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エピソード

301_01

現代の日本X(2002年〜2004年、拉致問題)
 ここでは2002年から2004年を扱います。
 北朝鮮による拉致問題を検証します。
 2002(平成14)年1月15日、UFJ銀行が誕生しました。
 1月23日、雪印で牛肉偽装事件が発覚しました。
 4月1日、みずほ銀行、みずほコーポレート銀行が誕生しましたが、コンピュータ=トラブルが多発しました。
 4月1日、DV防止法が全面施行されました。
 4月1日、学習指導要領の見直しが図られ、完全週休五日制のゆとり教育がスタートしました。
 5月8日、中国の日本領事館敷地内で、北朝鮮亡命者5人を中国の武装警察官が拘束しました。
 5月20日、東ティモールが主権国家として独立。21世紀初の独立国誕生。
 8月5日、住民基本台帳ネットワークが開始されました。
 8月6日、日本ハムで牛肉偽装事件が発覚しました。
 8月29日、東京電力が原発の損傷を隠蔽しました。
 9月17日、小泉純一郎首相は、北朝鮮を訪問しました。北朝鮮の金正日総書記は、日本人拉致問題を公式に認めました。
 10月15日、北朝鮮に拉致された日本人5人が帰国しました。
 12月1日、東北新幹線の盛岡駅〜八戸駅間が延長開業しました。
 12月1日、埼京線の恵比寿駅〜大崎駅間が延長開業しました。大崎駅で東京臨海高速鉄道りんかい線と相互直通乗り入れを開始しました。
 12月1日、東京臨海高速鉄道りんかい線の天王洲アイル駅〜大崎駅間が開業しました。大崎駅で埼京線と相互直通乗り入れを開始しました。
 12月1日、IGRいわて銀河鉄道、青い森鉄道開業。
 12月14日、H-IIAロケット4号機が打ち上げられる。
 2003(平成15)年3月19日、営団半蔵門線の水天宮前駅〜押上駅間が開通しました。東急田園都市線〜東武伊勢崎線・東武日光線の相互直通運転が開始されました。
 3月30日、高松自動車道が全線開通しました。
 4月1日、郵政事業庁が日本郵政公社に移されました。
 4月1日、さいたま市が政令指定都市に移行しました。
 6月6日、戦後はじめて有事法制が成立しました。
 6月6日、韓国の盧武鉉大統領は、国賓として来日し、天皇と会見しました。
 7月7日、能登空港が開港しました。
 7月26日、イラク特措法が成立しました。
 8月10日、沖縄に戦後初の鉄道沖縄都市モノレールが開通し、これをゆいレールといいました。
 9月26日、自由党が野党第1党の民主党へ合流し、新たに民主党となりました。
 10月1日、東海道新幹線の東京駅〜新横浜駅間に品川駅が開業しました。
 10月10日、衆議院が解散されました。これをマニフェスト解散といいます。
 10月19日、スティルインラブは、桜花賞・オークス・秋華賞で勝利し、17年ぶり史上2頭目の牝馬三冠を達成しました。
 11月1日、大阪河内長野で家族殺傷事件が発生しました。交際していた少年と少女がお互いの両親を殺害しようと計画して少年が実行し、3人が死傷しました。
 11月9日、@43回衆議院議員総選挙が行われ、定数は480人で、自民党237人、民主党177人、公明党34人、共産党9人、社民党6人、保守新党4人、無所属の会1人、自連1人、無所属11人が当選し、投票率は59.86%でした。与党3党は、絶対安定多数を確保しました。民主党は、議席を大幅に伸ばしましたが、政権獲得には届きませんでした。社会民主党の土井たか子は、小選挙区で落選し、比例区で復活しました。
 11月29日、地方銀行上位行の足利銀行は、特別危機管理銀行の認定を受け経営破綻しました。
 11月30日、イラクで、外務省の奥克彦(在英大使館参事官)と井ノ上正盛(在イラク大使館3等書記官)は、襲撃を受け死亡しました。これは、イラク戦争の初の日本人犠牲者です。
 12月1日、地上デジタルTV放送は東京・大阪・名古屋で放送開始されました。
 12月13日、名古屋市営地下鉄4号線の砂田橋駅〜名古屋大学駅間が開業しました。
 2004(平成16)年1月1日、明治生命は、安田生命と合併し、明治安田生命と改称しました。
