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エピソード

303_03

偽装列島日本
 2007年は、年金の偽装から始まって、船場吉兆の偽装に終わりました。
 あの日本人の美徳(名もなく、貧しく、美しい)はどこへ行ってしまったのでしょうか。
 宙に浮いた5000万件の年金問題、ミートホープ、白い恋人、赤福を通じて、それらの問題を考察したいと思います。
 日本人は「真面目で、正直で、勤勉で、器用である」と定義されてきました。高校生にもよく話したのが、honesty(正直、誠実、公正)、hardworking(勤勉、勉強熱心)、dexterity(器用)が日本の発展に寄与した美徳であると説明してきました。
 また、日本の文化の多くは、江戸時代の武士の生活が浸透しています。玄関や床の間を基本とする家の構造、茶道・華道・書道にみられる伝統文化、結婚式・葬式や成人式などの諸行事にられれる冠婚葬祭などを見ても、そのことはよく理解できます。
 つまり、「無の精神、自律(己を厳しく律する)の精神、仁慈(上のものが下のものに与えるいつくしみ)の精神、克己(私欲に打ち克つ)の精神、富貴・名声より名誉を重視する精神」など武士道がそのバックボーン(精神的支柱)になっていることがわかります。
(1)まず、「ミートホープ問題」です。
 1976(昭和51)年、田中稔氏が創業しました。北海道では、食品加工卸業界売上第1位というブランド会社です。
 2006(平成18)年2月、ミートホープの元役員は、農水省北海道農政事務所に、文書「食品表示110番」と牛ミンチのサンプルを持ち込み内部告発しました。対応した職員は「ミート社の製品か分からないので、証拠にならない」と取り合わなかったといいます。
 2月6日、元役員は、同事務所に行き、その対応を聞くと、対応した職員は「あ、そうですか」という回答だったといいます。(事件発覚後)同事務所の小野哲士消費・安全部長は「元役員が告発したとの件については確認できていない」回答したといいます。
 3月24日、(事件発覚後)農水省北海道農政事務所は、この日、告発文書を北海道庁に持参して担当者に手渡したと発表しました。(事件発覚後)北海道庁は「当日、担当者は出張中だった」として受理という事実を否定しました。
 4月、田中稔社長は、「挽肉の赤身と脂肪の混ざり具合を均一にする製造器」により文科省の創意工夫功労賞を受賞しました。
 2007(平成19)年6月20日内部告発により、北海道加ト吉が製造した「牛肉コロッケ」は、豚肉なのに牛ミンチ(納入業者は苫ミートホープ)を使ったコロッケと称して販売していたことが判明しました。その後、本社の加ト吉は、「ミートホープの責任者が”牛肉に豚肉が混ざっていた”事実を認めた」と報告しました。
 その後、様々な偽装が発覚しました。
*1:色の悪い肉には血液を混ぜて色を変える
*2:牛肉の挽肉の中には豚肉を混ぜる
*3:腐りかけている肉には細切れにして混ぜる
*4:消費期限が切れた肉にはラベルを変える
*5:肉の代わりにはパンを混ぜる
*7:ブラジル産の鶏肉には国産の鶏肉と偽る
 6月21日、田中稔社長らが記者会見しました。席上、田中社長は、混入を始めたきっかけについて、「中島工場長に相談された」と答えました。同席していた中島正吉工場長は、非常に気を使い、勇気を奮って「社長が言ったと思う」と言葉を返しました。その後も、田中社長は「私は指示していない」とか「たまたま混入したのかもしれない」などと答えていました。状況が激変したのは、息子の田中等取締役が父親に「社長!本当の事を言ってください。指示をしたのか、しなかったのか。お願いします」という言葉が出た時です。一瞬、間をおいて、父の田中社長は「私が指示した」と認めました。
 そして、様々な事実が明らかとなりました。
