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エピソード

305_02

第93代鳩山由紀夫内閣の成立
 戦後63年間の政治史を振り返ると、片山哲社会党内閣(社会・民主・国協3党連立)と芦田均民主党内閣(民主・社会・国協3党連立)を除いて、自民党(前身の自由党・民主党を含む)が政権維持してきました。
 戦後63年にして、鳩山由紀夫民主党内閣(民主・社民・国民・新党日本・大地の連立)が誕生しました。民主党単独でも衆議院の議席率は64.1%に達します。参議院は、自民党(改選37、非改選46)、公明党(改選9、非改選11)、民主党(改選60、非改選49)で、定数242ですから、民主党単独の議席率は45.0%ですから、社民党などの連立が必要です。仮に2010年に予定されている第22回参議院選挙で過半数をとれば、民主党の単独政権になる可能性もあります。
 競争のない社会は腐敗したり、堕落します。競争があれば、緊張があり、切磋琢磨して、社会は発展を遂げます。
 このことを実感し、実証したいと思います。
1945(昭和20)年
 8月15日、鈴木貫太郎内閣総辞職
 8月17日、東久邇宮稔彦王内閣成立
 10月9日、幣原喜重郎内閣成立
1946(昭和21)年
 5月22日、第一次吉田茂内閣成立
1947(昭和22)年
 5月24日、片山哲社会党内閣成立(社会・民主・国協3党連立)
1948(昭和23)年
 3月10日、芦田均民主党内閣成立(民主・社会・国協3党連立)
 10月15日、第二次吉田茂内閣成立
1949(昭和24)年
 2月16日、第三次吉田内閣成立
1952(昭和27)年
 10月30日、第四次吉田内閣成立
1953(昭和28)年
 5月21日、第五次吉田内閣成立
1954(昭和29)年
 12月10日、鳩山一郎内閣成立
1955(昭和30)年
 3月19日、第二次鳩山内閣成立
 11月15日、保守合同で自由民主党結成(「五十五年体制」成立)
 11月22日、第三次鳩山内閣成立
1956(昭和31)年
 12月23日、石橋湛山内閣成立
1957(昭和32)年
 2月25日、岸信介内閣成立
1958(昭和33)年
 6月12日、第二次岸内閣成立
1960(昭和35)年
 6月19日、日米新安保条約自然成立
 7月19日、池田勇人内閣成立
 12月8日、第二次池田内閣成立
1961(昭和36)年
 12月9日、第三次池田内閣成立
1964(昭和39)年
 11月9日、佐藤栄作内閣成立
1967(昭和42)年
 2月月17日、第二次佐藤内閣成立
1970(昭和45)年
 1月14日、第三次佐藤内閣成立
1972(昭和47)年
 7月7日、第一次田中角栄内閣成立
 12月10日、第二次田中内閣成立
1974(昭和49)年
 12月9日、三木武夫内閣成立
1976(昭和51)年
 2月、ロッキード事件発覚
 6月25日、河野洋平ら離党し新自由クラブ結成
 12月24.福田赳夫内閣成立
1978(昭和53)年
 11月26日、自民党総裁予備選で大平幹事長圧勝。福田首相は本選挙不出馬
 12月7日、大平正芳内閣成立
1979(昭和54)年
 11月6日、首班指名で自民党から大平、福田の2人が立候補(四十日抗争)
 11月9日、第二次大平内閣成立
1980(昭和55)年
 7月17日、鈴木善幸内閣成立
1982(昭和57)年
 11月24日、総裁予備選で中曽根康弘が勝利
 11月27日、中曽根康弘内閣成立
1983(昭和58)年
 10月12日、ロッキード事件裁判で田中角栄元首相に一審有罪判決
 12月18日、第37回総選挙で自民党250(議席率48.9%)、社会党112、新自由クラブ8(議席率1.6%)
 12月27日、第二次中曽根内閣成立(新自由クラブと連立)
1986(昭和61)年
 7月6日、衆参同日選挙で自民党300(議席率58.6%)
 7月22日、第3次中曽根内閣成立
 8月15日、新自由クラブ解党
1987(昭和62)年
 7月4日、自民党竹下派(経世会)旗揚げ
 10月20日、中曽根首相が竹下自民党幹事長を後継総裁に指名
 11月6日、竹下登内閣成立
 12月9日、宮沢副総理・蔵相がリクルート疑惑で辞任
1989(昭和64)年
 1月7日、昭和天皇崩御
1989(平成元)年
 6月3日、宇野宗佑内閣成立
 7月23日、第15回参議院選挙で自民党(改選36、非改選73)、社会党(改選46、非改選22)
 8月10日、海部俊樹内閣成立
1990(平成2)年
 2月18日、第39回総選挙で自民党275(議席率53.7%)
 2月21日、第二次海部内閣
1991(平成3)年
 10月5日、海部首相、続投を断念
 11月5日、宮沢喜一内閣成立
1992(平成4)年
 5月22日、日本新党結成(細川護熙代表)
 10月14日、5億円のヤミ献金問題(東京佐川急便事件)で金丸信議員辞職
 12月18日、自民党竹下派分裂、小沢グループが羽田派を結成
1993(平成5)年
 6月18日、宮沢内閣不信任案255対220で可決(自民党羽田派など39名賛成・欠席16名)