 1月12日、山口県の養鶏場で、日本国内では79年ぶりとなる鳥インフルエンザが発生しました。
 1月19日、自衛隊のイラク派遣が開始され、陸上自衛隊先遣隊がイラク国内に入りました。これは、初めての陸上自衛隊の戦闘地域への派遣です。
 2月8日、自衛隊イラク派遣の陸上自衛隊本隊第一陣がイラクのサマワに入りました。
 2月27日、オウム真理教の麻原被告は、一審で死刑判決を受けました。
 3月13日、九州新幹線の新八代駅〜鹿児島中央駅間が開業しました。
 3月17日、東京地裁は、田中真紀子元外相の長女のプライバシーを侵害したとして、週刊文春に対して出版差し止めの仮処分を命令しました。
 3月24日、中国人活動家が尖閣諸島に上陸し、沖縄県警が中国人活動家を逮捕しました。
 3月31日、札幌市交通局は、市営バスから撤退し、路線を民間バス事業者に完全移譲しました。
 4月1日、日本航空は、日本エアシステムと完全に経営統合しました。
 4月1日、特殊法人の帝都高速度交通営団(営団地下鉄)が民営化され、東京地下鉄株式会社(東京メトロ)になりました。
 4月1日、新東京国際空港公団が民営化され、成田国際空港株式会社になりました。
 4月1日、消費税の内税表示が義務化されました。
 4月28日、年金改革関連法案が与党の賛成多数で可決されました。
 4月、政治家の年金未納問題が相次いで発覚しました。
 5月10日、皇太子の徳仁親王は、記者会見で「人格否定発言」を行いました。
 5月22日、2回目の日朝首脳会談が平壌で行われ、拉致被害者の家族5人が帰国しました。
 7月1日、紀伊山地の霊場と参詣道などがユネスコの世界遺産に登録されました。
 7月7日、警視庁は、1995年に起きた警察庁長官狙撃事件の容疑者として警視庁小杉敏行元巡査長と元オウム真理教幹部の2人を殺人未遂容疑で逮捕しました。
 7月11日、第20回参議院議員通常選挙が行われ、改選定数が121人で、民主党50人、自民党49人、公明党11人、共産党4人、社民党2人、無所属5人が当選し、投票率は56.57%でした。民主党は改選第1党になりました。
 7月16日、性同一性障害特例法が施行されました。
 7月21日、韓国の盧武鉉大統領は、小泉純一郎首相と済州島で会談しました。
 7月28日、警視庁は、警察庁長官狙撃事件の容疑者として逮捕した2人を証拠不十分で不起訴処分とし、釈放しました。
 7月30日、参議院の扇千景は、女性初の参議院議長に就任しました。
 8月9日、福井県三方郡美浜町の関西電力美浜原子力発電所で、蒸気漏れ事故が発生しました。
 8月13日、沖縄県宜野湾市の沖縄国際大学で、米軍普天間基地のヘリコプターが墜落しました。
 8月22日、駒澤大学附属苫小牧高等学校は、北海道勢として史上初の高校野球大会優勝を飾りました。
 9月17日、日本プロ野球選手会は、プロ野球史上初の土日のストライキを決行しました。
 9月27日、小泉純一郎首相は、内閣を改造しました。総務相に麻生太郎、外相に川口順子、財務相に谷垣禎一、国土交通相に石原伸晃、環境相に小池百合子、内閣官房長に官福田康夫、国家公安委員会委員長に小野清子、経済財政政策担当大臣に竹中平蔵らが就任しました。
 10月20日、台風23号が上陸し、全国で死者・行方不明者が98人、その内、兵庫県内では死者23人をだしました。
 11月1日、新紙幣が発行され、1万円札は福沢諭吉、5千円札は樋口一葉、千円札は野口英世が選ばれました。
 11月1日、改正道路交通法が施行され、運転中の携帯電話使用が罰則対象になりました。
 11月19日、@88第二次小泉純一郎内閣が誕生しました。総務相に麻生太郎、外相に川口順子、財務相に谷垣禎一、国土交通相に石原伸晃、環境相に小池百合子、内閣官房長に細田博之、国家公安委員会委員長に小野清子、経済財政政策担当大臣に竹中平蔵らが就任しました。
 12月17日、小泉純一郎首相は、鹿児島県指宿市で、盧武鉉韓国大統領と会見しました。
 12月27日、台湾の李登輝前総統が来日しました。
 この項は、『近代日本総合年表』・『昭和・平成現代史年表』などを参考にしました。
拉致問題