*1:田中社長自身が「牛肉と豚肉を合わせて作ろうか」と提案したことを認めましたました。
*2:混入し始めた時期は7〜8年前で、販路拡大路線を採用した時であり、頻度は毎日の時もあったことを認めました。
*3:豚肉を混ぜるとコストが1〜2割安くなるため、牛肉の在庫があっても、原価を低く抑え、と利益を上げるためだった認めました。
*4:中島工場長は、混ぜていたことについて「消費者をだましているという意識はあった」が、社長には「雲の上の人だから言えなかった」と認めました。
 6月24日、北海道警察と苫小牧署は、不正競争防止法違反(虚偽表示)容疑で本社など10箇所の家宅捜索を行いました。
 6月24日、北海道加ト吉の工場長は、廃棄用のコロッケをミートホープに販売し、20〜30万円を不正に受け取っていたことが発覚しました。廃棄用のコロッケを買っていたミートホープの田中稔社長は、「半額セールで喜んで買う消費者にも問題がある」と記者会見で発言しました。
 6月24日、ミートホープの元役員は、「2006年2月に農水省に内部告発していた」ことを公表しました。
 6月25日、ミートホープは、会社を休業し、全従業員を解雇することをを明らかにしました。
 7月11日、ミートホープの内部告発文書を渡したか否かで対立していた農林水産省と北海道が札幌市内で協議しました。両者は「これ以上の調査は困難」との認識で一致し、調査を事実上打ち切りました。客観的に手渡しの有無を裏付ける新たな資料が出ない限り調査を続行できないということでした。
 見解が相違したままの決着について、同省の貝谷伸審議官は「組織として率直に反省し、おわびしたい」と話した。
 7月17日、ミートホープは、自己破産の申し立てを行いました。
 10月24日、北海道警察は、不正競争防止法違反(虚偽表示)の容疑でミートホープの田中社長を逮捕しました。
(2)次は、「白い恋人」問題です。
 北海道旅行の土産で、一番多く頂いたのが「白い恋人」です。二番目がトラピスチヌ修道院(日本初の女子修道院)のクッキーでした。
 1947(昭和22)年、政府委託の澱粉加工業として創業されました。
 1959(昭和34)年10月 、石水幸安氏が石屋製菓株式会社を設立しました。
 1976(昭和51)年12月 、石水幸安氏の長男の石水勲氏が「白い恋人」を発売しました。「白い恋人」は、年間売上げが約2億枚(石屋製菓の総売上高の75%)で、土産品の単品売り上げでは赤福に次いで全国2位というブランドです。
 1996(平成8)年、「白い恋人」の包装袋を新しい機械に切り替えた時、規定で4か月と決めていた賞味期限を、7〜8月の繁忙期には、出荷する商品の2〜3割について、6カ月に偽装することが内々で決められていました。
 2007(平成19)年4月24日、伊藤道行取締役統括部長と担当課長は、4月中にキャンペーン期間を終える「白い恋人」の「発売30周年キャンペーン限定商品」(28枚入り×2缶)が予想より多い4328個が返品されたため、偽装することを相談しました。石屋製菓では、製造から6カ月でも品質に問題がないと認識されていたと言います。
 5月5日、伊藤部長と担当課長は、特別な包装の「限定商品」4328個を通常の包装に戻す時に、賞味期限「平成19年8月31日」・「平成19年9月30日」を「9月30日」・「10月31日」というように1カ月延ばしました。この付け替え作業には、従業員約20人が指示されたといいます。
 7月中旬、偽装を告発する内部メールが伊藤部長の元に届きましたが、伊藤部長は、この事実を石水社長に報告しませんでした。
 8月14日内部告発により、石屋製菓の石水勲社長は、記者会見で、担当取締役が指示したことは認めましたが、「私には知らされていなかった」と語りました。
 8月15日、札幌市と北海道は、問題の商品を製造していた石屋製菓の本社工場を食品衛生法などに基づき合同で立ち入り検査しました。
