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エピソード

305_01

鳩山民主政権の誕生
 私は、二大政党制の支持者です。
 パソコンの世界でも、競争しない技術は「井の中の蛙」的技術だと批判して来ました。
 私の生きている間に、国民が暴力によらず、選挙によって、政権交代を成し遂げました。
(1)天声人語は「国会は歴史的な掃除のただ中にある。いや議事堂のことだ。建設から73年、高圧水流による初の汚れ落としで、黒ずんだ御影石に桜色が戻ってきた。議席の布地も張り替わるが、まずはお尻の方がごっそり入れ替わった▼負けに不思議の負けなし。自民党は傍目(はため)にも耐用年数が尽き、最後は民意のあずかり知らぬ面々が1年交代で首相の座をとことん軽くした。政治の非力に一部の官僚がつけこみ、血税や年金が消えていく。やりきれない閉塞(へいそく)を、投票箱に注がれた高圧水が襲った」(朝日新聞2009年8月31日)と書いています。
(2)正平調は「憲政の神様、尾崎行雄翁の嘆きが残る。選挙のたびに政府与党が勝利し、野党は敗れる。「わが憲政を毒する百弊のみなもとはここにありとさえ思われる」◆翁の思いが晴れる日が訪れた。総選挙で野党の民主党が圧勝し、政権交代が実現することになった。単に第1党が代わっただけではない。与野党が政権の枠組みを示し、有権者が選ぶ。民意による初の政権交代である」(神戸新聞2009年8月31日)と書いています。
 各新聞の社説・主張の見出しを紹介します。
(1)朝日新聞社説は「政権交代―民意の雪崩を受け止めよ」とあります。
(2)毎日新聞社説は「衆院選民主圧勝 国民が日本を変えた」とあります。
(3)読売新聞社説は「民主党政権実現 変化への期待と重責に応えよ」とあります。
(4)産経新聞主張は「民主党政権 現実路線で国益を守れ 保守再生が自民生き残り策」とあります。
(5)日本経済新聞社説は「変化求め民意は鳩山民主政権に賭けた」とあります。
(6)神戸新聞社説は「09衆院選政権交代/この民意を政治再生に生かせ」とあります。
 「TVタックル」(2009年8月31日)でビートたけしさんが最後に選挙(民意)による政権交代を「日本に初めて民主主義が根付いたということだね」と語っていました。多くの人もそう思ったようです。
 与党・民主党が政権を担当し、その間、野党・自民党が政権を奪還するために、牙を磨く。切磋琢磨することで、より民主主義が発展するということです。
 以下の表(1)から分かるように、自由民主党(前身の日本自由党を含め)が第一党を失ったのは、第23回の総選挙の時のみです。この時、日本社会党(143)の片山哲が民主党(124)・国民協同党(31)と連立し、片山内閣を誕生させています。しかし、非常に不安定な連立内閣で、1947年5月24日〜1948年3月10日(292日間)の短命内閣です。
 2009年8月30日に行われた第45回の総選挙では、民主党が308という圧倒的議席を獲得しています。
 それ以前の2007年7月29日の参議院議員選挙では、既に、第一党を民主党に奪われていることが分かります。
 どうして、国民は、歴史的に初めてという選択をしたのでしょうか。
 どうして、自民党は、民主党に圧倒的な大差で、第二党に転落したのでしょうか。このような歴史的な敗北の時の首相になぜ麻生太郎首相が遭遇したのでしょうか。
(表1)衆議院議員選挙・各党当選者数(第22回=1945年〜第45回=2009年)
回数 投票日 第一党 第二党 第三党 第四党 第五党 合計
22回 1946年4月10日 日本自由党 141 日本進歩党 94 日本社会党 93 日本協同党 14 日本共産党 5 466
23回 1947年4月25日 日本社会党 143 日本自由党 131 民主党 124 国民協同党 31 日本農民党 5 466
24回 1949年1月23日 民主自由党 264 民主党 69 日本社会党 48 日本共産党 35 国民協同党 14 466
25回 1952年10月1日 自由党 240 改進党 85 右派社会党 57 左派社会党 54 日本共産党 0 466
26回 1953年4月19日 吉田自由党 199 改進党 76 左派社会党 72 右派社会党 66 鳩山自由党 35 466
27回 1955年2月27日 日本民主党 185 自由党 112 左派社会党 89 右派社会党 67 日本共産党 2 467
28回 1958年5月22日 自由民主党 287 日本社会党 166 日本共産党 1         467
29回 1960年11月20日 自由民主党 296 日本社会党 145 民主社会党 17 日本共産党 3     467
30回 1963年11月21日 自由民主党 283 日本社会党 144 民主社会党 23 日本共産党 5     467
31回 1967年1月29日 自由民主党 277 日本社会党 140 民主社会党 30 公明党 25 日本共産党 486
32回 1969年12月27日 自由民主党 288 日本社会党 90 公明党 47 民主社会党 31 日本共産党 14 486
33回 1972年12月10日 自由民主党 271 日本社会党 118 日本共産党 38 公明党 29 民社党 19 491
34回 1976年12月5日 自由民主党 249 日本社会党 123 公明党 55 民社党 29 日本共産党 17 511
35回 1979年10月7日 自由民主党 248 日本社会党 107 公明党 57 日本共産党 39 民社党 35 511
36回 1980年6月22日 自由民主党 284 日本社会党 107 公明党 33 民社党 32 日本共産党 29 511
37回 1983年12月18日 自由民主党 250 日本社会党 112 公明党 58 民社党 38 日本共産党 26 511
38回 1986年7月6日 自由民主党 300 日本社会党 85 公明党 56 民社党 26 日本共産党 26 512
39回 1990年2月18日 自由民主党 275 日本社会党 136 公明党 45 日本共産党 16 民社党 14 512
40回 1993年7月18日 自由民主党 223 日本社会党 70 新生党 50 公明党 51 日本新党 35 511
41回 1996年10月20日 自由民主党 239 新進党 156 民主党 52 日本共産党 26 社会民主党 15 500