 拉致問題は、1977年から発生しました。そして、政府が拉致を認めたのが1997年でした。20年間も経っています。
 横田めぐみさんの両親や蓮池薫さんの弟さん、増元るみこさんのお父さん、有本恵子さんの家族などの血の出るような努力の賜です。
 事実は理解できたのですが、なぜ北朝鮮が日本人を拉致する必要があったのでしょうか。その部分の解明が未だのようです。私なりに、考えたいと思います。未完です。
(1)1977年9月19日、東京都三鷹市役所の久米裕(52歳)さんは、石川県宇出津海岸付近で失踪しました。北朝鮮工作員から「45歳から50歳位の日本人独身男性を探せ」との指示を受けた在日朝鮮人は知り合いの男性を海岸に連れ出し、工作船で迎えに来た別の北朝鮮工作員に引き渡しました。
(2)1977年11月15日、新潟県女子中学生の横田めぐみ(13歳)さんは、新潟県新潟市で下校途中に失踪しました。父の横田滋さんは、1932年生まれですから、私より10歳年長で、74歳です。母の横田早紀江さんは、1936年生まれですから、70歳です。両親は娘の生存を信じて、活動してきました。親は強しです。私も多分子供や孫が同じ状態になれば、身命を賭して、探し出すでしょう。
(3)1978年6月頃、東京の飲食店員である田口八重子(22歳)さんが失踪しました。彼女は、後に大韓航空機事故を起こした金賢姫に日本の文化や日本語を教えた李恩恵とされています。
(4)1978年7月7日、福井県小浜の大工見習いである地村保志(23歳)さんと被服店店員である濱本富貴惠(23歳)さんは、福井県小浜市で失踪しました。2人は、1979年に結婚し、2002年に帰国し、2004年娘1人・息子2人も帰国しました。
(5)元ラーメン店の店員である田中実(28歳)さんは、兵庫県神戸市で失踪しました。北朝鮮の工作員から指示を受けたラーメン店の店主は、田中さんをウィーン経由で北朝鮮に送り込みました。
(6)1978年7月31日、中央大学法学部の学生である蓮池薫20歳)さんと化粧品会社社員である奥土祐木子(22歳)さんは、新潟県柏崎市で失踪しました。2人は、1980年に結婚し、2002年に帰国し、2004年息子1人・娘1人も帰国しました。
(7)1978年8月12日、電電公社の職員である市川修一(23歳)さんと鹿児島の事務員である増元るみ子(24歳)さんは、鹿児島県の吹上浜キャンプ場で失踪しました。北朝鮮の報告では、2人は、1979年に結婚し、市川さんは海水浴場で心臓麻痺により死亡し、1981年に増元さんは、心臓麻痺で死亡したとなっています。北朝鮮の安明進元工作員は、「何回も2人を見た」と証言しています。
(8)1978年8月12日、佐渡の准看護師である曽我ひとみ(19歳)さんと母の曽我ミヨシ(46歳)さんは、新潟県真野町へ買い物に出かけた帰り道に佐渡で、母子共に失踪しました。曽我さんは、 1980年に元米兵のジェンキンズさんと結婚し、2002年に帰国し、2004年夫ジェンキンズさんと娘2人も帰国しました。北朝鮮は、母の曽我ミヨシさんについては、「曽我ひとみ一人を受け取った」と主張しています。
(9)1980年6月頃、京都外国語大学の学生である松木薫(26歳)さんは、スペインで失踪しました。松木さんは、よど号ハイジャック事件の犯人グループにより拉致されてといわれています。北朝鮮の報告では、松木さんは、1996年に自動車事故で死亡したとなっています。
(10)1980年6月頃、日本大学の学生である石岡亨(22歳)さんは、スペインで失踪しました。石岡さんは、よど号ハイジャック事件の犯人グループにより拉致されてといわれています。北朝鮮の報告では、石岡さんは、1985年に有本恵子と結婚し、1988年にガス中毒で一家全員が死亡し、1995年に遺体が洪水で流失したと主張しています。
(11)1983年7月頃、神戸市外国語大学の学生である有本恵子(23歳)さんは、欧州で失踪しました。2002年、東京地裁で、よど号ハイジャック事件の柴田泰弘の妻である八尾恵は、「私が有本恵子を騙して北朝鮮に連れていきました」と証言しています。