 8月15日、石屋製菓の石水社長は、記者会見で、16日から4日間、全製品の生産を停止することを発表しました。
 8月15日、三越や大丸などの百貨店や新千歳空港の土産物店などは、「白い恋人」などの石屋製菓の商品を撤去しました。
 8月16日、石屋製菓の石水社長は、記者会見し、「賞味期限の偽装は過去10年にわたり日常的に行っていた」「その事実は私も知っていた」と発表しました。さらに、石水社長は、「4日間の自主休業とさらに延長する」「社員やパート職員の雇用は全員維持する」と約束しました。
 8月17日、石水社長(63歳)は、その責任をとって辞任を表明しました。
 8月22日、石水社長は、他の商品についても賞味期限を数日から2カ月延長していることを公表し、「会社のうみを出した」と謝罪しました。
 8月23日、後任社長の島田俊平(59歳。北洋銀行元常務取締役)は、石水前社長ら5人の取締役(石水創業一族4人と伊藤部長)のうち石水前社長の長男石水創氏を留任させ、残り4人を退陣させました。北洋銀行から島田社長ら2人、公認会計士1人を外部から招聘し、社内から2人を抜擢しました。
 11月15日、石屋製菓は、保健所の了承を得て、1日40万枚規模の「白い恋人」の製造を再開しました。
 11月22日、三越や大丸などの百貨店や新千歳空港の土産物店などは、「白い恋人」が売り切れになりました。
 11月24日、石屋製菓は、操業を3時間延長し、1日50万枚規模に増産しました。ただ、在庫が少ないため、各店の入荷量は問題発覚前の水準にはまだ達していないといいます。
(3)次は「赤福」問題です。
 伊勢神宮や名古屋に行った人が必ず土産に持って来るのが「赤福餅」です。たまに「ういろう」もあります。土産品の単品売り上げでは赤福が全国1位(年間売上高80億円超)ですから、完全なブランドです。正岡子規は「到来の赤福餅や伊勢の春」と詠んでいます。餅は柔らかくて、歯ごたえがあるし、赤い餡も甘いが癖がない。「赤福餅」を食べるのが、私の楽しみの1つでもありました。
 それもそのはずです。保存料を使っていないので、夏季は製造日をいれて2日、冬季でも製造日をいれて3日が賞味期限です。夏には当然通信販売はできません。
 1707(宝永4)年、伊勢神宮内宮前の五十鈴川のほとりで販売されたのが創業元年と言われますから、300年の歴史を誇る老舗中の老舗です。
 1960(昭和35)年代、赤福社内では、「丸ハン」(製造日)を箱の前面に押して販売していました。製造当日の商品には日付のみを押し、前日の売れ残り商品には日付の末尾に「―」を付けて出荷していたといいます。
 1973(昭和48)年、(偽装発覚後)赤福は、伊勢神宮の「式年遷宮」の時、需要が急増したため、偽装するようになったと説明していますが、それ以前から常態化していたと見られています。
 2004(平成16年)7月、大阪市に「赤福の大阪工場で売れ残った商品を再包装して出荷している」という内部告発がありました。
 7月、(偽装発覚後)大阪市は、内部告発者が「調査の際に再包装の有無は工場に聞かないでほしい」と強く要望したので、「大阪工場(淀川区)を立ち入り調査(通常調査)したが、偽装は確認できなかった」と発表しました。また、「本社に知られては困るので三重県にも伝えないでほしい」とも要望したので、大阪市の担当者は三重県にも伝えませんでした。
 2005(平成17)年10月、濱田典保氏(43歳)が11代目社長に就任しました。
 2007(平成19)年8月中旬、「赤福が製造年月日を偽装している」という内部告発が農水省に届けられました。
 9月、農水省は、伊勢市の本社・工場を立ち入り検査し、偽装を確認しました。調査に対し赤福の濱田社長は「出荷の調整のためにこうした方法を取っていた」と説明したといいます。
 10月12日、農林水産省は、日本農林規格(JAS)法違反に当たるとして、赤福に対して行政指導を行ないました。