 6月21日、新党さきがけ結成
 6月23日、新生党結成
 7月18日、第40回総選挙で自民党223(議席率43.6%)
 7月30日、自民党総裁に河野洋平を選出
 8月9日、8会派連立の細川護煕内閣成立
1994(平成6)年
 1月29日、少選挙区比例代表並立制可決成立
 4月25日、5党派により統一会派・改新党結成
 4月26日、社会党連立離脱
 4月28日、羽田孜内閣成立
 6月30日、自(223)社(70)さ(13)連立の村山富市内閣成立(議席率59.8%)
 12月10日、民社党・新生党など解党、新進党結成(海部俊樹党首)
1995(平成7)年
 1月17日、阪神淡路大震災
 9月22日、自民党総裁に橋本龍太郎選出
1996(平成8)年
 1月11日、橋本龍太郎内閣成立
 9月28日、民主党結党(菅直人・鳩山由紀夫代表)
 10月20日、第41回総選挙で自民党239(議席率47.8%)+社民党(旧社会党)15+さきがけ2(議席率51.2%)
 11月7日、第2次橋本内閣成立(社さは閣外協力)
1997(平成9)年
 12月27日、新進党解党正式決定
1998(平成10)年
 1月6日、自由党結成(党首小沢一郎)
 4月27日、野党4党が合流して新・民主党結成(菅直人代表)
 7月12日、第18回参院選で自民党(改選44、非改選59)、民主党(改選27、非改選20)
 7月30日、小渕恵三内閣成立
1999(平成11)年
 1月14日、小渕内閣改造(自民党239+自由党18と連立)(議席率51.4%)
 10月5日、小渕内閣改造(自自公3党連立)
2000(平成12)年
 4月1日、自由党連立離脱
 4月3日、自由党分裂、保守党結成(扇千景党首)
 4月5日、森 喜朗内閣成立(自公保連立)
 6月25日、第42回総選挙で自民党233+公明党31+保守党7(議席率56.4%)
2001(平成13)年
 4月24日、自民党総裁に小泉純一郎当選
 4月26日、小泉純一郎内閣成立
 7月29日、第19回参院選で自民党(改選78、非改選61)、公明党(改選13、非改選10)、保守党(改選1、非改選4)
2003(平成15)年
 9月26日、自由党と民主党が合併
 11月9日、第43回総選挙で自民党237+公明党34+保守新党5(議席率57.5%)
 11月19日、第2次小泉内閣成立
2004(平成16)年
 5月18日、民主党代表に岡田克也幹事長が就任
 7月11日、第20回参院選で自民党(改選49、非改選66)、公明党(改選11、非改選13)。民主党(改選50)
2005(平成17)年
 8月8日、小泉首相は衆議院を解散(参議院で自民党反対派の造反で郵政民営化法案を否決)
 8月17日、自民党非公認の綿貫・亀井らが国民新党結成
 9月11日、第44回総選挙で自民党296+公明党31(議席率68.1%)
 9月17日、民主党代表に前原誠司選出
 9月21日、第3次小泉内閣成立
 10月14日、郵政民営化法案が可決・成立
2006(平成18)年
 3月31日、民主党・永田寿康衆院議員の「送金メール」問題で辞職願提出
 4月7日、民主党代表に小沢一郎選出
 9月26日、安倍晋三内閣成立
2007(平成19)年
 7月29日、第21回参議院選挙で自民党(改選37、非改選46)、公明党(改選9、非改選11)。民主党(改選60、非改選49)
 9月26日、福田康夫内閣成立
2008(平成20)年
 9月25日、麻生太郎内閣成立
2009(平成21)年
 8月30日、第45回総選挙で民主党308+社民党7+国民新党3+新党日本1+新党大地1(議席率66.6%)
 9月16日、鳩山由紀夫氏が第93代総理大臣に選出されました。
  鳩山由紀夫 若林正俊 山口那津男 志位和夫 平沼赳夫 白票
衆議院 327 119 21 9 4  
参議院 124 84 21 7   1

*国務大臣に次の人々が就任しました。
内閣総理大臣:鳩山由紀夫
副総理・国家戦略担当:菅直人
総務大臣:原口一博
法務大臣:千葉景子
外務大臣:岡田克也
財務大臣:藤井裕久
文部科学大臣:川端達夫
厚生労働大臣:長妻昭
農林水産大臣:赤松広隆
経済産業大臣:直嶋正行
国土交通大臣:前原誠司
環境大臣:小沢鋭仁
防衛大臣:北澤俊美
内閣官房長官:平野博文
国家公安委員会委員長:中井洽
金融・郵政改革担当大臣:亀井靜香(国民新党)
消費者・食品安全担当大臣:福島瑞穂(社会民主党)
行政刷新担当大臣:仙谷由人
*内閣官房副長官・内閣法制局長官
内閣官房副長官松野頼久、松井孝治、瀧野欣彌、宮ア礼壹
*内閣総理大臣補佐官
中山義活、小川勝也
 9月17日、鳩山内閣支持率71%、歴代2位タイ 朝日新聞世論調査
10  9月18日
*副大臣
内閣府副大臣:大島敦、古川元久、大塚耕平
総務副大臣:渡辺周、内藤正光
法務副大臣:加藤公一
外務副大臣:武正公一、福山哲郎
財務副大臣:野田佳彦、峰崎直樹
文部科学副大臣:中川正春、鈴木寛
厚生労働副大臣:細川律夫、長浜博行
農林水産副大臣:山田正彦、郡司彰
経済産業副大臣:増子輝彦、松下忠洋(国民新党)
