home back next

(1702年10月22日〜10月30日)
元禄15年(1702)
10月22日
 吉田忠左衛門・瀬尾孫左衛門が大石内蔵助と鎌倉にて会談する。

10月25日
 大石内蔵助一行は鎌倉を発って川崎へ向かう。金川宿で冨森助右衛門・中村勘助が出迎える。

10月26日
 大石内蔵助一行は川崎在平間村の軽部五兵衛の屋敷に宿泊する。借り主は瀬尾で、内蔵助こと垣見五郎兵衛はその客分として宿泊する。

 この時の内蔵助の支給内訳は次の通りである。東下りの路銀と旅籠料が銭2貫80文、諸道具の調達代金が4両と銭350文、吉田忠左衛門への3月以来の江戸滞留費が20両2歩銀6匁9分1厘である。

 この頃、大石主税は、江戸日本橋石町と内蔵助の仮寓を往復する。

10月30日
 中村清右衛門・鈴田重八が江戸に到着する。

この月
 大石内蔵助の二男吉千代(のちの吉之進)が但馬城崎郡竹野村須谷の円通寺にて出家し、祖錬元快と改称する。

下旬
 平間村に滞在中、討入り心得書「覚」(10カ条)を作り、第一の訓令をだす。
 それは次のような内容である。@平間村から命令を出すA討ち入りの時の衣装を決めるB武器は得意な物を使うC諸事油断無く心がけるD仇が個人で討てるようでも抜け駆けはしないE吉良上野介殿の所在が確認されるまで討ち入りを待つF会合には気をつけるG目的はト一(上の字を分解するとトと一になる。上野介のこと)・左之助父子を討ち取ることである。但し混在しているので1人も出ないように門を三つ固めるH相手が100人程なので、1人で2〜3人を倒す覚悟になるI神文誓約を確認する。

home back next