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エピソード

306_01

完全なる政権交代(自民党から民主党へ)

 1955年、左派社会党と右派社会党が統合して日本社会党(社会党)が結成され、自由党と日本民主党が合同して自由民主党(自民党)が結成されました。これを55年体制といいます。
 しかし、実際は、改憲に必要な3分の2にやや満たない議席数の自民党と、3分の1をやや上回る議席の社会党という、名前だけの二大政党の時代でした。社会党は万年野党で、政権与党の自民党の妥協の産物による政治体制でした。
 1989年、ベルリンの壁の壁が崩壊し、東西ドイツが統一を果たしました・
 1991年、ソビエト連邦(ソ連)が崩壊し、東西冷戦および共産主義・社会主義が終焉を迎えました。
 1994年、非自民連立による細川護煕内閣が誕生し、55年体制が崩壊しました。
 1995年、自社さ連立による村山富市内閣が誕生しました。自民党は、首相を日本社会党に譲りましたが、政権与党に復活しました。
 1996年、自社さ連立による橋本龍太郎内閣が誕生しました。自民党は、首相の座を奪還しました。「さ」とは、さきがけです。
 1998年、自民党単独の小渕恵三内閣が誕生しました。
 1999年1月、自自連立による小渕恵三改造内閣が誕生しました。「自自」とは、自民党と自由党です。
 1999年10月、自自公連立による小渕恵三第二次改造内閣が誕生しました。「公」とは、公明党です。
 2009年、民社国連立による鳩山内閣が誕生しました。「民社国」とは、民主党と社民党(旧社会党)と国民新党です。
 細川護煕内閣の時、政権与党の地位を失いましたが、第一党の地位を確保していました。
 しかし、2009年の鳩山内閣の時、自民党は第一党の地位も失いました。完全な政権交代の時期に入ったのです。完全な政権交代によって、何が変わったのかを検証したいと思います。

 以下は、新聞の見出しによる政権交代を象徴する出来事を年月日毎に表示しています。
2009(平成21)年
10月 1日 野党自民、収入減り借金倍増 リストラ「汗かくしか…」
公明、自民候補の推薦見送りへ 10月参院補選で
6日 補正、公共事業は3割弱削減 見直し総額2兆5169億円
8日 学力調査、全員対象を見直し 文科省、抽出式へ最終調整
11日 歯科医師会が民主党に急接近、参院静岡補選で事実上の支援へ
13日 鳩山内閣の支持率65% 朝日新聞10月世論調査
14日 今年4月に導入された教員免許更新制は22年度で廃止 新制度移行へ
15日 学力調査、4割の学校抽出 予算21億円削減
16日 自民に下野の悲哀 厚労部会の説明役、省局長→課長に
19日 日本郵政の西川社長辞任へ 政権交代で続投困難
日医会長選出馬を正式表明 親自民転換求め原中氏
21日 母子加算、満額復活で決着 首相指示で財務相と厚労相が合意
25日 「自民以外も認める包容力なかった」日医会長が反省
28日 「郵便局網は行政の拠点」 日本郵政の斎藤次郎社長が就任会見
11月 11日 事業仕分け 自民基盤の切り崩しと政策転換のアピール
田母神論文「組織的に一企業に協力」 防衛監察本部
15日 内閣支持率62%、ムダ削減「評価」76% 世論調査
17日 教育再生懇談会など18会議廃止 自公政権の成果を否定
20日 内閣官房報償費(官房機密費)公開「政権交代こういうもの」鳩山首相
21日 天下り「指定席」194法人に8700億円 08年度
22日 産経新聞社とFNNの合同世論調査 鳩山内閣は6割超の支持率
26日 公明の自民離れ表面化 審議拒否に同調せず
12月 1日 今年の新語・流行語大賞は「政権交代」
2日 検察、首相を不起訴へ 偽装献金、直接の関与なしと判断
4日 郵政株売却凍結法、参院で可決し成立 自民欠席
11日 天皇と中国副主席 禍根残す強引な会見設定