国土交通副大臣:辻元清美(社会民主党)、馬淵澄夫
環境副大臣:田島一成
防衛副大臣:榛葉賀津也
*大臣政務官
内閣府大臣政務官:泉健太、田村謙治、津村啓介
総務大臣政務官:小川淳也、階猛、長谷川憲正(国民新党)
法務大臣政務官:中村哲治
外務大臣政務官:吉良州司、西村智奈美
財務大臣政務官:大串博志、古本伸一郎
文部科学大臣政務官:後藤斎、高井美穂
厚生労働大臣政務官:山井和則衆議院、足立信也
農林水産大臣政務官:佐々木隆博、舟山康江
経済産業大臣政務官:近藤洋介、高橋千秋
国土交通大臣政務官:長安豊、三日月大造、藤本祐司
環境大臣政務官:大谷信盛
防衛大臣政務官:楠田大蔵、長島昭久
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各閣僚がいっせいに打ち出した政策(2009年9月18日共同通信)
管 直人 国家戦略担当相 補正予算の一部執行停止へ開係閣僚と協議
原口 一博 総務相 国の出先機関は原則廃止。国と地方の協議法制化。直轄負
担金制度を廃止。西川善文日本郵政社長には辞任を要求
千葉 景子 法相 死刑執行は慎重に扱う。取り調べは可視化
岡田 克也 外相 「核密約」について11月までの報告を命令
藤井 裕久 財務相 補正予算の執行停止推進。為替介入に反対
川端 達夫 文部科学相 「アニメの殿堂」建設を中止。学力テストは抽出制に
長妻 昭 厚生労働相 母子加算を早期復活。年金の最低加入期間短縮
赤松 広隆 農相 戸別所得補償を2011年度から本格実施。減反は見直し
直嶋 正行 経済産業相 温室効果ガス25%減目標について産業界に理解を要請
前原 誠司 国土変通相 八ツ場ダム、川辺川ダム建設中止。高速道路無料化。
整備新幹線建設も見直し検討対象に
小沢 鋭仁 環境相 温室効果ガス25%減目標の実現に総力
北沢 俊美 防衛相 インド洋での海自給油は来年1月の期限切れ後、延長せず
平野 博文 官房長官 事務次官以下の官僚による記者会見を原則廃止
中井 治 国家公安委員長 おとり捜査や司法取引などの導入を検討
亀井 静香 金融・郵政改革担当相 郵政民営化見直し。中小企業の借り入れ返済を猶予する法
案を次期臨時国会に提出
福島 瑞穂 消費者行政担当相 消費者庁が年間賃料8億円超の民間ビルに入居している
問題で、迅速調査し対応策を検討
仙谷 由人 行政刷新相 縦割り補助金・天下りの構造を徹底的に総括
9月18日 鳩山内閣支持率は72% 共同通信調査
12  9月19日、麻生政権「駆け込み認可」の高速4車線化、発注見合わせ(朝日新聞社)
 9月25日、全国学力調査「過去問使い事前対策」 鳥取の小中7校(朝日新聞社)
 同、宝塚線脱線、事故調委員が情報漏らす JR西前社長に(朝日新聞社)
 9月28日、自民党総裁に谷垣禎一を選出
 10月1日、公明、自民候補の推薦見送りへ 10月参院補選で(共同通信)
 10月4日、中川元財務相、都内の自宅で死亡 死因不明、病理検査へ(朝日新聞社)
 10月5日、御手洗・経団連会長、経産相と懇談 政権との対話やっと(朝日新聞社)
 同、補正見直し、2.5兆円確保 目標3兆円へ最終調整(朝日新聞社)
 10月9日、学力調査、抽出方式は来春から 川端文科相が意向(朝日新聞社)
 同、オバマ氏にノーベル平和賞 「核なき世界」を評価(共同通信)
 10月11日、依然高い内閣支持率「75%」鳩山内閣(産経新聞)
政権交替で何が起きているのか
 1947年に成立した(旧)教育基本法第10条(教育行政) には、「 教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである」とあります。
 2006年に成立した(新)教育基本法第16条(教育行政)には、「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない」とあります。
 新旧を比較すると、旧は戦前を反省して「教育行政は時の権力者の恣意を排除する」と読めます。しかし、新は「この法律及び他の法律の定めるところにより」と規定し、一見すると、法の下の教育行政と読み取れますが、国会の議決を必要としない「他の法律」によって、権力者の恣意的により左右することが可能になっています。
 以下の文章は、エピソード高校日本史(303-01)の再掲です。
 11月10日、安倍首相のブレーンでもある八木秀次高崎経済大学教授は、産経新聞に「教基法は教職員の法令遵守が眼目」と題して、次のような記事を掲載しました。
 現行教育基本法では教育界の正常化は難しい。そこで「この法律及び他の法律に定めるところにより行われるべきものであり」との文言を付け加え、教職員に法令遵守の徹底を求めようというのである。
 必修科目の履修漏れでも明らかなように、教育現場の遵法意識は低い。それが国旗国歌の問題や勤務時間中の組合活動、露骨な選挙運動という違法行為にも繋がっている。
 左派系教職員組合の影響力を排除し、教育界を正常化するためにも早期の教育基本法改正が望まれる。