 2002年9月17日、小泉純一郎首相は、北朝鮮を訪問して金正日と会談し、日朝平壌宣言を発表しました。無償資金協力・低金利の長期借款供与・人道主義的支援等の経済協力などを引き出した北朝鮮は、日本人13人を拉致したことを認め、口頭で謝罪しました。犯人は、一部の英雄主義者・冒険主義者とし、北朝鮮政府の関与を否定しました。5人の帰国を認めました。
 次は、日朝平壌宣言です。
 「両首脳は、日朝間の不幸な過去を清算し、懸案事項を解決し、実りある政治、経済、文化的関係を樹立することが、双方の基本利益に合致するとともに、地域の平和と安定に大きく寄与するものとなるとの共通の認識を確認した。
1.双方は、この宣言に示された精神及び基本原則に従い、国交正常化を早期に実現させるため、あらゆる努力を傾注することとし、そのために2002年10月中に日朝国交正常化交渉を再開することとした。
 双方は、相互の信頼関係に基づき、国交正常化の実現に至る過程においても、日朝間に存在する諸問題に誠意をもって取り組む強い決意を表明した。
2.日本側は、過去の植民地支配によって、朝鮮の人々に多大の損害と苦痛を与えたという歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明した。
 双方は、日本側が朝鮮民主主義人民共和国側に対して、国交正常化の後、双方が適切と考える期間にわたり、無償資金協力、低金利の長期借款供与及び国際機関を通じた人道主義的支援等の経済協力を実施し、また、民間経済活動を支援する見地から国際協力銀行等による融資、信用供与等が実施されることが、この宣言の精神に合致するとの基本認識の下、国交正常化交渉において、経済協力の具体的な規模と内容を誠実に協議することとした。
 双方は、国交正常化を実現するにあたっては、1945年8月15日以前に生じた事由に基づく両国及びその国民のすべての財産及び請求権を相互に放棄するとの基本原則に従い、国交正常化交渉においてこれを具体的に協議することとした。
 双方は、在日朝鮮人の地位に関する問題及び文化財の問題については、国交正常化交渉において誠実に協議することとした。
3.双方は、国際法を遵守し、互いの安全を脅かす行動をとらないことを確認した。また、日本国民の生命と安全にかかわる懸案問題については、朝鮮民主主義人民共和国側は、日朝が不正常な関係にある中で生じたこのような遺憾な問題が今後再び生じることがないよう適切な措置をとることを確認した。
4.双方は、北東アジア地域の平和と安定を維持、強化するため、互いに協力していくことを確認した。
 双方は、この地域の関係各国の間に、相互の信頼に基づく協力関係が構築されることの重要性を確認するとともに、この地域の関係国間の関係が正常化されるにつれ、地域の信頼醸成を図るための枠組みを整備していくことが重要であるとの認識を一にした。
 双方は、朝鮮半島の核問題の包括的な解決のため、関連するすべての国際的合意を遵守することを確認した。また、双方は、核問題及びミサイル問題を含む安全保障上の諸問題に関し、関係諸国間の対話を促進し、問題解決を図ることの必要性を確認した。
 朝鮮民主主義人民共和国側は、この宣言の精神に従い、ミサイル発射のモラトリアムを2003年以降も更に延長していく意向を表明した」。
 どうして、失踪が拉致に変わって言ったのでしょうか。
 1880年、公明党は、拉致に関する質問をしましたが、政府は、「拉致が確認できない」と答弁をしています。
 1988年、日本共産党は、福井・新潟・鹿児島のアベック拉致容疑事案と辛光洙事件に関する質問をしましたが、梶山静六国家公安委員長は、「北朝鮮による拉致の疑いが濃厚である」と答弁し、警察庁も初めて「北朝鮮による拉致の疑いがある」と答弁しました。
 1997年5月1日、自民党の吉川芳男は、参議院決算委員会で、次のような質問をしました。政府が正式に拉致を認め、マスメディアも取り上げるようになりました。
○吉川芳男君 次に、横田めぐみさんに象徴される日本人拉致事件についてお尋ねいたします。
 今から二十年前の昭和五十二年、一九七七年十一月十五日の放課後、新潟市立寄居中学校の一年生でありました横田めぐみさんがクラブ活動のバドミントンの練習の後、クラブの同級生女子二人と六時三十五分ごろ学校の正門を出て、一人は正門を出てすぐ別れ、いま一人と学校から約二百メートル海岸寄りの新潟大学教育学部附属小・中学校の十字路で別れたまま消息を絶ったという事件であります。