 10月12日、赤福の濱田社長は、記者会見で、「記号は製造時間を示す印」と「印」の存在は認めましたが、それは「再冷凍を防ぐための記号である」と説明しました。そして、「本店の営業を自粛する」と発表しました。
 10月12日、JRや名鉄など主要駅の売店や百貨店などは、赤福の商品を一斉に撤去しました。
 10月13日、農林水産省は赤福における不適正表示に対する措置について、次のような内容を発表しました。
*1:販売店に出荷しなかった商品を冷凍した上で、注文に応じて解凍、再包装し、この再包装した日を新たな製造年月日として、製造年月日と消費期限を表示するという不適正な表示を長期間日常的に行っていたこと
*2:原材料表示について、使用した原材料の重量順に「砂糖、小豆、もち米」と表示すべきところ、長期間にわたって「小豆、もち米、砂糖」と表示していたこと
 10月18日、赤福の濱田社長は、2004年9月1日〜2007年8月31日までの間に偽装品の出荷量は605万4459箱(総出荷量の18%)であることを認めました。つまり、売れ残った商品を冷凍保存して、解凍した時点を製造年月日にを偽装して再出荷したと言うのです。これが「まき直し」です。赤福の中折箱(12個入)は1000円ですから、3年間に60億5445万9000円が偽装して出荷されていたことになります。
 その手口を紹介します。これらは、売れ残りによる損失を防ぐことが目的でした。
*1:製造後に冷凍し、最大で14日間保管した後、解凍して出荷する
*2:出荷日を「製造年月日」と偽る
*3:売れ残りの商品のの餡を「むきあん」、餅を「むきもち」として、それぞれに分離して再利用する
*4:従業員が識別できるように、複数の記号を組み合わせて商品に印字する
*5:21の配送ルートのうち「名阪便」で、店頭に並んだ商品を回収し、再出荷して、パーキングエリアの土産売り場などに届ける
*6:出荷予定の商品を前日に解凍し、翌日の日付を印字する。これを「先付け」という
*7:赤福餅の原材料が国内で不足すると、外国産を用いる
*8:こうした偽装は30年前から行われている
 10月19日、農林水産省は、食品衛生法違反行為として、本社工場等を強制調査する方針を発表しました。
 10月19日、三重県は、行政処分として無期限営業禁止処分方針を決めましたた。「まき直し」については、既に10年前から地元保健所が把握していたそうです。それを、JAS(日本農林規格=Japanese Agricultural Standard)法担当部署に連絡しなかった不作為行為が問題視されました。
 10月21日、大阪市は、赤福大阪工場でも売れ残った商品の包装紙を付け替え、消費期限を不正に引き延ばして再出荷していたとして、食品衛生法違反と判断し、同工場に無期限の営業禁止を命じました。市の調査に対し、大阪工場側は「再包装は本社の指示」と話したということです。
 10月22日、農水省は、赤福への立ち入り調査で、店頭から回収した売れ残り商品からあんと分離した「むきもち」のうち、68%を赤福餅に再利用していたことが分ったと発表しました。赤福の濱田社長は、これまで「99%は焼却処分した」と説明していましたが、再利用は今年1月まで続けていたことも分りました。
 10月22日、赤福の社員は、回収した赤福餅を餡と餅に分離し、再利用する作業を担当した従業員に「絶対外部に話さないように」と口止めしていました。こうした「むきあん・むきもち」が食品衛生法に抵触することを認識していたことを裏付けるものといえます。
 10月22日、濱田社長は、記者会見で、「印」の記号に意味のあることを認めました。記号を付けることにより、回収後に、再度まき直しや冷凍する工程に回らないようにしていました。
*1:「謹製」と書かれた製造日印の日付の後に「・(ピリオド)」と「−(ハイフン)」を付けている