*解説1:(旧法は「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきもの」と規定されています。新法は「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきもの」と規定されています。旧法は、教育は国民全体に責任を負うもので、選挙などによって左右されないと規定しています。新法からは、国民全体に責任を負うという文言が消え、法律やその他の法律に従うとなりました。つまり、選挙のたびに、法律が変わり、それに従って教育が左右されるようになるのです。八木氏は、全て自分らの思想が通用していると思っていますが、今はそうです。将来ともそうだと思っているところに、発想の貧弱さを感じます)
 次に、「教員免許更新制」を取り上げます。
 「Wikipedia教員免許更新制」によると、導入の経緯として次のように記載されています。
 日本における教員免許更新制の議論は、1983年に自民党文教制度調査会による「教員の養成、免許等に関する提言」が始まりである。同提言において、教員免許状に有効期限を付し、更新研修を義務付けるための検討が求められている。
 そして、教員免許更新制が具体化したのは、2000年頃からの学力低下論争や教員の質の問題(いずれもマスコミにより意図的にクローズアップされた。特に問題教師について)などを受け、以前から教育に関心のあった安倍晋三氏が政権に就いた後、教育再生会議が教員免許更新制を提言、2007年6月の教育職員免許法の改正によって2009年4月からの導入が決定した。
 文部科学省のホームページを見ると、「教員免許更新制の目的」を次のように規定しています。
 教員免許更新制は、その時々で教員として必要な資質能力が保持されるよう、定期的に最新の知識技能を身に付けることで、教員が自信と誇りを持って教壇に立ち、社会の尊敬と信頼を得ることを目指すものです。
 更新制は不適格教員を排除することを目的としたものではありません。
*解説2:ことさら、「更新制は不適格教員を排除することを目的としたものではありません」と強調しているところが面白いし、一部にはそういう意図があったことを如実に物語っています。
 産経新聞(2009年9月12日付け)は、「教員免許の更新制度廃止へ 民主・輿石氏が明言」と題して、次のような記事を載せています。
 民主党の輿石東(こしいし・あずま)参院議員会長兼代表代行は12日、甲府市内で記者会見し、今年4月に導入された教員免許更新制度の廃止に向け、来年の通常国会にも教育職員免許法改正案を提出する考えを示した。教員免許更新制度は安倍晋三内閣が教育再生の目玉として導入を決めたが、民主党の有力支援団体である日本教職員組合(日教組)が強く廃止を求めてきた。政権交代により教育改革路線は一気に後退する公算が大きい。
 輿石氏は元山梨県教組委員長で、日教組の政治団体「日本民主教育政治連盟」会長を務める。小沢一郎代表代行と太いパイプを持ち、「参院民主党のドン」といわれる。
 輿石氏は「教員免許更新制は変えなければならない。できるだけ早くやる方向になる」と明言、来年の通常国会での改正案提出についても「当然あり得る」と述べた。平成23年度から免許更新制を廃止することにも「間に合えばそうする」と前向きな考えを示した。
 指導力不足の教員排除を可能とする改正教育職員免許法は19年6月に成立。教員は10年ごとに計30時間以上の講習を受け、認定試験で不合格となれば、2年以内に再試験で合格しない限り、教員免許が失効する。<BR>
 民主党は衆院選マニフェストに「教員の資質向上のため、教員免許制度を抜本的に見直す」と明記。社民党も「免許更新制を廃止」を掲げてきた。
 さらに、産経新聞(2009年9月13日付け)は、「日教組の主張通りへの一歩に 免許更新制廃止」と題して、産経新聞記者・鵜野光博氏の署名記事を紹介しています。
 民主党の輿石東(こしいし・あずま)参院議員会長兼代表代行が廃止に向けた法改正案を提出する考えを示した「教員免許更新制」。教育問題に詳しい八木秀次・高崎経済大教授は、「廃止は日教組の主張そのままだ。今後、安倍内閣が手がけた教育再生をゼロベースに戻し、日教組の主張通りの政策に転換する第一歩と考えていいのではないか」と懸念を示す。
 同制度は当初、不適格教員の排除が目的の一つとされた。「不適格」には指導力不足に加え、組合や政治活動で度重なる処分を受けた教員も含まれる見通しだった
 しかし、検討の過程で「悪い者はダメという“性悪説”から、大学で最新の知識技能を学んで指導力を向上させようという“性善説”に変わった」と文部科学省幹部は説明する。
 その結果、同省は今年4月の導入に当たり、「不適格教員の排除が目的ではない」と表明。だが、放課後の指導などで多忙な教員が30時間を割いて「最新の知識技能」を大学で受講することに、「意味があるのか」との批判が、日教組系ではない教員からも起きた。座学をこなせば大半が合格する認定試験にも疑問が呈されていた。
 八木教授も「安倍内閣の退陣で、制度設計が未完成のまま実施された」と不備を指摘する。