 その日の午後十時ごろ、母親の早紀江さんから新潟中央署に通報がありまして、中央署では警察犬も投入して大がかりな捜索を行い、また県警本部の機動隊、近隣の警察署も応援して広範囲にわたる海岸線の捜索を行い、新潟海上保安部による海からの捜索も行われたわけでございますが、めぐみさんの行方は杏としてわからないままでありました。
 ところが、最近になってわかったことは、韓国に亡命した元北の工作員安明進氏の証言によりますと、安氏が金正日政治軍事大学の二年生であった一九八八年十月十日、朝鮮労働党創立記念行事の準備会議の際、教員、職員の席の一角に、一見して日本人とわかる六、七人のグループがいたので、不審に思って丁という担当教官に尋ねると、あのうちの一人の女性は七〇年代半ばにおれが新潟から拉致してきた、日本へ三人で特殊任務に行き、帰りに新潟の海岸で迎えを待っているときに、顔を見られたので通報されるかもしれないと思って誘拐したと打ち明けられたとのことです。この女性は、年齢二十歳半ばで身長約百六十センチ、紺色のスーツ、白のブラウス姿、おかっぱ髪にふっくらとした顔つきだったということであります。
 めぐみさんの両親である横田御夫妻は、本年三月、この亡命工作員に会うためにソウルに行き、直接、安氏から証言を得ておられます。この模様は、五月号の文芸春秋に手記として掲載されておるわけでございます。
 そういうことを思うとき、これはどうも政府の発表は全く国民の期待感をそぐような発表でございますが、もう少し具体的な調査報告がなされないものでしょうか。
○政府委員(伊達興治君) 北朝鮮による拉致の疑いのある事件は、従来、六件九人と判断していたところでございますが、これまでの捜査を総合的に検討した結果、御指摘の新潟県における少女行方不明事案も拉致の疑いがあると判断し、全体で七件十人と判断するに至ったところでございます。また、拉致が未遂であったと思われるものは一件二人であると判断しております。
 新潟における少女行方不明事案以外、これらの事例の内訳は、昭和五十二年に石川県警察が外国人登録法違反等で検挙した宇出津事件、昭和五十三年七月から八月にかけて福井、新潟、鹿児島の海岸で連続発生した三件のアベック行方不明事件、同年八月に富山県の海岸で発生したアベック監禁致傷事件、拉致未遂であります。それから、昭和六十年に韓国で検挙された辛光沫事件、それに李恩恵と呼ばれる日本人女性の事件であります。
 2002年、公明党は、拉致に関する質問をすると、国家公安委員会の谷垣禎一委員長は、「拉致の疑いがある」と答弁しました。
 2004年5月22日、小泉首相は、平壌を訪問して、金正日と会談し、先に帰国した5人の家族の帰国を申し入れました。そして、10人の帰国が実現しました。
 北朝鮮は、「拉致したのは13人で、問題解決の取り決めで、死亡者8人を除く生存者5人を返したので問題はすべて解決済み」と主張しています。
 一部の報道に拉致事件の背景を描いている文章があります。裏づけに弱いです。私の課題です。
(1)横田めぐみさんや田口八重子さんなど、日本人の若い女性を拉致したのは、北朝鮮の工作員を日本人に仕立て上げる教育をさせるためであった。
(2)蓮池さんと奥土さん、地村さんと浜本さん、市川さんと増元さんなどのアベックが狙われたのは、北朝鮮に拉致してから配偶者を与える手間が省けるからである。アベックの男女は一年以上隔離し、絶望と洗脳の過程を経てのち引き合わせて結婚させれば、心理的に安定した状態で「日本人化」教師をやらせることができる。
 協調主義をとる外務省らに対して安倍官房長官の強硬外交が人気を集めています。
 『文藝春秋』(2006年9月号)で、安倍晋三氏は「この国のために命を捨てる」というテーマで自分の主張を述べています。私は、このように強がりをいう政治家に警戒心を抱いています。日本を誤った方向に導いていった指導者の共通点です。「勇ましい言葉の裏には、危険がある」と信じています。

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