12日 訪韓の小沢一郎民主党幹事長、植民地支配を謝罪 外国人参政権に意欲
15日 天皇陛下と習近平・中国国家副主席が会見
18日 「西松は天の声求め献金」と検察指摘 小沢氏秘書初公判
全改連会長・野中広務氏 復活を求めて小沢一郎幹事長に面会を要請
20日 内閣支持率48%に急落、民主党幹部も「モタモタしすぎな感じ」
21日 長谷川参院議員、自民離党へ 茨城県選出
野中氏「自民候補見送りも」 土地改良の予算優先で陳情
22日 沖縄核密約文書が存在 佐藤元首相の遺族が保管
舛添要一氏 「閣僚の7割は民主党 自民党から欲しいのは3割だ」
23日 「南京で大虐殺」認定 規模は今後の課題 日中共同研究
25日 学力調査「3割抽出」に 都道府県別成績は公表 文科省
離党また離党…自民に危機感 参院選の勝算も立たず
26日 共同通信社 内閣支持率が急落47% 献金説明、76%納得できず
27日 首相、贈与税6億円「手続きした」 国税は申告内容検討
2010(平成22)年
1月 1日 経団連、政党への政策評価法を再検討 献金の是非も議論
自民党への企業・団体献金、減額傾向 09年
6日 藤井財務相の辞任了承、後任に菅副総理 鳩山首相発表
8日 小沢一郎氏との「一・一ライン」復活? 市川雄一氏、公明顧問に
小野次郎氏が自民離党へ 05年初当選の小泉チルドレン
14日 「40人学級」さらに少人数に 文科省、基準見直しへ
15日 東京地検、小沢氏の元秘書の石川議員ら逮捕 大久保秘書にも逮捕状
17日 「小沢幹事長辞職を」67%、内閣支持42% 朝日新聞世論調査
18日 鳩山内閣支持率、初めて50%を下回る 時事世論調査
共同通信 閣不支持44%、初の逆転 小沢氏続投に反対73%
19日 2010年の政党交付金、民主は36億円増
21日 経団連会長、自民党大会を欠席へ 通例のあいさつなし
22日 日教組教研集会に文科省政務官出席へ 政権交代を反映
核密約、国会対策でうその答弁 元次官証言テープ見つかる
2月 4日 石川議員ら3人起訴、小沢氏は不起訴に 東京地検
6日 内閣不支持45%、初めて支持を上回る 朝日新聞調査
8日 参院民主系、社民抜きでも過半数 自民離党の田村耕太郎参院議員入党
11日 日韓併合「民族の誇り傷つけた」岡田氏…外相会談
15日 自民離党の吉村剛太郎氏、参院選は国民新公認で立候補へ
19日 日歯連 参院選比例で民主擁立の歯科医師支援を決定
21日 内閣支持37%「参院民主過半数」反対55% 世論調査
自民はなれ加速する支持団体
22日 経団連、献金主導を中止 民主に配慮 政治的中立へ
24日 公明党が鳩山政権ににじり寄り 首相も秋波 露骨な自民離れ
25日 国交省審議会の“自民寄り”委員を更迭 後任には「親民主」がズラリ
26日 小沢氏、創価学会秋谷栄之助氏と会談 民・公連携へ意見交換か
28日 元閣僚も自民離党へ 参院議員の松田岩夫元科学技術担当相
3月 3日 統幕学校 田母神俊雄前航空幕僚長の卒業席出席を一転拒否
4日 田母神氏開設の「歴史・国家観講座」を廃止 防衛省統合幕僚学校
8日 経団連、献金関与とりやめ方針決定 企業の自主判断に
9日 核密約 歴代首相ら黙認 外務省極秘メモ公開
61空港、需要予測届かず 08年度、達成8空港のみ
15日 内閣支持、32%に下落 朝日新聞3月世論調査
日医連が政治献金凍結 政権交代後、自民偏重見直し
自民に離党届の鳩山邦夫氏、GW前に新党結成の意向
16日 JR不採用問題 与党・公明が解決案 労働側は受諾方針
19日 密約の重要資料、半数破棄か 東郷元局長、衆院委で証言
21日 神崎元公明代表、引退へ 坂口副代表も勇退検討 自民離れ加速
23日 農政連、参院選で自民推薦せず 集票組織離れで打撃
政権交代を体験して