 同制度の廃止は教育界で支持される公算が大きい。しかし、「不適格教員の排除」が、現場の課題であることに変わりはない。
 民主党は政策集で、教員の指導力向上のため、教員免許取得に必要な大学の4年制養成課程を、大学院2年も含む6年制に延長することを表明している。
 しかし、現在、教育現場にいる不適格教員に、日教組に支持される民主党がどれだけメスを入れることができるのか。八木教授は「民主党と日教組が一体の関係では、改善を期待できない」と話している。(鵜野光博)
*解説3:いつも私が救われるのは、産経新聞が愚直な本音記事を書いてくれるからです。文科省がわざわざ、「教員免許更新制の目的」で「不適格教員を排除することを目的としたものではありません」と断り書きをしているにもかかわらず、産経の鵜野記者は「不適格教員の排除が目的の一つとされた」「不適格には、組合や政治活動で度重なる処分を受けた教員も含まれる」と書いています。「裃の下の鎧」は、裃の覆われてこそ意味がある。
 自民党の重陳・伊吹文明氏は、選挙の前に「めくらまし」が欲しいと公言する。産経新聞の記者や産経新聞に依拠する学者も、簡単に本音を吐露する。国民を愚弄しているのか、国民を愚弄する人物を起用するのか。保守とはこんなたわいなものなのか。こんな保守なら不要ではないでしょうか。
 私のようなリベラリストでも、林健太郎氏や会田雄次氏には敬服したものです。このような人に支持される政党・新聞・学者の出現を期待します。
憲法や法に認められた日教組攻撃は選挙戦略だ!!(中山成彬氏)
 中山成彬氏は、根拠を明示せず、激しく日教組を攻撃します。女性問題で内閣官房副長官を辞任した鴻池祥肇氏や弁護士資格をまた貸しして有罪判決を受けた西村真悟氏もTVに出ると、口を極めて日教組を批判します。
 憲法28条には「勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する」と規定しています。
 これを受けて労働組合法第1条には「この法律は、労働者が使用者との交渉において対等の立場に立つことを促進することにより労働者の地位を向上させること、労働者がその労働条件について交渉するために自ら代表者を選出することその他の団体行動を行うために自主的に労働組合を組織し、団結することを擁護すること並びに使用者と労働者との関係を規制する労働協約を締結するための団体交渉をすること及びその手続を助成することを目的とする」と規定しています。
 日教組は、憲法や労働組合法で認められた組織・団体です。以前、中山成彬氏は、「民主党は日教組とか自治労の人たちが幅をきかせている。この点を訴えることが次の選挙での勝利に結びつく」と強調していました(2008年12月10日付け産経新聞)。つまり、選挙目当ての「セコイ」「めくらまし」だったのです。
 民主党政権が誕生し、川端達夫氏が文科相に就任すると、「日教組との関係は?」と問われて、次のように解答しています。
 「日教組は教育にかかわる団体の一つ。教育は生徒児童、保護者、地域、いろんな立場がある。それを総合的に考えて教育をやっていくのが行政の責任。教職員の一つの団体の声をうかがうこともやぶさかではない。幅広い声の一つ、大事な声だとつ、大事に思う思っている」(2009年9月20日付け朝日新聞)。

 共同通信(2009年8月25日付け)は、「民主、全国学力テストを大幅縮小 11年度から抽出方式の方針」と題して、次のような記事を掲載しました 。
 民主党は24日、衆院選で政権を獲得した場合、全国の小学6年と中学3年の児童・生徒を対象に毎年行われている全国学力テストについて、2011年度から一部の学校に絞る「抽出方式」へ大幅縮小する方向で見直す方針を固めた。学校、地域間の競争激化や序列化につながりかねないと懸念する教育現場の声を取り入れる。見直しが間に合わない来年度については中止も含め検討する。
 民主党は、政府の無駄遣いを精査する「事業仕分け」を行った際、全国一斉方式の学力テストを「抽出調査で十分。毎年実施する必要があるか検討すべきだ」として「改善」の対象に位置付けた。その上で、抽出方式への切り替えにより学力テストに関する文部科学省の09年度事業費49億円のうち40億円が削減できると主張していた。
 抽出方式では、対象とする学年を増やし、従来の国語と算数・数学2教科以外の教科についても調査する方向だ。
 民主党は、教育問題を衆院選マニフェスト(政権公約)の柱の一つに据え「高校無償化」などを掲げたが、学力テスト見直しは盛り込みを見送った上で対応を検討。教育現場からの「『点数至上主義』につながり、子どもの学力向上には役立たない」との指摘を重視し、見直しを決めた。
 産経新聞(2009年8月27日付け)は、「学力テスト、民主政権なら「全員」から「抽出」に?」と題して、次のような記事を掲載しました。
 全国学力テストは、43年ぶりの復活から3年目を迎えた。しかし、「全員調査」の是非や結果公表のあり方をめぐって議論が絶えず、政権交代となった場合には、どのような形で継続するのかも不透明だ。
 ■選挙後は制度変更?