42回 2000年6月25日 自由民主党 233 民主党 127 公明党 31 自由党 22 日本共産党 20 480
43回 2003年11月9日 自由民主党 237 民主党 177 公明党 34 日本共産党 9 社会民主党 6 480
20回 2004年7月11日 自由民主党 115 民主党 82 公明党 24 日本共産党 9 社会民主党 5 242
44回 2005年9月11日 自由民主党 296 民主党 113 公明党 31 日本共産党 9 社会民主党 7 480
21回 2007年7月29日 民主党 109 自由民主党 83 公明党 20 日本共産党 7 社会民主党 5 242
45回 2009年8月30日 民主党 308 自由民主党 119 公明党 21 日本共産党 9 社会民主党 7 480
20回・21回 参議院議員選挙
 共同通信社の麻生内閣の支持率を調べてみました。下記の表(2)です。
 2006年8月の調査は安倍内閣発足時のデータです。
 2007年9月の調査は福田内閣発足時のデータです。
 2008年9月の調査は麻生内閣発足時のデータです。私も、この支持率の低さにびっくりしたものです。といいうのは、安倍氏も福田氏も、大臣を経験することなく、祖父や父が元首相であったとか、官房長官時代の印象で人気を博していましたが、実力は未知数ですた。案の定、1年で政権を放り出すという、無責任は結果に終わりました。
 しかし、麻生氏は、麻生財閥の経営者を経験し、重要な閣僚を無難にこなしていましたので、安倍氏や福田氏とは違う期待感を持っていたからです。
 本人も、安倍氏や福田氏とは違うと思っていたのでしょう。この世論調査の結果、選挙の顔と期待されながら、選挙を延ばし延ばしする結果となりました。
 その間、話はブレまくるし、漢字は読めないし、素人の私でも、「どうしてこんな人が自民党総裁(=総理大臣)に選ばれたんだろう」と不思議に思うようになりました。
 同僚議員は、このような麻生氏の素質を知っていただろうし、この人を選挙の顔にすれば、国民を欺けると思っていたのでしょうか。そうだとすると、国民を愚弄した自民党の体質が問われます。

 2009年9月8日、自民党の衆参両院議員総会で、首班指名に同総会長の元農水相・若林正俊参院議員とすることが決まりました。その時、麻生首相が「おまえ 本人の意思も聞いてやれヨ」とくだけて発言する姿をTVが放映していました。こういう場合でも、麻生スタイルを貫いていました。つまり、これが麻生氏の自然流だったのです。漢字を読み違えても、郵政選挙や定額給付金でブレても、選挙選後のぶら下がり会見で若い女性記者の質問に飛ぶ鳥跡を濁す答弁をしても、へこたれない、空気を読めないことが麻生氏の持ち味だったことが、今、よく分かりました。

 「自民党に対する積年の不満や不信が、今回の選挙に集約されたのだと思う」
 しかし、この麻生首相の口ぶりに、自民党の前議員の1人は激怒する。
 「大敗の原因を作った張本人が言うことではない。選挙期間中、麻生首相が顔を出すたびに票が減った。『カネがない人間は結婚しないほうがいい』などと、呆気に取られるような失言を、またしても繰り出した。麻生首相など、さっさと更迭して、拘置所にでもぶち込んでおけばよかった。首相とその側近の菅義偉選対副委員長、古賀誠選対本部長代理、細田博之幹事長は”4大戦犯″であり、腹を切ったとしても許しがたい」(週刊現代9月12日号)

 このように日本のトップリーダーとは一番遠い存在の人を選挙に勝つためだけに、自民党議員は総意で、麻生氏を総理大臣にしたのでしょうか。これで、国民に「めくらまし」できると思ったのでしょうか。
*注1:TVタックルで、三宅久之氏(政治評論家)が「自民党支持者のおばさんが、自民党関係者に”麻生さんがテレビに出る度に、自民党の票が減るからテレビに出さないよう言ってくれ”と言って来たくらいだ、と聞いている」と発言していました。保守派の三宅氏にこのような発言を許す麻生首相って、本当に保守?と思ってしまいます。
*注2:朝日新聞(2009年8月1日付け)は、次のような記事を掲載しています。
 麻生首相が(7月)25日の講演で「元気な高齢者は働くことしか才能がない」と発言したことに話題が及ぶと、首相はけろっとしてこう言った。
 「田舎ではそう言うだろ」
 党幹部の一人はその夜、周辺にこうぼやいた。「懲りてないなあ」

 自分を謙遜してして「僕は・・するしか能がない」というが、他人から言われると、侮辱的意味になります。
(表2)麻生内閣の支持率・不支持率
年度 06年 07年 2008年 2009年
月日 8月 9月 09'25 10'19 11'09 12'07 01'11 02'08 02'18 03'08 03'26 04'08 05'17 06'15 07'05 08'10
支持率 63.0 55.3 48.6 42.5 40.9 25.5 19.2 18.1 13.4 16.0 23.7 28.2 26.2 17.5 23.4 17.7
不支持率 18.0 28.7 32.9 39.0 42.2 61.3 70.2 70.9 76.6 70.8 65.5 59.2 60.2 70.6 60.9 72.9
 昨年(2008年)の12月、私がお世話になっている大企業の元経営者は、この段階で麻生首相を見限っていました。中小企業の現役社長も同じころ、麻生首相と並んで写っている自民党の立候補予定者を指して、「この顔も見納めだ」と語っていました。
 元々自民党の支持者だった方々の意見です。何が原因なのでしょうか。
 私の父は、兵庫県赤穂市の田舎の人間です。河本敏夫氏の後援会長をしていました。河本敏夫氏は、次期首相を目前にして、自身が経営する三光汽船が戦後最大の倒産を体験します。河本氏の全盛時代、播磨造船は造船世界一となり、相生市に新幹線の駅ができるようになりました。古い世代の父(播磨造船所勤務)は、河本敏夫氏から後援会長を委嘱されるだけで、名誉と思い、快く引き受けて、地味な後援活動をしていました。私の実家の田舎道にも舗装道路ができました。父
は、「河本さんのおかげや」と素直に喜んでいました。これが利益誘導型政治というのでしょうか。有力な政治家いる地域は肥え太り、そうでない地域はやせ細るというのでしょうか。