 小沢一郎氏や鳩山由紀夫氏の「政治とカネ」、発言のぶれなどの問題で、民主党の支持率は急降下です。二大政党制支持論者の私も民主党政権の誕生を喜びました。しかし、今の「体たらく」には、はっきり言って絶望状態です。
 以前、選挙によらない首相交代劇で幻滅を感じた担当者から、「忠臣蔵の講演では、特に大石内蔵助を取り上げて欲しい」という依頼がとても多かったものです。
 一事ではぶれても大局ではぶれない内蔵助とダブらせていたのでしょう。その内蔵助も、大局での決定には、あらゆる局面を想像して、長いこと沈思黙考しています。思いつきの口先ばかりの今の政治の指導者にはない姿がありました。カネにも私心を抱いていませんでした。
 政治とカネについては、厳然と対処しなければ、国民が願う二大政党制による政権交代は、はかなくも露と消えてしまいます。
 現在の民主党には、自民党的な体質と社会党的な体質が現存しています。国民政党として立脚するなら、このような旧態依然として体質からの脱却が必要です。
 ここでは、民主党のふがいなさとは別に、二大政党制による政権交代支持する立場から、その成果を検証したいと思います。
 朝日新聞の世論調査(2010年3月24日付け)によると、次の結果となっています。
 鳩山内閣の支持率は40%(不支持率51%)です。
 政党支持率をみると、民主党34%、自民党22%です。
 政権交代が起きたのは、よかった68%、よくなかった21%です。
 政権交代後、新聞やテレビの政治に関する報道を見ることは、多くなった52%、変わらない42%
 つまり、どんどん鳩山内閣の支持率は低下していますが、政権交代を支持し、そのことで政治への関心が高まったとする人がたくさんいます。これが政権交代のよいところです。
 政治とカネの問題にけじめを付け、是々非々の政治を実行すれば、国民は鳩山政権を見放してはいないということになります。
 自民党は、今、絶好の受け皿の機会にあります。が、次々に離党者を増やしています。私の教え子が「同僚が次々退職してく会社には明るさが見えない」と言っていました。自民党には、展望がないのでしょうか。それでは困ります。民主党に取って代わる気概を示すには、幕末の薩長のように、人材登用、門閥打破が必要です。

 ここで、政権交代によって、見えやすくなった現状を紹介します。
 まず、経団連の問題です。エピソード日本史(305-01)でも紹介しましたが、経団連は政治献金をするにあたって、優先政策事項に照らした評価(8−1表)を発表しました。自民党は88点、民主党は59点でした。その結果、自民党への政治献金は29億1000万円、民主党への政治献金は8000万円でした。その差36倍という物差しでした。
 2009年の総選挙で民主党が大勝しました。経団連の物差しは、国民のそれと大きくずれていたことになります。経済界の指導者と国民の物差しは違うと言うことであれば、そうかも知れません。しかし、その後の指導者の対応はどうだったのでしょうか。
 朝日新聞(2010年1月1日付け)は、「経団連、政党への政策評価法を再検討 献金の是非も議論」と題して、次のような記事を掲載しました。
 日本経団連の御手洗冨士夫会長は、朝日新聞社のインタビューに答え、会員企業が政治献金をする際の「目安」として毎年実施してきた政党への政策評価の方法を、再検討する方針を明らかにした。
 経団連は、09年分の政策評価では、政権交代後の時間不足を理由に採点を見送った。評価と献金を関連づける現行方式には、「政策を実現できる与党に有利な評価方法だ」などの批判があった。双方を切り離すことなどで、より公平な評価ができるようにするべきだとの考え方が、経済界でも増えつつある。
(8━1)優先政策事項に照らした評価 自民党 民主党
優先政策事項 合致度 取組み 実績 合致度 取組み 実績
経済活力・国際競争力の強化と財政健全化の
両立に向けた税・財政改革
-
将来不章を払拭するための社会保障制度の一
体的改革と少子化対策