 衆院選を優位に戦う民主党は、政権獲得の際には全国学力テストを現在の「全員調査」から、対象を一部の学校に絞る「抽出方式」へと見直す方針とされる。「全員調査は競争をあおる」とする日教組などの意見を反映したものだが、文部科学省は「一人一人が自分の学力を把握し、課題を見いだすには全員調査が必要」としている。今後「全員か抽出か」が焦点の一つとなりそうだ。
 文科省は今回の調査で、大阪など過去2回の成績下位から脱する自治体が出てきたことについて、「学力テストを契機に、教師の独力だけでなく学校、教育委員会レベルで学力向上に取り組む流れができてきた」と評価。「全員調査であることが各校の取り組みのモチベーションを高めている」とみている。
 自治体の教委からも「全員調査なら学校単位で経年比較もでき、教え方をチェックするには最適」(宮城県)との声が聞かれる。
 これに対し、抽出を支持する東京理科大の沢田利夫教授は「10年前と今とで学力の推移を見るには同じ問題を出すのが一番いいが、全員調査ではそれが限定的にしかできない」と指摘。「科目が絞られ、現状で国語と算数・数学重視になっていることも問題だ」と懸念を示している。
 朝日新聞(2009年9月7日付け)は、「鳥取県、学力調査の学校別結果開示 全国初」と題して、次のような記事を掲載しました。
 鳥取県教育委員会は7日、今年4月に実施された09年度の全国学力調査について、市町村別結果に加え、学校別結果を情報公開請求者に開示した。大阪府などで市町村別結果の公開は進むが、学校別結果まで開示したのは全国の都道府県で初めて。
 開示内容は、小学6年の国語と算数、中学3年の国語と数学の平均正答率の一覧。
 学校別結果が開示されたのは公立の小、中、特別支援学校の計207校のうち、小学校113校と中学校53校。個人が特定されることを避けるため、児童・生徒10人以下の学級がある30校は開示しなかった。また、修学旅行で後日に調査を実施した11校は集計の対象外となった。
 鳥取県は昨年12月、市町村別と学校別の結果を今年度から開示できるよう情報公開条例を改正。条例には、開示を受けた請求者に対し、学校の序列化や過度の競争が生じることのないよう配慮を求める規定を設けたが、配慮の具体的な内容は盛り込まれなかった。開示に反対していた鳥取市教委の中川俊隆教育長は「県教委はネット社会の恐ろしさが分かっていない」と批判する。
 都道府県教委による調査結果の公表を禁じている文部科学省の岩本健吾・初等中等教育局参事官は「文科省の方針を理解いただけなかったのは残念だ。開示された結果が独り歩きして、地域や学校の序列化を招く恐れがある」と話している。
 共同通信(2009年9月17日付け)は、「学力テスト「抽出でも」川端文科相」と題して次のような記事を掲載しました。
 川端達夫文部科学相は17日未明の記者会見で、小6と中3全員を対象にする全国学力テストについて「目的は全国的な教育水準の確保で、抽出調査でもいい。むしろ科目を増やすことも議論すべきだ」と述べ、調査方法の変更に向け幅広く意見聴取する考えを示した。
 朝日新聞(2009年9月25日付け)は、「全国学力調査「過去問使い事前対策」鳥取の小中7校」と題して次のような記事を掲載しました。
 文部科学省が4月に実施した09年度の全国学力調査をめぐり、全国で初めて学校別の結果を今月に開示した鳥取県で、少なくとも公立小中学校の7校が調査直前に、過去出題された問題を勉強させるなどしていたことが、県教職員組合の調べでわかった。
 県教組によると、授業を遅らせて学力調査対策に取り組んだ学校もあるといい、「昨年12月に学校別の開示が決まったことで平均点を上げようとする意識が生まれ、教育現場に負担が強いられている」と指摘している。
 県教組は学力調査後の4〜5月、県内の小中学校と特別支援学校計203校の教職員に回答を求め、85校の教職員が応じた。6小学校と1中学校で、「学力調査で過去出題された問題を勉強させた」「本来の授業を遅らせてテスト勉強させた」などの回答があった。管理職の指示があったとの報告もあったという。
*解説4:競争すれば、必ず1位があり、最下位があります。政治家や新聞記者や学者は、最下位になったことがないので、競争の論理を振り回す。私も「競争ないパソコン技術は井の中の蛙的技術」だと揶揄します。
 しかし、人間の評価と、パソコン技術の評価とは全く異なります。
 私の体験は何度も書きましたが、何度でも書きます。
(1)模試結果を、教科(社会)や科目(日本史、世界史)を公表しないときは、入試結果で、自分自身の至らなさを謙虚に反省して、次回に備えていました。
(2)模試結果が科目ごとに公表されるようになりました。テスト問題は1カ月前に学校に届きます。その間、係が封を開く前に開かれています。事前にテスト問題を見て、授業で使っているのです。1問を知れば、配点で5から10点かさ上げできます。東大や京大に多数合格させるH高校があります。ある時、世界史に関してそのH高校より平均点が高いA高校が話題になりました。
(3)2年生の段階では、日本史と世界史を必修します。3年になると、日本史か世界史を選択します。ある世界史の先生は、成績の悪い生徒や授業態度が気に入らない生徒を徹底的に個人攻撃して、3年時での世界史の選択者を少数クラスに仕上げます。7対3か8対2にします。当然分母が多い方が模試の平均点は低下します。しかし、公表されて話題になる数字は、全国平均を上回っているかどうかです。分母の多寡は問題になりません。