 そんな父も今は亡くなっていません。河本敏夫氏の後継に世襲の三郎氏が三バン(地盤=組織力、看板=知名度、鞄=資金力を受け継いで、国会議員になりました。後援会組織の高齢化が進み、若い世代を名誉職だけで補充が出来ていません。2009年の総選挙で、落選した河本三郎氏はまだ58歳の若さにもかかわらず、政界の引退を表明しました。河本三郎龍野事務所事務所は「本人は体力の限界を感じたようだ」と語っています(赤穂民報)。
 父の住んでいる赤穂市は合併がなく、議員の大幅な減少はありません。しかし、隣のたつの市は、旧揖保郡の内、太子町を除く龍野市・揖保郡新宮町・揖保川町・御津町が合併して誕生しました。
 下の表(3)を見ると、自民党の集票マシーンであった市や町の議員が激減していることが言えます。
(表3)合併前の議員定数と合併後の議員定数
  龍野市 新宮町 揖保川町 御津町 合計
議員の条例定数 22 16 14 14 66人
合併による定数 14 28人
 下の表(4)公明党小選挙区の結果を見ると、自民党の票がもう少しあれば、当選していた候補者もいたことが分かります。
 大阪6区の福島豊氏は1807票の差で落選しています。兵庫8区の冬柴鉄三氏は2307票の差で落選しています。
 ただ、投票率が上昇したにもかかわらず、公明党の全国の比例票も805万票で、2005年総選挙より93万票も減らしています。
(1)2009年9月4日付け朝日新聞の記事
 公明党は3日、総選挙敗北を受けて太田代表と北側一雄幹事長の辞任を了承し、8日に新代表を選出することを決
めた。特別国会の首相指名では新代表に投票し、10年間の自公連立に終止符を打つ。
 太田氏は3日の辞任会見で、「与党暮らし」と決別、平和や福祉という結党以采の理念を取り戻す指導力。そして来夏の参院選に向けて党の独自性をアピールする論戦力。自民党との信頼関係を重視して譲歩を繰り返した「太田路線」の転換を、新代表に託した。
 「公明党のプリンス」と呼ばれた太田代表が、白公連立の終幕とともに身を引く。
 小泉政権が幕を閉じた06年秋、前任の神崎武法氏が築いた自公連立を受け継いだ。衆院の3分の2を占める絶頂期だったが、公明党の「与党疲れ」は始まっていた。
 太田氏は当時、ネットカフェ難民など若年層の雇用問題に危機感を抱いていたが、国家主義色を強める安倍首相との信頼構築を急ぎ、遠慮した。07年参院選では与党統一公約に憲法問題を掲げようとした安倍氏に折れ、「覇者の視点」は薄れた。
 その後、肌合いのあう福田首相が誕生したが、今度は支持母体・創価学会の意向に配慮して早期解散を迫り、退陣に追い込んでしまった。「太田代表、これで良かったんしょ」。福田氏からのちにう声をかけられたという。
 麻生首相には総選挙の時期で振り回された。昨秋、麻生氏から「11月30日」を打診され「選挙に勝ちましょう」と握手まで求められたのに、約束はほご忙。公明党内や創価学会内の倍顕を落とした。 
(2)2009年9月7日付け朝日新聞の記事
 大阪府議は「やるだけのことはやったが勝てなかった。この選挙は自公連立100年の総決算だ」と振り返った。
 1999年10月、公明党は自民党と連立政権を組む。与党として児童手当拡充などの実績を強調してきたが、当事者の負担増につながる障害者自立支援法や後期高齢者医療制度の導入、生活保護世帯の母子加算廃止なども相次いだ。
 「平和と福祉」の党というイメージは薄まり、「弱者の味方ではなかったのか」と批判も浴びた。辛うじて比例区で議席を守った議員は「僻腱すぎた。身の丈であるべきだった。三十数議席で300議席を持つ大政党を振り回し、自分たちの力を錯覚した。不借感が相手にも募った」と総括した。
 実際、自民党の支持は崩れていた。朝日新聞の出口調査では、公明前職が戦った府内の4小選挙区で、自民支持層が公明候補に投票したのは5割前後。3割以上が民主候補に投票していた。
(3)神戸新聞の社説は次のように指摘しています(2009年9月7日)。
 公明党には、連立の相手だった自民党に対して複雑な思いがあるに違いない。政権の投げ出しとたらい回しを重ねたうえ、選挙の顔として期待した麻生太郎首相になっても不用意な発言などが続き、強まる逆風を押し戻せなかった。
 子育て支援や環境などの分野で、公明党は与党の一員として一定の存在感を示してきたのは確かだ。一方で、連立の維持が優先されたような動きも目についた。
 その典型がイラク戦争をめぐる対応である。米英の攻撃を支持した当時の小泉純一郎首相の判断を受け入れ、党内で異論があった自衛隊の派遣も了承した。「平和の党」という看板が揺らいだ局面だった。
 小泉改革で顕著になった格差や安倍政権のタカ派路線を前にして、公明党が連立政権に加わっている意義に疑問を感じた国民は少なくないのではないか。総選挙の時期をめぐって伝えられた麻生首相との不協和音に、違和感を覚えた人もいただろう。
 公明党が結党以来、掲げ続けてきた旗印は「平和と福祉」である。自公連立のなかで自らの政策の実現をめざすうち、肝心の原点が薄れてきていないか。今回の審判は、有権者からの厳しい問いかけと受け止めるべきだろう。

 健全な二大政党制の発展、平和と福祉の推進のためにも、公明党の奮起を期待したい。
(表4−1)公明党8小選挙区の結果
選挙区 候補者 当選回数 当選者との票差
大阪3区 田端正広 5回 1万2397票
大阪5区 谷口隆義 5回 2万3606票
大阪6区 福島 豊 5回 1807票
大阪16区 北側一雄 6回 1万5665票
兵庫2区 赤羽一嘉 5回 2万2706票
兵庫8区 冬柴鉄三 7回 2307票
東京12区 太田昭宏 5回 1万74票
神奈川6区 上田 勇 5回 3万7251票
(表4−2)自民・公明候補に投票した人は
比例でどの政党に投票したか
自民党 公明党 民主党 その他 無回答
兵庫11区 54.5 29.3 2.0 14.1 0.0
兵庫12区 57.0 19.2 15.5 7.2 1.0
 北海道は、民主党の代表である鳩山由紀夫氏の地盤です。
 もう一つは、麻生首相の盟友で、保守主義を標榜しながら、「モウロウ会見」で世界に日本の恥をさらした中川昭一氏の地盤でもあります。
 表(5−1)を見ると、自民の大物議員といわれる町村信孝氏や武部勤氏は小選挙区で落選し、比例区で当選しています。
 「モウロウ会見」の中川昭一氏は、小選挙区で落選し、比例区でも落選し、結局、国会議員の職を失いました。
