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エピソード

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戦勝から降伏へT(帝国国策遂行要領)
 第1次大戦後、世界の超大国になったアメリカは、第2次大戦では日本の真珠湾攻撃までは無傷でした。中国戦線で疲労困憊の日本軍が、待ち構えているアメリカ軍に戦争を仕掛けるなど、現在の常識から見て、理解できません。
 陸軍はドイツを模範として、ドイツ語が必修で英語を教えなかった。そのためドイツ派が多かったといいます。ファシズム国家であっても、同盟ドイツを頼りにアメリカと力の交渉を獲得すべきだと主張しました。
 逆に海軍はイギリスを模範として、英語は必修でアメリカ駐在の経験者が主流だったといいます。日中戦争のために米英と戦争するのは「暴虎馮河」(虎を素手で打ち黄河を徒歩で渡ることで、 命知らずのことをすること)であると言われていました。
 圧倒的に数の多い陸軍に海軍が反対するとクーデータになりかねないので、「内乱より戦争を選んだほうが、国家の統一が保てる」と考えて、日米参戦には反対しなかったといいます。海軍にしてみれば、日本軍の得意な一撃作戦で、緒戦は勝利する。その有利な状況を活かして陸軍や外交で決着を付けてくれると考えたのかもしれません。
 これが大東亜に八絋一宇を建設しようとする皇軍の実態だったのです。
 1939(昭和14)年8月、山本五十六中将は、連合艦隊司令長官に任命されて、作戦部隊の最高責任者となりました。山本長官は、航空戦力が発達し、資源の乏しい日本の戦略として、先手必勝以外に勝ち目は考えていました。三国同盟にも反対だし、アメリカとの戦争にも避戦論者でしたが、万一に備えて、連合艦隊司令長官として、対米戦争の想定はしていました。
 1940(昭和15)年9月、近衛文麿首相は、連合艦隊司令長官の山本五十六大将に、「日米戦が始まったら海軍の見通しはどうか」と尋ねると、山本司令長官は「半年や一年は暴れてご覧にいれますが、二年三年と長引けばまったく確信はもてません」と応えました。
 山本長官の説明の背景には、石油貯蔵量から算出した数字でした。
 1941年の日本の石油貯蔵量は4270万バレルだったので、2年分の軍艦・飛行機の備蓄でした。
 1942年の消費量は2555万バレル、1943年の消費量は2811万バレルで、合計すると5366万バレルで、計算よりたくさん消費しています。それを補うのが、蘭印からの石油です。大東亜共栄圏という空虚で美しい言葉を使う意味がここにあるのです。
@蘭印からの石油輸入量をみると、戦争を継続できる量が確保されていないことが瞭然です。
A鉄鋼生産高をみても6倍から10倍の差があります。
Bを見ると空母と航空機数だけは開戦時では上回っています。この数字に全てをかけたのでしょうか。
@蘭印からの石油輸入量(万バレル) A鉄鋼生産高(万トン) B1941年12月(*艦載機)
  1938年 1941年 航空機数 空母数
1941 1942 1943 1944 1945 日本 489 418 日本 2625 8(*459)
105.2 827.4 1455.5 703.8 76.1 米国 3200 8300 米国 1692 6(*490)
C日本の石油・石油製品の輸入先(%)
  アメリカ 蘭領東インド 北樺太 英領ボルネオ その他
1935年 59.2 19.7 4.0 4.8 12.3
1939年 74.0 12.9 3.3 9.9
D日本における石油と石油製品の供給量(1000キロリットル)
  1935 1936 1937 1938 1939 1940 1941 1942 1943
製品輸入量 2824 2570 3329 3329 1516 1580 663 58 144
輸入原油量 1332 1676 2326 1976 1745 2292 694 559 980
国内原油量 358 397 401 401 383 346 316 270 281
合計 4541 4643 6056 5703 3644 4218 1673 887 1405
 1941(昭和16)年1月7日、連合艦隊司令長官の山本五十六大将は、アメリカでの生活体験も踏まえ、海相の及川古志郎大将に手紙を出し、「ハワイ方面に対して敵の来攻を待てば、敵は一挙に日本本土を急襲する。その前にハワイの真珠湾を急襲する」と書いています。
 1月末、山本長官は、大西滝治郎少将にハワイの基礎的研究を命じました。同時に、ハワイ作戦を中央の作戦計画のなかに採用するよう軍令部に要望しました。
 7月18日、@39第3次近衛文麿内閣が誕生しました。陸相は東条英機、海相は及川古志郎らが就任しました。近衛内閣は日米交渉の継続方針を決定しました。
 8月7日、連合艦隊司令部と軍令部との会議がありました。艦隊司令部からは主席参謀の黒島亀人大佐、軍令部からは第一部長の福留繁少将と第一課長の富岡定俊大佐が出席しました。軍令部は反対しましたが、黒島参謀は「南方作戦を成功させるためにも、アメリカ艦隊主力を奇襲する必要がある」と説得しました。しかし、「投機的である」とする軍令部を納得させることは出来ませんでした。
 同じ連合艦隊の中でも、第1航空艦隊司令長官の南雲忠一中将は「作戦実施に自信がもてない」、南方航空作戦担当で第11航空艦隊司令長官の塚原二四三中将は「用兵上の見地から不適切である」とハワイ作戦の中止を申し入れました。