-
民間活力の発揮を促す規制改革・民間開放の
実現と経済法制の整備
-
日本型成長モデル実現に向けたイノベーション
の推進
-
持続可能で活力ある経済社会の実現に向けた
エネルギー政策と地球環境対策の推進
-
公徳心を持ち心豊かで個性ある人材を育成す
る教育改革の推進
-
個人の多様な力を活かす雇用・就労の促進 -
道州制の導入の推進と魅力ある経済圏の確立 -
グローバル競争の激化に即応した通商・投資・
経済協力政策の推進
-
10 新憲法の制定に向けた環境整備と戦略的な外
交・安全保障政策の推進
-
私の採点(A=5、B=3、E=1) 46 42 - 32 27 -
88 59
日本経団連会員企業からの政治献金額
(2007年)
29億
1000万円
8000万円
 朝日新聞(2010年1月22日付け)は、「経団連会長、自民党大会を欠席へ 通例のあいさつなし」と題して、次のような記事を掲載しました。
  経団連は経済界の代表として長年自民党に政治献金するなどしてバックアップしてきた。党大会では経団連会長が出席してあいさつするのが通例で、御手洗氏も会長就任以降、2007年から毎年、党大会であいさつしてきた。
 しかし、政権交代後は、鳩山政権と「政策懇談会」を開くなど、徐々に民主党政権との関係構築を図っている。
 朝日新聞(2010年2月25日付け)は、「経団連、献金主導を中止 民主に配慮 政治的中立へ」と題して、次のような記事を掲載しました。
 企業・団体献金については、民主党が禁止を政権公約に掲げ、献金自体にも政策をゆがめるなどの批判があった。このため組織として関与するべきでないと判断した。自民党に偏っていた献金への関与をとりやめることで、民主党にも配慮し、政治的な中立性を保つことにもなる。
 これまで経団連は、企業献金の中心的な役割を担ってきた。社会貢献を理由に04年から、自民党と民主党の政策を、経団連が求める政策との整合性や実現具合などの観点で、A〜Eの5段階で採点する「政策評価」を実施。これを判断基準として傘下の企業・団体に献金するよう促し、実質的に大きな影響を与えてきた。08年の献金額は自民党に26億9900万円、民主党には1億900万円だった。

 その他、自民党の集票マシーンと言われた経済団体を見ましょう。
 朝日新聞(2009年10月25日付け)は、「『自民以外も認める包容力なかった』日医会長が反省」と題して、次のような記事を掲載しました。
 日本医師会(日医)の唐沢祥人会長は25日、東京都内で開かれた日医の臨時代議員会で「自民党だけではなく、他の政党の多様な価値観を認める包容力が欠けていた」と反省の意を表明した。政策実現のため政権与党だった自民党との関係構築に偏ってきた執行部運営を改め、自民党離れの姿勢を強調したものだ。
 唐沢氏は政権交代を踏まえて、「今こそ国民の思いを強く受け止め、国民の側に立って『国民の生命と健康を守る』という原点に立ち返る」とも語った。
 日医の政治団体である日本医師連盟は、すでに自民党支持を白紙撤回している。
 毎日新聞(2010年2月19日付け)は、「日歯連:参院選比例で民主擁立の歯科医師支援を決定」と題して、次のような記事を掲載しました。
 日本歯科医師会の政治団体「日本歯科医師連盟」(堤直文会長、日歯連)は、東京都内で臨時評議員会を開き、民主党が次期参院選比例代表の候補として歯科医師の擁立を予定しているのを受け支援する方針を決定した。日歯連は自民党の有力支持団体だったが、昨年10月に参院選で自民党公認候補を擁立する方針を撤回。民主党の石井一選対委員長が18日に「日歯連の会員の歯科医師を民主党公認候補者として擁立する」として支援を要請していた。
 共同通信(2010年3月23日付け)は、「農政連、参院選で自民推薦せず 集票組織離れで打撃」と題して、次のような記事を掲載しました。