 表(5−2)を見ると、ドント式と惜敗率が重要な基準となります。町村氏の小選挙区での得票は151,448で惜敗率は82.78、中川氏の小選挙区での得票は89,818で惜敗率は75.69でした。
ドント式とは
 衆院選比例代表選挙では、全国11ブロック(180議席)で、各党の得票数をそれぞれ1、2、3と順番に整数で割り算し、その答え(商)が大きい順に議席が割り振られる。例えば、定数6でA党300票、B党240票、C党180票の場合、1から順に整数で割った答えの大きい順は、@A党300票、AB党240票、BC党180票、CA党150票、(DB党120票、EA党100票となる。
 つまり、300÷1、300÷2、300÷3・・という式になります。
(表5−1)北海道小選挙区開票結果と当選者
1区 横路 孝弘 10 183,216 7区 伊東 良孝 1 100,150
  長谷川 岳     124,343   仲野 博子 3 99,236
2区 三井 桝雄 4 165,267 8区 連坂 誠二 2 171,114
  書川 貴盛   3 93,870   福島啓史郎       58,046
3区 荒井  聴 5 186,081 9区 鳩山由紀夫 8   201,461
  石崎  岳   3 112,844   川畑  悟     79,116
4区 鉢呂 吉雄 7 149,697 10区 小平 忠正 7 159,473
  官本  融     75,029   飯島 夕雁   1 89,287
5区 小林千代美 2 182,952 11区 石川 知裕 2 118,655
  町村 信孝 9 151,448   中川 昭一   8 89,818
6区 佐々木隆博 2 175,879 12区 松木、謙公 3 127,166
  今津  寛   4 119,964   武部  勤 8 112,690
(表5−2)北海道比例区開票結果と当選者
政党 議席 得票 得票率
民主党 1,348,318 40.6%
自民党 805,895 24.2%
新党大地 433,12 13.0%
公明党 354,886 10.7%
共産党   241,345 7.3%
社民党   113,562 3.4%
幸福党   20,276 0.6%
本質党   7,399 0.2%
民主党 仲野 博子 7区 99.08
12 山崎 摩耶 単独
13 山岡 達丸 単独
14 工藤 仁美 単独
15 閲藤 政則 単独
自民党 武部  勤 12区 88.61
町村 信孝 5区 82.78
中川 昭一 11区 75.69
・・
13 穴田 貴洋 単独
10  表(6−1)をみると、どの調査も自民党が敗北するという予測です。
 揺り戻しもなく、反動もなく、予想通り、自民党の歴史的敗北でした(表6−2)。
(表6━1)新聞・週刊誌などの衆議院選挙党派別当選者数予測
政 党 朝日新聞 産経新聞 週刊現代 週刊文春 森田氏 野上氏 結果
自民党 100前後 130程度 141 128 141 160 119
民主党 320超 300超 289 291 279 261 308
産経新聞は8月27日付け、朝日新聞は8月27日付けです。
週刊文春は8月27日号です。
森田氏とは森田実氏、野上氏とは野上忠興氏で、週刊朝日(7月31日号)より
(表6━2)衆議院選挙党派別当選者数
小選挙区 比例区
選挙前 女性 女性 復活当選
民  主 308 115 221 107 43 71 21 87 6 9 72 19 43
自  民 119 300 64 61 0 3 2 55 53 0 2 0 46
公  明 21 31 0 0 0 0 0 21 19 1 1 3 0
共  産 9 9 0 0 0 0 0 9 8 0 1 1 3
社  民 7 7 3 3 0 0 1 4 1 0 3 1 3
み ん な 5 4 2 2 0 0 0 3 1 0 2 0 2
国  民 3 4 3 2 1 0 0 0 0 0 0 0 0
日  本 1 0 1 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0
大  地 1 1 - - - - - 1 1 0 0 0 0
改  革 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
諸  派 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
無所属 6 6 6 2 2 2 0 - - - - - -
480 478 300 177 46 77 24 180 89 10 81 30 97
11  日刊ゲンダイのサイト版(2009年8月6日)は、「落選が濃厚な当選5回以上の自民候補」と題して、実名を報道しました。
 当選回数が6回以上は、派閥順送りということでしょうか、ほとんど大臣を経験しており、知らない人がいないほど大物議員です。
 危ないという危機感をバネに当選を果たしてきたツワモノです。今回はどうだったのでしょうか。調べてみました。
 落選が濃厚と言われた大物議員で小選挙区で当選したのは、小選挙区では42人中4人で、比例区で復活当選したのは4人でした。危機感をバネにできなかった大物は34人にものぼります(表7)。
 自民党の地盤沈下とか言われますが、敗因を総括しないと、健全な二大政党制になりません。
(表7)落選が濃厚な当選5回以上の42人の自民候補
当選回数 名 前 年齢 選挙区 小選挙区 比例区
16 海部俊樹 78 愛知9 × -
12 山崎 拓 72 福岡2 × ×
11 保岡興治 70 鹿児島1 × ×
10 丹羽雄哉 65 茨城6 × ×
堀内光雄 79 山梨2 × -
伊藤公介 67 東京23 × ×
久間章生 68 長崎2 × ×
古賀 誠 68 福岡7 -
島村宜伸 75 東京16 × -
中馬弘毅 72 大阪1 × ×
深谷隆司 73 東京2 × -
船田 元 55 栃木1 × ×
与謝野馨 70 東京1 ×
尾身幸次 76 群馬1 × -
大島理森 62 青森3  
太田誠一 63 福岡3 × ×
中川昭一 56 北海道11 × ×
柳沢伯夫 73 静岡3 × -
逢沢一郎 55 岡山1  
井上喜一 77 兵庫4 × ×
木村義雄 61 香川2 × ×
斉藤斗志二 64 静岡5 × ×
笹川 堯 73 群馬2 × -
武部 勤 68 北海道12 ×
二田孝治 71 秋田1 × ×
谷津義男 75 群馬3 × -
