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元禄15(1702)年11月5日(第176号)

忠臣蔵新聞

江戸下向32人の現住所を極秘入手
47人全員の現住所を改めて紹介

赤穂弁を喋る人が同室に多数の不思議
幕府や世間の人の風評は?

磯貝さん 勝田さん 神崎さん 横川さん
木村さん 倉橋さん 片岡さん
11月5日(東京本社発)
江戸入り32人の現住所(敬称略)
一部に集中的に居住
石町3丁目小山屋弥兵衛方裏(大石内蔵助・主税・潮田又之丞・近松勘六
  早水藤左衛門・菅谷半之丞・三村次郎左衛門・大石瀬左衛門・小野寺十内)
芝源助町(磯貝十郎左衛門・茅野和助)
南八丁堀湊町(片岡源五右衛門・大高源五・矢頭右衛門七)
八丁堀湊町平野屋(貝賀弥左衛門)
新麹町6丁目(吉田忠左衛門・沢右衛門、寺坂吉右衛門、原惣右衛門)
新麹町4丁目(千馬三郎兵衛、中村勘助、岡島八十右衛門、間瀬孫太夫
  ・久太夫、小野寺幸右衛門)
本所相生町2丁目(神崎与五郎)
本所相生町3丁目(岡野金右衛門)
本所徳右衛門町1丁目(勝田新左衛門)
本所林町5丁目(木村岡右衛門、倉橋伝助、横川勘平)
新地町6丁目(不破数右衛門)
 江戸入りの32人は一部に集中的に居住していることがわかります。
江戸中が注目する安兵衛さんの所へ
赤穂弁の3人がやってきた
 ●江戸藩邸勤務の堀部安兵衛さんは江戸の人気者で、その動向は幕府も庶民も把握していた
と思われる。そこへ江戸入りの木村さん、倉橋さん、横川さんがやって来ればどうなるだろうか。
 世間の風評が立ったことは間違いないだろう。
 このような組み合わせはもう二組ある。武林唯七さん・杉野十平次さんの所へ勝田さんが
やってくる。前原伊助さんの所へ神崎さんがやってくる。
住所 元赤穂浪士 / ()内は変名
日本橋石町3丁目
小山屋弥兵衛裏店
大石主税(垣見左内)
大石内蔵助(垣見五郎兵衛)
若党2人
小野寺十内(仙北十庵)
早水藤左衛門
菅谷半之丞
潮田又之丞(深田斧右衛門)
近松勘六(森清助)
家来1人
麹町5丁目
大屋喜左衛門表店
吉田忠左衛門(田口一真)
原惣右衛門(和田元信)
吉田澤右衛門(田口佐助)
不破数右衛門(松井仁太夫)
寺坂吉右衛門
麹町4丁目
和泉屋五郎兵衛店
中村勘助(山彦嘉兵衛)
間瀬久太夫(三橋浄貞)
間瀬孫九郎
岡嶋八十右衛門(郡武八郎)
岡野金右衛門(岡野九十郎)
小野寺幸右衛門(仙北又助)
日雇小童1人
麹町4丁目裏町
大屋七郎右衛門店
千馬三郎兵衛(原三助)
間喜兵衛(杣庄十次郎)
間十次郎
中田理平次(中田藤内)
間新六(関新六)
麹町5丁目
秋田屋権右衛門店
富森助右衛門(山本七左衛門)
同妻子ともに
 
芝通町浜松町
檜物屋惣兵衛店
赤埴源蔵(高畠源之右衛門) 矢田五郎右衛門(塙武助)
南八丁堀一本所 村松喜兵衛(柿垣隆園)  
深川黒部町
春米屋清右衛門
奥田貞右衛門(西村丹下)
奥田孫太夫(西村清右衛門)
 
芝 源助町 磯貝十郎左衛門(内藤十郎左衛門
下人1人)
村松三太夫
茅野和助(富田源吾)
本所三ツ目林町
平野屋十左衛門
→南八丁堀湊町
片岡源五右衛門(吉岡勝兵衛)
貝賀弥左衛門
大高源吾(脇屋新兵衛)
矢頭右衛門七
田中貞四郎(田中玄回)
本所林町5丁目
紀伊国屋店
堀部安兵衛(長江長左衛門)
毛利小平太(大原武右衛門)
横川勘平
木村岡右衛門(石田左膳)
小山田庄左衛門
中田清右衛門
鈴木十八
日雇打合家来1人
本所三ツ目林町
(徳右衛門町)
紀伊国屋店
杉野十平次(杉野九一右衛門)
勝田新左衛門
武林唯七(渡辺七郎左衛門)
本所二ツ目林町
相生町3丁目
前原伊助(米屋五兵衛) 神崎与五郎(小豆屋善兵衛)

参考資料:

「忠臣蔵のことが面白いほどわかる本」(山本博文)

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