| (1702年10月1日〜10月4日) |
| 元禄15年(1702) 10月1日 |
| 佐々小左衛門が脱盟する。 大石内蔵助は石束源五兵衛・同宇左衛門に暇乞い状を送る(妻りくへの正式な離縁状)。その内容は 「少々考えもあり、近日田舎へ行き、しばらく逗留するつもりである。妻を今のままの状態にしておくのも 申し訳ないので、このたびお返し致します」というものである。 このころ、吉良邸の図(新・古2枚)を入手する。何度も吉良邸周辺を現地調査する。 これにまつわるエピソードに次のような話がある。@前原伊助・神崎与五郎は「火事だ」ときくと、物干し 台へ登る。雨が降ると、雨もりを修理すると言って屋根に登るA 毛利小平太は吉良の家老に手紙を持 参する者の中間として吉良邸を探るA磯貝十郎左衛門は吉良邸出入りの女を誘惑する。 |
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| 10月4日 |
| 大石瀬左衛門が江戸へ到着する。 |