 農協(JA)グループの政治団体、全国農業者農政運動組織連盟(全国農政連)は夏の参院選で自民党公認候補を推薦せず、自主投票とする方針を固めた。23日午後の総会で正式決定する。
 全国農政連は2007年参院選で自民党新人で元全国農業協同組合中央会専務理事の山田俊男氏を約45万票で当選させた。有力集票組織の自民離れは同党にとって大きな打撃となる。
 自民党は今夏の参院選に向け全国農政連に組織内候補の擁立を要請していたが、JAグループは昨秋、自民一党支持から与野党各党に政策実現を働き掛ける「全方位外交」に転換。このため自民党は元全国農協青年組織協議会会長の新人、門伝英慈氏を見切り発車的に比例代表候補として公認し、全国農政連に推薦を働き掛けてきた。
 朝日新聞(2010年3月23日付け)は、「農政連、自民支援せず 参院比例区、40年来の方針転換」と題して、次のような記事を掲載しました。
 農協グループの政治団体」、全国農政連は今夏の参院選比例区に組織内候補を擁立せず、自主投票にする方針を固めた。23日の総会で正式決定する。農協グループは40年前から比例区(当初は全国区)に自民党から候補者を擁立してきたが、政権交代で方針転換した。屈指の集票力を誇った組織の撤退は、自民党にとって痛手となる。
 自民党は全国農協青年組織協議会(全青協)元会長の門伝英慈氏を公認し、全国農政連に組織内候補として推薦するよう要請。民主党も元全青協会長の藤木眞也氏に立像補を打診し、全国農政連に推薦するよう求めていた。
 一方、農協グループは政権交代を受けて昨年10月、「すべての政党に農家組合員の声を主張する」とした決議を採択、「全方位外交」に転換した。このため全国農政連は門伝、藤木両氏をそろって推薦することも視野に入れていたが、それぞれの地元にも反対が強く、見送ることにした。門伝氏は推薦なしでも立候補する方向だ。全国農政連の幹部は「政治情勢が混迷しており、自主投票にする。組織が分かれて戦うことも避けたい」と説明している。
 参院選選挙区での対応は全国農政連では決めず、都道府県農政連の判断に委ねる。
 農協グループは1971年の参院選全国区で、自民公認の桧垣徳太郎・元農林事務次官を組織を挙げて支援。それ以降、農水省幹部らと水面下で協議して全国区・比例区の候補者を選び、組織内候補として擁立してきた。得票が100万票を超えた時代もあったが、04年には日出英輔・元農水省局長が12万票で落選。07
年に全国農業協同組合中央会専務理事だった山田俊男氏を擁立し、45万票で当選させた。
 政権交代を受けて、自民党支持だった業界団体の離反が相次いでおり、日本歯科医師連盟や全国土地改良政治連盟は、自民党公認だった参院選比例区の組織内候補擁立を撤回。日本医師会の政治団体、日本医師連盟も自民党支持を撤回した。

10  朝日新聞(2009年10月17日付け)は、「学力調査、4割の学校抽出 予算21億円削減」と題して、次のような記事を掲載しました。
 文部科学省の政務三役は15日、小6、中3の全員を対象にしていた全国学力調査について、来年度から無作為抽出に改めることを正式に発表した。抽出率は全体の4割とし、来年度予算の概算要求額は今年度予算の57億円から21億円削って36億円とした。
 全国学力調査をめぐっては、かねて成績の公表の是非が問題になってきた。文科省は来年度以降の調査結果について、都道府県別の正答率は公表する一方、対象となった個別の市区町村や学級別の成績は公表しないとみられる。ただし、文科省が都道府県に管内のデータを提供した場合、都道府県に対して学級別の成績まで含めた情報公開を求める動きが出ることも予想される。
 学力調査に関しては、以下のような経緯があります。
 2004年11月4日、中山成彬文部科学大臣(当時)が経済財政諮問会議(第27回会議)に臨時議員として出席し、「子供のころから競い合い、お互いに切磋琢磨するといった意識を涵養する。また、一時はいろいろいわれたが、まさに大学全入の時代であるため、全国学力テストを実施する」と発言しました。