 以上のように、意味のないペーパーテストによる学力を学校別、教科別に公表すると、実力のない学校・先生は、色々と手段を考えます。その結果、先生と先生、先生と生徒、先生と保護者が分断されるのです。教育はお互いの信頼関係によって成り立っています。それを破壊することに全力を挙げているとしか私には考えられません。
 学力テストは必要ない、せめて抽出で十分です。その費用を学校の先生のために使うべきです。
無意味なペーパーテストによる学力テスト競争より、不登校問題の解決を
 大阪府知事の橋下徹氏が学力テストの市町村別の結果公表に執念を燃やしています。
 川端達夫文科相は、「学力調査、抽出方式は来春から」と表明しました。60億円という膨大な税金を使って、役に立たないペーパーテストで、先生、学校、地域、都道府県をランク付けし、競争させることに意味は全くありません。
 競争すれば、当然1位があり、最下位があります。その結果、心を傷つけられた児童・生徒に思い至らないのでしょうか。文科省の調査では、2008年度の不登校は小学校で2万2000人、中学校では10万7000人(35人に1人)と報告いされています。
 次代を担う子供たちが夢を失っている状況を解決する方が先決です。成績のいい子はほっておいても勉強するものです。大人の手助けを必要とする子どもたちに目を向けることの方がはるかに大切です。子どもたちに優しい社会を作ることに私は協力したいと思います。

 その他、脱官僚を合言葉に各大臣が自分の言葉で情報発信、八ツ場ダムの中止宣言、外務省の核の密約問題、天下り問題など自民党政権下では考えられなかったことを新聞で見ます。
 「奢るものは久しからず」。自民党も次は政権を奪還する気構えが頑張って欲しい。世襲議員に頼る、お金は企業献金に頼る、政策は官僚に頼る。58歳で落選した兵庫の国会議員が「体力に自信がない」と引退しました。このような一般国民よりひ弱い人間を「選良」としてきた自民党や一部マスコミの古い体質に決別して、若い、活力のある政治家を育成して欲しいと切に願っています。
保守派は何故ひ弱いのか
 私が体験して感じている保守というイメージは、考えが古臭いが、信念があり、頑固で、古武道の達人で、近寄りがたいが、内心、尊敬していたものです。
 私は歴史が好きで、落ち込んだ時の回復には、海に行って波の寄せては返す自然の偉大さを見たり、運動に没頭したりしていましたが、最も手っ取り早く、最も利用したことが、歴史の本を読むことでした。
 林健太郎という世界史の東大教授がいました。マルクス主義や進歩的文化人が主流の時代に、高坂正顕らと「日本文化フォーラム」を結成して、彼らを厳しく批判していました。主流派からは保守のタカ派と言われていました。
 1968(昭和43)年とは、70年安保闘争の2年前のことで、全国の大学では学園紛争がす荒れ狂っていました。私が大学生の時です。文学部長となっていた林健太郎氏は、全共闘の学生に8日間にわたってカンヅメ状態にされ、学生側と団交を行ったが、学生の要求を全部拒否し、剛直な姿勢を貫き通した
1968(昭和43)年1月29日、東大医学部の学生は、登録医制度に反対して、無期限ストに突入しました。
 2月19日、東大医学部の学生は、東大医学部の医局長を缶詰にして、制度改定反対を申し入れました。
 3月12日、東大医学部は、医局長缶詰事件で17人の処分を発表しました。
 3月28日、東大医学部全闘委(全学闘争委員会)の学生は、卒業式(式場は安田講堂)の実力阻止を図りました。そこで、東京大学当局は、卒業式を中止しました。
 6月15日、東大医学部全闘委の学生は、安田講堂を占拠しました。
 6月17日 大河内一男総長は、警察機動隊の導入を要請し、機動隊1200人が構内に出動しました。
 6月20日、法学部以外の9学部は、機動隊の導入に抗議して、1日ストに突入しました。
 6月26日、東大文学部の学生は、無期限ストに突入しました。
 6月28日、大河内総長は、安田講堂で3000人の学生と会見しました。講堂に入れなかった2000人は、大教室に集合して、テレビ中継通じて、総長会見に臨みました。この頃には、東大生の半数がこの闘争に参加したといいます。
 7月2日、新左翼系(反日本共産党)の学生250人は、安田講堂をバリケードで封鎖しました。
 7月5日、東大全共闘(東大闘争全学共闘会議)が結成され、全共闘議長に東大物理学科の山本義隆氏が選出されました。
 8月28日、全学共闘会議の学生200人は、医学部本館を占拠しました。
 10月12日、法学部の学生は、無期限ストに突入しました。これにより、初の10学部無期限スト突入となりました。
 10月18日、東大医学部神経内科の医局員15人全員は、教授会に抗議し、無給医の診療を拒否しました。
 11月1日 東大評議会は、大河内総長の辞任を承認しました。同時に、豊川行平前医学部長・上田英雄前東大病院院長の退官を承認しました。さらに、10学部長も全員が辞任しました。
 11月4日、文学部長に就任した林健太郎氏らは、新学部長会議を開き、加藤一郎法学部長を学長代行に選出しました。
 同日、文学部全共闘(革マル派中心)は、学生との交渉を拒否した大河内総長らの辞任は認めず、林健太郎氏ら新学部長の就任も認めませんでした。
 17時、文学部全共闘250人は、学部長の林健太郎氏ら40人の教員を文学部第二号館に監禁し、「林の学部長就任の撤回」「教授会の討議内容の公開」「学生を処罰はしない」などを要求しました。
 それに対し、林健太郎氏らは、「教授会の決定は自分たちの一存では撤回できない」「学生の処罰はしないなどという約束はできない」と学生の要求を全て拒否しました。