*2:この両方があるものは、一度店頭に並んで売れ残った商品を回収して包装し直す「まき直し」をした商品である
*3:ハイフンだけのものは、製造日の日付を、前もって翌日以降とした「先付け」の商品である
*4:消費期限の後にピリオドのあるものは、冷解凍の工程を経た商品である
*5:新しく作られた商品にはこうした記号はない。つまり、売れ残った後に、「まき直し」や冷凍できる商品として認識されていたことが分る
 10月22日、濱田社長は、同じ記者会見の席で、記号の使用について、「言葉は悪いが現場の判断で無秩序に行われてきた結果と思わざるを得ない」として、自らの関与を否定しました。
 10月25日、農水省や三重県は、赤福幹部が不正を認識した上で組織ぐるみで商品の偽装を行っていた可能性が高いとみています。その理由は以下の通りです。
*1:「まき直し」や「先付け」など製造日を偽装した商品の売上率や返品率などが取締役会に報告されている
*2:AからDまでのアルファベットを使い、赤福餅の鮮度などを5種類に分類する
*3:前日に売れ残った商品を再包装し、製造日を当日と改ざんしたまき直しは「A商品」とする
*4:当日に製造し、正しい製造日のものを「B商品」とする
*5:製造日の日付を翌日と偽装したものを「C商品」とする
 10月31日、赤福の浜田益嗣会長(10代目社長)は、責任をとり、会長職を辞任し、その他の公職も辞職することを発表しました。
 11月1日、赤福の浜田益嗣会長は、記者会見で、「お客様に申し訳なく、ご先祖様に合わす顔がない」と謝罪しました。さらに、製造日の偽装などについて「商品を幅広い範囲に拡販したことが誤り」と話し、「日本農林規格(JAS)法の厳格化など、変化についていけなかった」と釈明しました。
 11月12日、赤福の濱田社長は、「売り上げが拡大する中で、最も大切である品質がおろそかになった」などとする改善報告書を農林水産省東海農政局に提出しました。
 12月14日、赤福の濱田社長は、記者会見で、「新会長に住友銀行の玉井英二元副頭取(75歳)を選任し、私は留任するが、私以外の親族は役員からの退陣する」と発表しました。さらに、一連の不正行為については「経営陣が具体的に指示したわけではない」と改めて否定しました。
(4)最後が、年金の偽装問題(?)です。
 2007(平成19)年2月14日、宙に浮いた年金疑惑に確証を持つ5000民主党の長妻昭議員は、衆議院予算委員会で、「緊急事態宣言をして、社会保険庁は、被保険者と受給権者の皆様全員に納付記録を郵送して、抜けがあるかどうか緊急に点検してください」と質問しました。それに対して、安倍晋三首相は、「緊急事態宣言をすべての被保険者に出す、これは年金そのものに対する不安をあおる結果になる危険性がある」と答えました。
 安倍首相の父は、首相一歩手前で急逝した安倍晋太郎氏です。祖父は首相岸信介氏です。安倍氏は世襲政治家三代目のブランドです。
 長妻議員は、一通の内部告発から、年金問題を調査するようになり、社会保険庁(官僚)答弁に疑問を持ったといいます。
 5月8日、長妻議員の年金に対する質問に、衆議院本会議で、安倍首相は、「年金記録については、今日では、さまざまな年金制度に加入した場合であっても基礎年金番号で統一的に管理される仕組みとなっており、基本的な問題は解決していると考えています」・「すべての被保険者、年金受給者に対して納付記録を送付し点検をお願いすることは、大部分の方の記録が真正なものであることを考えれば、非効率な面が大きいのではないかと考えます」と答弁しました。
 5月15日、世論調査では、安倍内閣の支持率は43%・不支持率は33%でした。
 5月22日、民主党の蓮舫議員の質問に対して、参議院文教科学委員会で、安倍首相は「すべてのこの被保険者、年金受給者に対して年金加入記録を送付して点検をお願いをすることは、効率的な面についてこれはどうであろうかと言わざるを得ない…年金について大切なことは、いたずらに不安をあおってはいけないんですよ」