 2008年9月25日、全国学力・学習状況調査実施決定の際の文部科学大臣である中山成彬は、報道各社のインタビューに応えて、本調査の意義について、「日教組の強いところは学力が低いのではないかと思ったから」と述べ、その証明が完了した以上、調査の役割は終わったとも述べました。
 以上のことからも分かるように、学力調査は非常に政治的な背景をもって誕生し、その結果、政権交代で、大幅に修正を余儀なくされました。
 政治的に中立であるべき教育が政治の道具にされた悲劇を体験できたことになります。
 朝日新聞(2010年3月23日付け)は、「少人数学級やりくりの現実 財政難で 臨時教職員でカバー」と題して、次のような記事を掲載しました。
 公立学校の1学級の人数は法律で標準となる人数が定められており、この人数を上回ったら学級を増やさなければならない上限として機能している。この人数は1980年度に45人から40人に引き下げられて以来30年間変わっていなかったが、少人数学級の推進を掲げる民主党が政権につき、文科省は制度の再検討を始めている。少人数化が決まれば約30年ぶりの見直しとなる。

11  日米の核に関する密約については、各新聞社の社説などを紹介します。
 産経新聞以外は、政権交代の効用・効果を指摘しています。
 朝日新聞(2010年3月10日付け)は、「核密約 歴代首相ら黙認 外務省極秘メモ公開」と題して、次のような記事を掲載しました。
 岡田克也外相は9日、日米の密約に関する外務省調査結果と有識者委員会の検証報告書を公表した。併せて公開された機密文書から、政府が1968年に核兵器搭載の疑いのある米艦船の寄港・通過を黙認する立場を固め、その後の歴代首相や外相らも了承していたことが判明。寄港の可能性を知りながら、「事前協議がないので核搭載艦船の寄港はない」と虚偽の政府答弁を繰り返していた。非核三原則は佐藤栄作首相の67年の表明直後から空洞化していたことになる。見つからなかった重要文書も多く、有識者委は破棄の可能性など経緯調査の必要を指摘した。
12  朝日新聞(2010年3月10日付け)社説は、「日米密約報告―国民不在の外交にさらば」と題して、次のような記事を掲載しました。
 民主主義国の政府が、国家の根幹にかかわる外交・安全保障政策をめぐり、何十年にもわたって国民を欺き続ける。あってはならない歴史に、ようやく大きな区切りがついた。
 1960年の日米安保条約改定と72年の沖縄返還をめぐる四つの日米密約について、岡田克也外相が設けた有識者委員会の調査報告書が公表された。
 今回、検証された密約は、いずれも米国側の情報公開や関係者の証言で、かなり以前から「公然の秘密」となっていた。にもかかわらず、歴代の自民党政権はその存在を否定し、国会でウソの説明を繰り返してきた。
 壮大な虚構と、それを崩さないために演じられた悲喜劇に幕をおろすのを可能にしたのは、政権交代である。
13  読売新聞(2010年3月10日付け)社説は、「密約報告書 日米同盟強化へ検証を生かせ」と題して、次のような記事を掲載しました。
 日本外交に対する国民の信頼回復に不可欠な、「過去」の検証とけじめと言えよう。
 外務省は、少なくとも80年代末まで、歴代の首相や外相に密約内容を引き継いでいた。一方で、国民には「核の持ち込みはない」などと、誰もが疑問を抱くような虚偽の説明を平然と続けてきた。<BR>
 外交交渉に秘密が付き物としても、報告書の指摘通り、この対応には問題がある。もっと早く検証を実施し、政府見解を見直すべきだった。今回、ようやく実現したのは、政権交代の効用だろう。
14  毎日新聞(2010年3月10日付け)社説は、「日米密約検証 ウソのない外交で信頼を」と題して、次のような記事を掲載しました。
