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(1702年9月1日〜9月24日)
元禄15年(1702)
9月1日
 幕府は下野鳥山藩主永井伊賀守直敬に3000石を加増し赤穂への転封を決定する。その内訳は赤穂郡44ヵ村2万776石2斗、加西郡7ヵ村、その他摂津など19ヵ村9223石7斗の計70ヵ村3万3000石である。(3万3000石)。

9月2日

 吉田沢右衛門・間瀬孫九郎・不破数右衛門・岡野金右衛門・武林唯七・毛利小平太が第二陣として江戸に到着する。

9月5日
 大高源五は母へ長文の暇乞い状(主君の憤りを晴らすことこそ武士の本意である)を送る。

 杉浦作右衛門・梶半左衛門・田中序右衛門・田中代右衛門・近松貞六らが脱盟する。

 岡野金右衛門包従が病死する。

9月8日
 下野鳥山藩主永井伊賀守直敬が赤穂に転封する報が龍野に届く。

9月9日
 老中からの永井伊賀守転封の報が赤穂代官に届く(引渡しは11月3、4日)。

 千馬三郎兵衛・間十次郎・矢頭右衛門七・田中理平次らが江戸に到着する。

9月17日
 井口忠兵衛・井口庄太夫が脱盟する。

9月19日
 嶺善右衛門が脱盟する。

 江戸の同志を安堵させるために大石主税は大石内蔵助に先行し江戸下向の途に就く。間瀬久太夫(62歳)・大石瀬左衛門・小野寺幸右衛門・茅野和助・足軽の矢野伊助らが同行する。

9月20日
 木村岡右衛門が江戸に到着する。

9月24日
 大石主税の一行は大石内蔵助に代わり江戸に先着する。

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