 9月6日、御前会議は、「帝国国策遂行要領」を決定しました。その内容は、以下の通りです。
(1)帝国は自存自衛を全ふする為対米(英蘭)戦争を辞せざる決意の下に概ね十月下旬を目途とし戦争準備を完整す
 9月24日、日本軍は真珠湾を5水域に分けて艦船の停泊状況などの情報を収集していました。
 この他、ホノルル総領事付森村書記生として、予備役で軍令部第3部嘱託の吉川猛夫少尉も情報活動に従事しました。
 10月18日、木戸幸一内大臣(53歳)は、好戦的な陸軍部内の統制を得られる人物として、「9月6日の御前会議決定の白紙還元」を条件に、東条英機陸相(57歳)を首相に推挙しました。
 10月18日、@40東条英機内閣が誕生しました。
 10月19日、そこで、黒島参謀は、軍令部次長の伊藤整一少将に直談判し、「山本長官はこの案が受け入れられなければ、連合艦隊司令長官の職を辞退すると申している」と恫喝しました。伊藤次長から連絡を受けた永野修身軍令部総長は、「山本長官がそこまで自信があるのなら、責任をもって実行できるようにする」と承諾しました。
 10月24日、山本長官は、及川海相の後任である嶋田海相に「航空兵力によってアメリカ太平洋艦隊の本営であるハワイに斬りこみ、アメリカ海軍をして物心ともに当分の間立ち上がれないよう痛撃を加えるほかなしと考えるにいった」と手紙を出しています。ここでも日本の一撃作戦が顔をだしています。
 EとFを見ると、1941年が差があっても、日米の差が一番接近しています。
E1941年段階の日米海軍艦艇数の比較(%は対米比率)
戦艦 航空母艦 重巡洋艦 軽巡洋艦 駆逐艦 潜水艦
日本 10隻(56%) 10隻(94%) 18隻(93%) 20隻(62%) 112隻(69%) 65隻(84%)
アメリカ 17隻 8隻 18隻 19隻 172隻 111隻
F主要物資生産高比較(日本の生産高を1とした場合のアメリカの指数)
石炭 石油 鉄鉱石 銑鉄 鉄鋼 計(平均)
1929年 16.1 501.2 416.8 38.9 25.0 12.4 208.0 166.6
1938年 7.2 485.9 37.5 7.3 4.5 5.3 31.3 60.5
1941年 9.3 527.9 74.0 11.9 12.1 10.7 27.4 77.9
1944年 13.8 956.3 26.5 15.9 13.8 11.3 11.6 118.3
 11月5日、東条内閣は、昭和天皇御内意により、、武力発動の決意を一旦白紙に戻して再度、検討しましたが、白紙撤回ならず、「帝国国策遂行要領」を決定し、「対米交渉が12月1日午前零時までに成立した場合は武力発動を中止する」ことを条件に作戦準備を完整することになりました。これを12月初旬武力発動の決意といいます。陸軍は、この帝国国策遂行要領に基づいて、「対米英蘭戦争指導要綱」を決定しました。
 その内容は、以下の通りです(『戦略・戦術でわかる太平洋戦争』より)。
(1)対米英蘭戦争の目的は、帝国の自存自衛を全うすることにある
(2)戦争は先制奇襲によって開始し、迅速な作戦によって米英蘭の根拠地を攻略し、重要資源地域と主要交通線を確保して長期自給自足の態勢を整える。この間あらゆる手段を講じて米海軍を誘い出し、これを撃滅する
(3)米国世論を刺激してその海軍主力を極東に誘致し、また米国の極東政策の反省を促し、かつ日米戦争が無意味だという世論を激成する
(4)東亜諸民族に対しては、東亜の白人からの解放と大東亜共栄圏の建設を呼びかける
(5)外交戦ではドイツを対米参戦させ、対ソ戦争の生気は避ける
(6)戦争終結方略=蒋政権の屈服を促進し、独伊と提携して英国を屈服させ、米国の継戦意思を喪失させる
 *解説(戦争の目的は自存自衛、先制奇襲攻撃で重要資源を確保、独伊と提携して英を屈服させ米の戦争意欲を喪失させる→よくぞこれほど身勝手な史料が残っていたものです。感心しました!!)
 この項は、『近代日本総合年表』などを参考にしました。
「帝国国策遂行要領」とは?
 1941年9月6日、御前会議で決定した帝国国策遂行要領の原文です。
帝国は現下の急迫せる情勢特に米英蘭等各国の執れる対日攻勢ソ聯の情勢及帝国国力の弾撥性 等に鑑み『情勢の推移に伴ふ帝国国策要綱』中南方に対する施策を左記に依り遂行す。
一、帝国は自存自衛を全ふする為対米(英蘭)戦争を辞せざる決意の下に概ね 十月下旬を目途とし戦争準備を完整す
二、帝国は右に竝行して米、英に対し外交の手段を尽して帝国の要求貫徹に努 む
 対米(英)交渉に於て帝国の達成すべき最少限度の要求事項竝に之に関聯し 帝国の約諾し得る限度は別紙の如し
三、前号外交交渉に依り十月上旬頃に至るも尚我要求を貫徹し得る目途なき場 合に於ては直ちに対米(英蘭)開戦を決意す
対南方以外の施策は既定国策の基き之を行ひ特に米ソの対日連合戦線を結成 せしめさるに勉む
  別紙
第一、対米(英)交渉に於て帝国の達成すべき最少限度の要求事項
 一、米英は帝国の支那事変処理に容喙し又は之を妨害せざること。…
 二、米英は極東に於て帝国の国防を脅威するが如き行動に出ざること。…
 三、米英は帝国の所要物資獲得に協力すること。…」

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