戸田
氏定)共も遠慮して伝奏屋敷から帰宅しました。
史料原文
一 右三月十四日内匠頭殿・上野介殿喧
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之刻於御城御当番(老中)土屋相模守(政直)様
被 仰渡候は伝奏御馳走場内匠頭殿家頼相静め申様にと此方様江被 仰渡御越(略)御
目付鈴木源五右衛門(利雄)殿・曽根五郎兵衛(長賢)殿御徒目付四五人伝奏江御越之
処、御馳走之御役(下総佐倉藩主)戸田能登守(忠真)様江被 仰付(略)忌懸りの御一族
方ハ御遠慮被 仰出此方様も御遠慮にて伝奏より御帰(略)
出典
「大垣藩戸田氏播州赤穂一巻覚書」(赤穂市発行『忠臣蔵第三巻』)
凡例
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−外字(口へんに花の字)