 5月23日、長妻議員の「宙に浮いた年金記録5000万件ある問題」について質問に対して、衆院予算委員会で、柳沢厚生労働相は、「特別の調査をして『(年金記録の)統合漏れの可能性があります』と知らせる」と述べ、すでに年金を受けている3000万人のうち「宙に浮いた年金記録」の持ち主の可能性が高い人を抽出し、その確認を求める考えを提示し、5000万件を初めて公認しました。
 5月24日、読売新聞は「社会保険庁が管理する年金保険料の納付記録のうち約5000万件が該当者不明となっている問題で、政府は23日、現在の年金受給者約3000万人を対象に、該当するものがあるかどうか調査する方針を固めた」と報じました。
 5月29日、世論調査では、松岡農相自殺・年金問題で、安倍内閣の支持率は36%・不支持率は42%で、逆転となりました。
 7月2日、参院選を前にした世論調査によると、安倍内閣の支持率は28%・不支持率は48%で、自民党にとって危険水域となりました。
 7月25日、安倍首相は、参院選の街頭演説(富山市)で、「宙に浮いた年金5000万件は来年の3月までに名寄せして、最後のお一人までしっかりとお支払いします」と絶叫しました。
 12月11日、社会保険庁は、「宙に浮いた年金記録5000万件」について、「約1975万件はコンピューター上での照合作業で本人を特定するのが困難である」と発表しました。膨大な未統合記録には、紙台帳と手作業で突き合わせが必要になり、長期化するのは必至です。「最後の1人、最後の1円まで年金を支払う」としてきた政府の公約の実現は、極めて難しい情勢となっています。
 12月23日、産経新聞サイト版は、「年金記録紛失問題をめぐり、自民党が機関紙最新号で、最後の1人まで責任をもって正しい年金の支払いを”約束します”としていた今年7月の参院選公約の文言を、”支払うことができるよう全力を尽くす”と変更していたことが、分かった」と報じています。
 さらに、産経新聞サイト版は、「参院選で配布した”安倍晋三(首相=当時)より、国民の皆さまへ”と題したビラに、安倍氏の署名つきで”最後のお一人にいたるまで、責任をもって年金をお支払いすることをお約束します”と明記している」として、「参院選の年金公約、自民機関紙が“書き換え”」と断じています。
偽装列島日本からの脱皮
 (1)から(5)までを年代記形式で見てきました。
 (1)から(5)の共通点は、ブランド、世襲、問題が発生した時の危機意識が欠如が挙げられます。
 (1)から(4)の共通点は、独裁体制、質より量の拡大路線、部下に責任を転嫁するなどが挙げられます。
 ブランド(brand)とは「銘柄、商標、焼き印」とあります。焼き印とは、放牧している家畜の所有者を確認するために押印される印のことです。つまり、他の物と区別する印ということです。
 私の小さい時、どの家でも、豆腐を作っていました。しかし、祭りや正月には、お客さんを意識して、近所で豆腐作りの上手な家から、豆腐を買ってきたことがあります。お客さんも、「この豆腐は美味しい。誰が作ったか?」と話題になります。皆から美味しいと評価された人が名人で、名人が使った豆腐がブランドではないでしょうか。付加価値も高いのです。
 多くの人に評価されるまでには、長い年月がかかります。その後継者は、必死で、先代からその技法を学ぶでしょう。ブランドは、長い歴史が必要です。だから、ブランドは、貴重で、大切なのです。
 「ブランドの価値は超過収益力として表現される。他社とまったく同一の機能・性能を持つ商品を販売する場合、他社よりも高い値段を付けても売れるならそれはブランドの信用力に由来する価値である。他社よりも高くできた値段の差額が超過収益力となる(Wikipedia)」。
 世襲でブランドを維持してきた企業には陥り易い問題点があります。