赤城徳彦 50 茨城1 × ×
小坂憲次 63 長野1 × ×
坂本剛二 64 福島5 × ×
鈴木俊一 56 岩手2 × ×
渡海紀三朗 61 兵庫10 × ×
中山成彬 66 宮崎1 × ×
長勢甚遠 65 富山1 ×
宮路和明 68 鹿児島3 × ×
山口俊一 59 徳島2 ×
伊藤達也 48 東京22 × ×
稲葉大和 65 新潟3 × ×
岸田文雄 51 広島1  
実川幸夫 65 千葉13 × ×
根本 匠 58 福島2 × ×
原田義昭 64 福岡5 × ×
三原朝彦 62 福岡9 × ×
12  1993年、経団連は、リクルート事件・ゼネコン事件・東京佐川急便事件などにより、「企業・団体献金は政治腐敗の温床」という非難が高まり、1955年以来行ってきた政治献金の斡旋を中止しました。
 1995年、国の財政から国民1人当たり250円、総額300億円余の政党助成金が各政党(共産党以外)に交付されるようになりました。
 2000年、迂回献金・パーティ券など不備があるものの、政治家個人に対する企業献金は禁止されました。
 2003年、経団連は、各党の政策を「優先政策事項」に基づいて評価し、政治献金の斡旋を解禁しました。それに対して、経済界には、政治活動に必要な資金は党費、個人献金、政党助成金等で賄うのが望ましいという考え方の人もいます。
 以下は、「2008年政策評価」と配点と分配政治献金の額です。
13  経団連(日本経済団体連合会)は、2008年9月17日に「2008年政策評価」の「自由民主党」と「民主党」を発表しました。
 自民党に対しては、以下のように総評しています。
 「自民党は、財政収支の均衡と経済の成長力強化の両立を目指し、諸施策を展開している。一方、歳出増加圧力も次矧こ高まりつつある。錮別政策で は、優先政策事項の方向性とほぼ一致している。道州制の推進や経済連携協定の締結加速等、一定の成果も見られる。ただし、税制・財政・社会保障の一体改革や雇用・就労形態の多様化に向けた環境整備等については大きな進展はない。
 「ねじれ国会」の中、責任政党として改革を推進すべく、野党に積極的に政策協議等を呼びかけた。しかし十分な協力は得られず、重要議案の成立に向けて3分の2染1那こよる衆醜再可決などに踏み敬うた。rねじれ薗会jの下でも、救治がタイムリ垂に意思決定できる壮組みの構築が大きな課親」。
 さらに、包括的事項の論評を以下のようにしています。 
 「55年の結党以来、ほぼ一貫して与党の立場にあり、最大の党内スタッフを有する。07年11月には民主党との間で大連立を模索、その後も積極的に政策協議を呼びかけたが、政策協議の枠組みなどは構築できず。重要議案を断固として成立させる姿勢を示し、08年1月には57年ぶり2度目となる参院否決法案の衆院再可決(新テロ特措法集)、08年4月には56年ぶり2度目となる参院みなし否決による衆論再可決(税制開連法案)を実施。
 政治資金は多くの個人や企業によりまかなわれるべきとの立場。07年12月には政治資金規正法を改正、国会議員関係の政治団体に人件費を除く全ての領収書等の公開を義務付けた。これを受け、党内でコンプライアンス活動を強化」。
14  民主党に対しては、以下のように総評しています。
 「民主党の主要政策には、財源の根拠が不明確で実親には問題があるものも多い。個別政策では、科学技術など優先政策事項の方向と一致する分野と、雇用・就労など相反する分野が混在する。
 国会等では政府与党と強い対決姿勢を示した。法案や国会同意人事等への対応を見ても、政局を重視したという印象は否めない。公務員制度改革など与党と問題意識を共有し法案を修正・成立させた事例もあるが、概して、政策で切磋琢磨するというよりは党利党略優先の行動が目立ち、参院第一党の責任政党としての姿を示せなかった。このため「実績評価」には至らず。国会か本質的な政策論議の場となるよう政策本位の行動が期待される」。
 さらに、包括的事項の論評を以下のようにしています。
 「”次の内閣”の下、衆参委員会に対応する部門会議や横断的な調査会・PTを設置し、独自の政策の立法他に向け議論を重ねている。議員立法を07年臨時国会には27本、08年通常国会には68本、それぞれ提出した。07年参院選後、主要政策の財源に関する検討を実施した(現段階では未発表)。
 企業の政治寄付については受け入れ拡大に努めているが、公共事業受注企業による寄付は会面禁止すべきとの考え。07年12月の政治資金規正法の改正に関しては、与党と協議し、国会議員関係の政治団体が人件費を除く全ての領収書等を公開するなどとした」。
15  経団連は、政治献金をする理由として、以前、自由主義経済を維持するためにとしていました。
 2004年の調査(表8━2)でも、自由主義体制を維持するためという理由を挙げている企業が半数近くいます。議会制民主主義の健全な発展のためが一番多く、69.4%です。
 しかし、表(8━1)に見るように、優先政策事項によって政党を評価し、それに応じて、政治献金をする場合、露骨な圧力団体を表明したことになります。そして、自民党の政策を評価して、自民党には、民主党の29倍もの政治献金をしたということは、経団連の政策が自民党政治に反映された結果ということになります。
 その結果に責任をとれば、それは、それでいいのです。
 今度の選挙結果を見たとき、国民は、経団連の優先政策をも拒否したということを意味します。
 産経新聞サイト版(2009年7月25日)によると、「例年は9月に発表している政策評価を先送りすることを決めた。衆院選後に民主党を中心とした政権が誕生する可能性を踏まえたもので、発表は11月末ごろまでずれ込む方向だ」とあります。
 「自民党のみならず、経営者にも、自分の決定に責任を持てない人々がいるんだなー」と私のような素人にも分かってしまう現状を憂います。
(8━1)優先政策事項に照らした評価 自民党 民主党
優先政策事項 合致度 取組み 実績 合致度 取組み 実績
経済活力・国際競争力の強化と財政健全化の
両立に向けた税・財政改革
-
将来不章を払拭するための社会保障制度の一
体的改革と少子化対策
-
民間活力の発揮を促す規制改革・民間開放の
実現と経済法制の整備
-
日本型成長モデル実現に向けたイノベーション
の推進
-
持続可能で活力ある経済社会の実現に向けた
エネルギー政策と地球環境対策の推進
-
公徳心を持ち心豊かで個性ある人材を育成す