 11月5日10時、大衆団交は、休憩となり、林健太郎文学部長・岩崎武雄評議員・堀米庸三評議員以外は退出を認められました。
 11月7日、岩崎武雄評議員・堀米庸三評議員は、体調不良で解放されました。林健太郎文学部長のみが監禁状態となりました。
 11月8日、丸山真男・丹下健三・団藤重光ら教授陣は、「基本的人権の重大な侵害」「大学を無法地帯とする愚挙」と声明を発表しました。さらに、三島由紀夫・阿川弘之ら学者・文化人も、「緊急の訴え」を出しました。
 11月12日2時、林文学部長は、ドクターストップにより、173時間ぶりに解放されました。
 同日20時、全学封鎖をもくろむ全共闘500人は、それを阻止しようとする民青系の民主化行動委員会(議長は東大医学部の三浦聡雄)600人と総合図書館前で乱闘となりました。
 11月14日、東大法学部の学生は、大会を開き、全学封鎖反対を決議しました。
 11月19日、東大工学部の学生は、大会を開き、全学バリ封鎖反対を可決しました。この頃から他大学の活動家が全共闘に参加するようになりました。
 12月29日、文部省は、1969年度の東大入試中止を発表しました。
1969(昭和44)年1月16日、加藤総長は、機動隊に本郷キャンパスのバリケード撤去を要請しました。
 1月18日、警視庁警備部は、8個機動隊を動員し、学生の抵抗を受けながら、医学部・工学部・法学部・経済学部などの各学部施設の封鎖を解除しし、安田講堂を包囲しました。
 1月19日15時50分、安田講堂に突入した機動隊員は、三階大講堂を制圧しました。
 同日17時46分、機動隊員は、屋上で最後まで抵抗していた学生90人を検挙し、東大安田講堂の封鎖は完全に解除されました。
(年表は、「Wikipedia東大紛争」などを参考にしました)
 この時、今も印象に残っているのは、林健太郎文学部長の態度です。私が描いていた「信念を持ち、頑固で、肉体的にも強靭な保守のイメージ」そのものだったからです。
 林健太郎氏は、全共闘が求めた度重なる団交にも嫌な顔もせずに応じるが、彼らの要求に屈するどころか、逆に学生に議論を挑んで、学生の議論を論破したといいます。やがて、学生の中から、自由を拘束した形での交渉を強要する全共闘を批判する意見が出るようになったといいます。
 警視庁の大学警備担当者・佐々淳行氏は、「警視庁では(11月)5日の時点で林の救出作戦を実行する計画をたてていた。しかし差し入れに隠したメモでその旨を林に伝えたところ、林は逆に”東大全体の封鎖解除には賛成だが、私個人の救出のための出動は無用。只今、学生を教育中”と書き送ってきたため、実行は見送られた」と書いています。林健太郎氏はそれについて、「佐々氏がいうからには本当なのだろう」とことわりつつも、このやりとりは伝令となった助手を通じて行われたもので、メモについては「記憶にない」と書いています。
 安住るり氏の「東大紛争・22歳で知ったこと」というホームページがあります。
 学生側は、学部長を選んだ教授会決定の撤回や、教授のネクタイをつかんだ学生の処分撤回など三要求を掲げていた。だが、硬骨漢で知られる林(健太郎文学部長)は、ハンドマイクを耳元でがなり立てられても、「できません」と冷静に繰り返した。その上で林は、「教官が疲労しているので、2時間に限って応答し、午後4時半になれば打ち切る」と宣言、その通りにしようとした。「不法拘束」を印象づける林の作戦だった。
 翌7日、学生の側にこうしたつるし上げへの批判が出た。林と同じ東大文学部助教授を父に、ドイツ人を母に持ち「ペーター君」と呼ばれていた学生が「こんなやり方はおかしい」と非難する。とたんに大教室は「バカヤロー、ふざけんな」というヤジと怒号に包まれた。
 「ペーター君」の友人である4年生の《アズミルリ》が立ちあがった。「自分はストに反対である。大学という場は学問研究のために必要であると思うが、アンタたちは、大学を破壊した後、何をつくろうとしているのか」
 全共闘とそのシンパで埋め尽くされた大教室で、オレンジとベージュのスーツに身を包んだ彼女の姿は際立っていた。「質問の意味がわかりませんかァ……」。返答に窮した自治会側の学生は「前に出てこい」と怒鳴り返し、アジり始めた。
 林健太郎文学部長の悠然たる態度に、全共闘は打つ手をなくして、「解放」のタイミングを探っていた。それを察して林教授は、自分を救出するための「機動隊導入」は無用、というメモを外からの伝令に渡し、三島由紀夫などからの差し入れのウィスキーをがぶがぶ飲んで”仮病”を使って倒れ、病院に運ばれた。
 このときまでに「軟禁」は173時間に及んでいた。この「大衆団交」のリーダー格だった学生の一人は、後に林教授に謝罪したが、30年後には役所の管理職になっており・・。
 それに比べ、安倍普三元首相は体調を崩して政権を1年で放り投げています。「めくらまし」で総理大臣になった?麻生太郎前首相は漢字は読めない、空気は読めないで、政権を民主党に譲り渡しています。中川昭一氏は酒と睡眠薬で56歳の若さで亡くなっています。
 郵政民営化で筋を通したのは平沼赳夫氏や亀井静香氏、若手では城内実氏です。
 私は二大政党制論者です。信念を持ち、頑固で、肉体的にも強靭な保守派と、私のようなリベラルを身上とする派とが政権を競い合って、本当に日本の発展はあると思います。
 選挙に勝つために「タカ派」を標榜している政治家もTVでよく見かけます。
 「めくらまし」と似非(えせ)保守はいりません。

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