 自分の努力でなく、ブランドで集客していることを忘れ、自分の力を過信することです。三代目になってくると、生まれながらにブランドの「ボンボン」ですから、小さい時から、周囲から「チャヤホヤ」されます。20代には取締役になっているかも知れません。
 ブランドにあやかろうとする他者の営業マンや従業員などからも「チャヤホヤ」され、ますます、自分の力を過大評価します。自ずと傲慢になり、初代・二代目に仕えた一言居士の苦労人を排除し、無意識の内に、「イエスマン」だけの人間で固めるという独裁体制を布いています。
 取り巻きの中には、色々と甘言でゴマをする者もいます。祖父や父に比較されてきた「ボンボン」は、祖父や父と違うことをして、自分の力を示そうとします。その定番が「質より量を求める拡大路線」です。しかし、失敗する時もあります。「チャヤホヤ」の「ボンボン」ですから、一言居士を排除しているので、「ゴマすり野郎」は逃げさり、結果、責任の取り方が分りません。部下に責任を転嫁する安易な方法で、責任逃れをします。
 大体、以上見てきた類型です。
 では、どうすればよいのか。
 ブランドは貴重で、大切です。親子相伝という意味では、世襲もブランドに必要です。
 私の大学には、茶・華道の家元や「いちげん(一見)さんおことわり」という高級料亭などブランドの「ボンボン」「いとはん(お嬢さん)」がたくさんいました。
(1)彼や彼女に共通しているのは、いずれ家の仕事を継ぐことが宿命されていることですが、親から「大学は8年かかって卒業してもいいから、一生付き合える友人を見つけなさい」と言われていました。
(2)彼や彼女は、「武者修行」とか「他人の飯を食う」ということで、家の仕事と関係ない会社に就職させられました。
(3)多くのブランドの「ボンボン」は、自分が独裁者とは思っていません。しかし、自分に「是々非々のことを直言する」人がいるかどうかを指標としていると言います。
(4)ブランドは、質を維持することがブランドの使命で、実はそれが至難の技なのです。新しい商品を開発するには、ブランド名と全く関係ない形で行うべきでといいます。これが創業者の苦しみというのです。
 以上が、私の友人だったブランドの「ボンボン」や「いとはん」の意見でした。納得です。
 これは、ある企業人の証言です。
 この企業も世襲で、ブランド会社です。
 質を維持するために、単品を一貫して製造してきました。しかし、元気のいい息子がそういう姿勢を保守的だと批判して、時代に乗った新しい物を製造するべきだと「革新論」をぶったそうです。保守派と革新派の間に対立が起こり、内紛となったそうです。
 結果は、「時代にあった質を維持することが、革新だ」ということになったそうです。まさに至言といえます。
 私の体験からもう1つ紹介します。空理空論の学生運動が盛んであった大学から、子供たちに夢と希望を与える先生になりました。
 私が教師になった最初の頃、校長から呼び出されました。そして、机の中から、「辞職届」なるものを見せられました。
その校長は「○○(私の名前)君がどんなことをしても、私は責任をとる覚悟である。君もそういう者がいることを知って、行動してもらいたい」と言いました。
 名誉・名声や高収入は何に対して与えられるかと言うと、「責任」について支払われるのです。
 7%ほどの武士は、名誉・名声や高収入に対して、90%以上の人に尊敬を受けるような生活や鍛錬をしていました。最後の責任の取り方は「死」です。
 現在、「死」を以って責任を取る時代ではありません。しかし、それに値する責任の取り方があるはずです。その覚悟がない者は、そういう立場になってはいけません。
 名誉や名声・高収入を得て、責任を部下に転嫁するとは、「情けない、ああ、情けない!!」

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