る教育改革の推進
-
個人の多様な力を活かす雇用・就労の促進 -
道州制の導入の推進と魅力ある経済圏の確立 -
グローバル競争の激化に即応した通商・投資・
経済協力政策の推進
-
10 新憲法の制定に向けた環境整備と戦略的な外
交・安全保障政策の推進
-
私の採点(A=5、B=3、E=1) 46 42 - 32 27 -
88 59
日本経団連会員企業からの政治献金額(2007年) 29億1000万円 8000万円
推進 逆行
優先政策事項の方向との対比
「合致度」は優先政策事項と政 党の政策(含2的7年参練院選挙での公約)との対比で評価。
「取組み」は予算や法案の準備や国会での審議・投票ならびに経団連との政策対話などに基づく評価。
「実績」は主体的に関与し実現した政策による優先政策事項の達成度の評価で、それに該当しない場合等は「-」
(表8━2)225社中94社から回答(回収率41.8%)調査日2004年2月10日
政治献金を行う主な理由について(複数回答) 会社数 割合
議会制民主主義の健全な発展のため 43 69.4%
適切な政策の立案と実行を期待して 40 64.5%
自由主義体制を維持するため 28 45.2%
政党や業界団体から寄付の要請があるため 16 25.8%
自社や業界団体の利益の実現に資するため 8 12.9%
長年の慣行となっているため 3 4.8%
その他 2 3.2%
寄付の要請を断ると自社の立場が不利になるため 0 0.0%
(表8━3)2007年の政党交付金(国民1人当たり250円負担)
自民党 民主党 公明党 共産党 社民党 国民新党 新党日本
166億円 111億円 28億円 0円 10億円 3億円 2億円
健全な二大政党制のため、自民党の真の再生を期待する
 私が個人的に関心がある議員が4人います。
 1人目は、日教組批判を執拗に繰り返した中山成彬氏です。
 中山氏は、「そもそも従軍慰安婦という言葉は当時はなかった。なかった言葉が(教科書に)あるというのが問題」と発言しており、今の教科書を自虐史観に基づいて編集されていると批判しています。さらに、「民主党の教育政策には、道徳教育反対等の日教組の主張が色濃く反映している」などと主張しています。
 成田空港拡張工事への反対派に対して、「公のためにはある程度自分を犠牲にしてでもというのがなくて、自分さえよければという風潮・・は大変残念だった」と述べ、千葉県知事堂本暁子(当時)から抗議を受けています。
 衆参両議院で、「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」を全会一致で決議したにも関わらず、「日本はずいぶん内向きな、単一民族といいますか・・」と発言し、アイヌ民族団体の北海道ウタリ協会の加藤忠理事長より抗議を受けています。
 同時に、中山氏は、「民主党は日教組とか自治労の人たちが幅をきかせている。この点を訴えることが次の選挙での勝利に結びつく」と強調しています(2008年12月10日付け産経新聞)。
 宮崎日日新聞(2009年8月26日付け)によると、「宮崎1区の無所属前職、中山成彬前国交相(66)の街頭演説会は25日、宮崎市中心市街地であった。山谷えり子、義家弘介両参院議員や、塩川正十郎元財務相、田母神俊雄前航空幕僚長らが応援演説し、民主党や日教組を強く批判し中山氏の支援を求めた。
 義家氏は「子どもたちのために中山成彬を国会へ送っていただきたい」、田母神氏も「日本を弱体化させる勢力が国会にばっこしている。戦う政治家がいなければ日本はだめになる」と支持を訴えた。
 中山氏は昨秋の日教組批判発言から国交相辞任の経緯を「民主党政権の流れに、これではいけないと言う役割を担った」と説明。「国の仕事を地元に持ってこられるのは私しかいない。(無所属候補)3人でだれが役に立つのか考えてほしい」と呼び掛けた」とあります。
 その結果、宮崎1区は当選が民主党推薦の川村秀三郎氏で109,411、無所属・当選6回を数えるベテランの中山氏は55,114で落選しました。「道徳教育」を推進し、「自分さえよければという風潮」「内向き」そのものの結果でした。
 経団連の活動も日教組など組合の活動も合法的です。ただ、組合の献金は個人献金です。経団連も個人献金に絞るべきです。それならば、合法的で、だれからも文句は言われないでしょう。
 中山氏の日教組批判は、そういう点で的外れです。
 西日本新聞(2009年9月13日付け)に、「自民宮崎県連 中山氏を処分 除名でも怒り収まらず 総務・支部長 合同会議 党本部にも矛先」と題する驚くべき記事がありました。
 衆院選宮崎1区での敗北を招いたとして、前国土交通相・中山成彬氏の除名処分を12日決めた自民党宮崎県連。
 中山氏らの処分を決めた党紀委員会に続いて開かれた総務・支部長合同会議では怒りの声は収まらず、矛先は公認調整を放棄した党本部や中山氏が所属する最大派閥・町村派の最高幹部にも及んだ。
 衆院選総括のため開かれた合同会議では、中山氏の「除名処分」が発表されると、約80人の出席者から大きな拍手が起
き、今後、中山氏が自民党を名乗って出馬することを県連として認めないことを確認した。
 その上で、「中山氏を応援した森喜朗元首相や町村信孝前官房長官の除名も党本部に求めるべきだ」との声が上がった。
 衆院選で自民は宮崎2、3区は公認候補が当選したが、1区は中山、上杉両氏がともに立候補する分裂選挙となり、共倒
れ。
 現行制度(小選挙区比例代表並立制)で守り続けてきた自民の議席を失った。

 日ごろの中山氏の言動と、現実の言動との差があまりに大きいので、まるで、安物の旅芝居をみる感じです。
 2人目は、伊吹文明氏です。伊吹氏には個人的にどうこう言うことはありません。
 共同通信(2008年7月16日付け)は、「自民党の伊吹文明幹事長は、京都市内で講演し、”(選挙に)勝とうと思うと(有権者に)一種の『目くらまし』をしなければしょうがない”と述べた。総選挙対策上、消費税率引き上げ先送りと、この問題などから有権者の目をそらせるための政策を打ち出すべきだとの考えを示した発言で、批判も呼びそうだ」と報道しています。
 中山氏と同じで、国民を愚弄する政治家がのうのうと自民党政治の中枢に君臨していました。
 その結果、当選8回を数えた伊吹氏は、81,913を獲得しましたが、小選挙区では105,818を獲得した民主党の新人・平智之氏に敗れ、比例区で復活当選しました。
