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(1702年10月7〜21日)
元禄15年(1702)
10月7日
 広島から派遣された津田某が内蔵助の動きを阻もうとするが、内蔵助はこれを無視する。

 大石内蔵助は江戸からの書状を一手に引き受けた伏見の本陣大塚屋小右衛門にも別れを告げる。

 内蔵助は、潮田又之丞・近松勘六・早水藤左衛門・菅谷半之丞・三村次郎左衛門らを従え京都を発って武蔵国平間村へ向かう。

 早水藤左衛門は兄山口弥右衛門に暇乞い状(「忠義の志を進めることは孝の道に欠けるが、父の教えに従って武を守ってきたの。だから忠義を尽くさずして、外に何を志というべきか」)を送る。

10月15日
 幕府は、赤穂の城地を永井直敬に交付するために、書院番・斎藤左源太利紀を赤穂に派遣する。

10月17日
 原惣右衛門・岡島八十右衛門・貝賀弥左衛門・間喜兵衛が江戸に到着する。

10月19日
 浅野家京都屋敷留守居役の小野寺十内が江戸に到着する。大石内蔵助の江戸下向の準備をさせるために、内蔵助の家来瀬尾孫左衛門を同行させる。

10月20日
 大石主税らは日本橋石町三丁目の小山屋弥兵衛方の奥座敷に入る。この時、主税は「江州浪人垣見(かけひ)左内で、訴訟のため江戸に参った」と説明している。

10月21日
 江戸より来た吉田忠左衛門・冨森助右衛門・中村勘助・瀬尾孫左衛門らは川崎在平間村に赴き大石内蔵助の宿を見分する。この宿の持ち主軽部五兵衛(浅野家出入りの馬糧調達の百姓)は冨森とは懇意で、改易後一時東側の空き地に一軒家を建てて冨森に貸していたことがある。

 大石内蔵助一行が鎌倉・雪ノ下大石陣屋の宿に泊まり、出迎えの吉田忠左衛門らと会談する。この東下りの時、内蔵助が日野家用人垣見五郎兵衛と出会ったという話はフィクションである。

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