 3人目は、西村真悟氏です。「国のためには命も投げ出す」とTVでは恰好よく発言していた西村氏は、弁護士資格を流用していたことで有罪判決を受けました。国より自分(個人)を大切にした末路です。大体、自分を大切にする人間ほど大言壮語するものです。「正義」を振り回す者ほど気をつけよとは箴言です。
 結局、民主党からも助命されました。国家のために命を投げ出す国士ならその段階で、国会議員を辞職しています。しかし、今度は、改革クラブより立候補しました。
 その結果、当選6回の西村氏は、36,650を得ましたが、3位で落選しました。当選1回の民主党・辻恵氏が92,666で当選しました。
 4人目は、森喜朗元総理です。キングメーカーなどと称されますが、自民党崩壊の立役者です。
 スポーツを見ても、若手が台頭せず、ベテランが活躍している種目は、世界レベルから落ちこぼれています。
 私も、クラブ指導で、常に後輩が先輩を脅かすチーム作りをしてきましたが、そのようなチームは私立のスポーツ学校に負けない活躍します。しかし、毎年、維持し続けることは、公立高校ではなかなか難しいことです。
 そういう観点で、自民党政治を見ていると、派閥のボスに資金面で面倒を見てもらっている若手は、面と向かって異論は言えません。本日(2009年9月11日)のテレビ朝日で、三反園訓氏が「派閥のボスと会っても目も見てもらえなかった」という若手議員の話を紹介していました。それではだめです。若手も覇気がないですが、覇気のない若手も育てたベボスはもっと悪いです。
 その結果、当選13回の森氏は、123,490小選挙区で当選しましたが、民主党新人の田中美絵子氏は、119,021でその差は僅か4469票でした。森氏のような派閥のボスは、自分の選挙区に張り付くことなく、若手の選挙応援に行くべきです。それができなかったところにも、自民党の惨敗の原因があります。
 05年の大勝から一転、当選者が4割程度にまで激減した自民党。とくに当選回数の少ない議員、女性議員が減り、「党のかたち」が変わった。
 05年は「小泉チルドレン」と呼ばれた多くの新顔が当選し、自民の当選者の3割近くを占めたが、前回初当選を果たした83人のうち今回も当選したのはわずか10人。最大級の逆風のなか、当選した新顔は前回より78人少ない5人のみだ。このため、当選回数の少ない議員が多い「ピラミッド」型だった構成は、当選5回が最も多く、4回がそれに続くという中堅・ベテラン主体の集団に変化した。
 05年は53・3歳だった当選者の平均年齢は、若手の大量落選に伴って、56・6歳まで上昇した。05年は女性チルドレンの擁立もあって、26人の女性が当選した。だが今回はわずか8人。当選者に占める女性の比率は前回の8・8%から6・7%に低下した。
 次期総選挙からの制限が政権公約に盛られた世襲は、前回の32・4%から42・0%に。他党も含む全体では24・6%から15・6%へと減ったが、自民は逆に増加した(朝日新聞2009年9月1日)。
(表9)選挙で自民はどう変わった?
当選回数 2005年 2009年
16 1 0
15 0 0
14 1 1
13 1 2
12 5 0
11 2 2
10 2 6
9 15 8
8 14 7
7 15 12
6 22 12
5 21 21
4 40 18
3 41 15
2 33 10
1 83 5
平均年齢 53.3歳 56.6歳
世 襲 32.4% 42.0%
女 性 8.8% 6.7%
 先の両院総会で、河野太郎衆院議員は、「総裁選出馬の推薦人を20人から10人に引き下げるように」提案をしました。一応河野太郎氏は、麻生派に属しているといわれ、麻生派は12人なので、20人は集まらないということでしょうか。しかし、この動議はあっさり否決されました。TVでは立派なことを言っても、派閥の力学には勝てないということでしょうか。
 朝日新聞や神戸新聞の記事からまとめてみました。

 表(10)をみると、総裁候補擁立に必要な20人以上を確保しているのは3派閥だけということが分かります。
 最大派閥の町村派では、森元首相らは小選挙区で勝ち残りましたが、町村信孝氏や中川秀直は小選挙区で敗れました。
 町村信孝前官房長官も出馬に含みを残していますが、党内では「比例代表での復活当選組は適当でない」との声も根強くあります。
 第2派閥の津島派では、津島雄二会長は解散前に引退し、笹川尭総務会長・久間章生元防衛相・船田元総務会長代理ららが小選挙区で敗れ、結局落選しています。総裁候補の額賀福志郎会長代理も小選挙区では敗れ、比例区で復活当選しました。石破氏は、昨年の総裁選で推薦人になった20人のうち13人が衆院選で落選したため、出馬は困難の見方もありますが、与謝野馨財務相との連携も否定できません。
 第3派閥の古賀派では、堀内光雄元総務会長、丹羽雄哉元厚相、柳沢伯夫元厚労相らが落選しました。古賀誠元幹事長や総裁候補の谷垣禎一元財務相らは小選挙区で勝利し、衆院議員の数では第1派閥となっています。古賀誠選対本部長代理は、谷垣氏が出馬に踏み切った場合、古賀派として支援する考えを示唆しているが、派閥や長老が主導すれば中堅・若手の反発を招く恐れもあります。
 第4派閥の山崎派では、派閥の領袖・山崎拓元幹事長が落選しています。総裁候補のの石原伸晃幹事長代理が頑張っています。
 第5派閥の伊吹派では、中川昭二前財務相、谷津義男元農水相らが落選し、派閥の領袖・伊吹文明氏は小選挙区で敗れましたが、比例区で復活当選しました。
 第6派閥の麻生派では、中馬弘毅座長が落選しています。河野氏は、06年の総l裁選では推薦人が集まらず出馬を断念
しましたが、今回は派閥横断的に確立の動きが広がっています。
 第7派閥の高村派では、総裁候補の高村正彦元外相や大島理森国対委員長らは、小選挙区で勝利しています。
 第8派閥の二階派では、衆院議員が二階俊博氏のみですが、小選挙区で勝利しています。

 2009年8月31日、選挙結果を反省し、菅義偉選対副委員長は、「派閥会長が集まって物事を決めることはなくすべきだ」と記者団に語り、派閥的な動きを牽制した。若手を中心に小選挙区での落選者を総裁候補から辞退させるという動きが出てきています。
 しかし、派閥のボスに養ってもらっている若手がどこまで過去のlしがらみを断ち切って、実現できるか関心があります。
(表10)総選挙後の派閥の比較
  新勢力 解散前
派閥名 合計 衆院議員 参院議員 合計 衆院議員 参院議員
町村派 50 23 27 89 62 27
津島派 30 13 17 68 45 23
古賀派 34 25 60 51
山崎派 19 16 41 38
伊吹派 15 26 20
麻生派 12 21 17
高村派 16 14
二階派 16 13
 麻生首相は演説で、「日の丸をひっちゃぶいて(引き破いて)、二つくっつけた。日の丸をふざけたような形で利用するなんてとんでもないと、もっと怒らにゃいかんのです」などと強調。「我々は真の保守政党。家族、郷土、日本、日の丸をきっちりと守る」と述べた(2009年8月20日付け読売新聞)。
 中山成彬氏は、「民主党は日教組とか自治労の人たちが幅をきかせている。この点を訴えることが次の選挙での勝利に結びつく」と強調しています(2008年12月10日付け産経新聞) 
 麻生首相が「真の保守政党」と演説するのも、西村真悟氏が「国のためには命も投げ出す」と叫ぶのも、中山成彬氏からすると、選挙に勝利する「めくらまし」だったということです。
 2009年9月2日の共同通信は、「産経記者が不適切書き込み 衆院選めぐりネット投稿で」と題して、次のように記事を掲載しました。
 産経新聞社会部の選挙班の記者が衆院選の結果について、インターネット上に短文を掲載するサービス「ツイッター」に
「民主党さんの思うとおりにはさせないぜ」・「産経新聞が初めて下野」と投稿、批判を受けて謝罪していたことが2日、分かった。
 同社広報部によると、選挙班は専用サイトを公示日の8月18日に開設。問題の短文は民主党圧勝が判明した同30日夜以降に記者が投稿した。翌日に同班としてサイト上で「軽率な発言だったと反省しています」と謝罪し「自民党政権に対してもそうであったように、是々非々の立場でのぞみたいという意思表示のつもりでした」と釈明した。
 同社広報部は「不偏不党を社是としており、今後もこの一貫した方針に変わりはありません」とコメントしている。」
10  「ツイッター」の記事の全文は次の通りです。
(1)産経新聞が初めて下野なう
 1:34PM Aug 30th webで
 SankeiShakaibu
 産経新聞社会部
(2)でも、民主党さんの思うとおりにはさせないぜ。これからが、産経新聞の真価を発揮するところ。
 1:36PM Aug 30th webで
 SankeiShakaibu
 産経新聞社会部
(3)産経新聞社会部
 乞うご期待、ということで、13日間に渡った本ツイッターはこれにて終了させていただきます。ごフォローありがとうございました。またアレします。
 1:41 PM Aug 30th webで
(4)SankeiShakaibu
 産経新聞は、保守系の「正論路線」を基調とする新聞です。発言は、新政権を担う民主党に対し、これまで自民党政権に対してもそうであったように、社会部として是々非々の立場でのぞみたいという意思表示のつもりでした。
 1:15 AM Aug 31stwebで
(5)SankeiShakaibu
 下記の発言について、たくさんの厳しいご意見をいただきました。軽率な発言だったと反省しています。ご不快の念を抱かれた方には、お詫び申し上げます。
 1:15 AM Aug 31st
(6)SankeiShakaibu
 これまで同様に客観的な事実に基づき、中立的な立場に立った上で、公正な報道をするよう、さらなる努力をしていきます
 1:39 AM Aug 31st webで
11 (1)の「産経新聞が初めて下野なう」の「なう」という意味がよく分かりませんが、たぶん、ナウ(now)ではないでしょうか。
 つまり、自民党が大敗した「今、産経新聞も初めて野党となる」ということでしょうか。
 だとすれば、(2)の「民主党さんの思うとおりにはさせないぜ」。「これからは、産経新聞は野党の立場から、真価を発揮を発揮して、野党自民党のように、民主党を攻撃しますよ」ということになります。
 産経新聞社は、「新政権を担う民主党に対し、これまで自民党政権に対してもそうであったように、社会部として是々非々の立場でのぞみたいという意思表示のつもりでした」と謝罪し、「不偏不党を社是」を表明しています。
 私は、保守の立場を鮮明にする新聞社があってもいい。しかし、このような書き込みが保守とは思いません。
 選挙に通るために保守を標榜する政治家、否、政治屋を支持する狭隘な新聞社が、骨太の保守主義者を日本から損なっていることを、体験することができました。産経新聞は、以前では東大・林健太郎氏、京大・会田雄次氏、元首相・中曽根康弘氏、最近では秦郁彦氏のように、リベラリストの私でも「なるほど」と納得する保守の学者・政治家・研究者・論者を育成してほしいと思います。大江・岩波沖縄戦裁判に見るように、「開廷審理の検証を経ていない証拠は、案件を決定する根拠になりえない」にも関わらず、検証なき証言を産経新聞や『正論』で大々的に取り上げる姿勢は、とても、保守を標榜する言論人とは言えません。
 そういう意味で、色々なところで使われていた「めくらまし」の実態が暴露された政権交代選挙だったと思います。
12  保守とは何か。これも課題です。
 選挙戦では、表側に「自民」の字がないビラを作り、受け取り拒否を防いだ。街頭演説では、麻生首相同様、民主と支持団体の日教組の関係を厳しく批判した。だが内心、「若い人は日教組って何?と思っている。無党派にこの話は届かないな」と感じていた。「自分の支持層を固め、比例復活に賭けたのだが…」とこぼす(朝日新聞2009年9月4日)。
13  小泉チルドレン(使い捨て)と小沢チルドレンの違い、郵政選挙の総括なども課題です。
14  「花より団子」という言葉があります。理論より現実が大事という意味です。
 自殺者が3万人以上、失業率が史上最高、派遣労働など日本的労務管理の崩壊、学力テスト問題など山積しています。
 身近な生活が崩壊して(腹をすかして)いては、いくら花(憲法改正・靖国参拝・保守など)を説いても、無駄でしょう。
 具体的に、何が崩壊しているかの検証もしてみたい。
15  私は、競争がある二大政党制を支持しています。自民党が敗因を真摯に総括して、民主党と激論を交わしてほしいと思っています。まだまだ究明すべき課題がありすぎます。時間を確保して、いずれ、追加して報告いたします。

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