  核兵器を搭載した米軍艦船の一時寄港などについて、国民への説明でウソに頼った説明をし続けてきた歴代政権の責任は大きい。外交・安全保障政策は国の根幹にかかわる。今後は、民主国家にふさわしく、事実に即した説明によって国民の信頼を得ていかなければならない。密約検証は政権交代の効果であり、岡田外相の指導力を高く評価したい。
15  産経新聞(2010年3月10日付け)主張は、「『密約』報告書 非核三原則の見直し図れ 検証を同盟の未来に生かそう」と題して、次のような記事を掲載しました。
 日本の究極の安全がかかっている核の問題で、当時の為政者らがとった対応は、国民の反核感情の強さと核抑止の必要のつじつまを合わせる「政治の知恵」だったともいえよう。沖縄返還など他の事例も、結果として日米同盟の維持・強化が担保されたのは事実であり、国民の利益と安全も守られたとみるべきではないか。
 産経新聞(2010年3月10日付け)正論は、「日米に反感を広げた『密約』検証」と題して、拓殖大学学長・渡辺利夫氏の次のような記事を掲載しました。
 検証すれば当然出てくるはずの密約の数々を、いまの時点で洗い出そうとする現政権の真意は一体何か。委員会の報告書を受けて岡田氏は“これが日米安保体制の運用に影響を与えることはない。非核三原則を見直すこともない”旨を表明した。それでは再び何のための検証だったのか。米国の核戦略に対する日本人の不信感を強め、有事の際の核持ち込みを否定する論拠としてこの報告書が用いられはしまいかという米国の対日不信を増幅させただけである。日米双方にアンチフィーリング(反感情)を拡大するだけの効果しか残さなかったではないか。

16  次に、田母神俊雄前防衛省航空幕僚長の論文問題でも、新たな展開がありました。
 産経新聞(2009年11月11日付け)は、「田母神論文『組織的に一企業に協力』 防衛監察本部」と題して、次のような記事を掲載しました。
 田母神俊雄前航空幕僚長が歴史認識に関し政府見解に反する論文を公表し更迭された問題をめぐり、防衛省の防衛監察本部は11日、97人の航空自衛官が上層部から促されるなどして同じ民間懸賞論文に応募したことなどから「組織的に一民間企業に協力したとみられても仕方がない」とする監察結果を公表した。
 田母神氏が応募を指示した事実や、懸賞論文を主催したマンション・ホテル開発企業「アパグループ」側から空自への働きかけは確認できなかったとした。
 この問題では、航空幕僚監部教育課が各部隊に応募を促すファクスを送ったり、当時の人事教育部長名で周知徹底を求める書簡を送ったりしていた。監察本部はこうした点を「行政の中立性・公正性が損なわれるという観点から適切ではない」と判断。空自の歴史教育については「歴史観に踏み込む恐れがあり、教育内容や方法を慎重に検討するべきだ」と指摘した。
17  産経新聞(2010年3月5日付け)は、「田母神氏開設の『歴史・国家観講座』を廃止 防衛省統合幕僚学校」と題して、次のような記事を掲載しました。
 政府見解と異なる内容の論文を発表したとして事実上更迭された、前航空幕僚長、田母神(たもがみ)俊雄氏(61)が防衛省・統合幕僚学校(東京都目黒区)の校長時代に、幹部自衛官から大局に立つ国家観を備えてほしいと設けていた「歴史観・国家観」の講座について、同学校は4月から廃止することを正式に決め、関係者に通知した。
 関係者にはカリキュラム全体の見直しの一環と説明していたが、国会の批判を受け、省が見直しを表明していた。廃止が伝えられた講師からは「国防に就く自衛官にとって国家観や歴史観は不可欠」といった批判が聞かれる。
 「歴史観・国家観」の講座は陸海空自衛隊の1佐クラスの自衛官50人程度を対象にした幹部高級課程で、防衛法制や国際情勢、戦史などカリキュラム全体約200時間(半年間)のうち4科目13時間分を占めていた。田母神氏が校長時代に「幹部自衛官になるには大局観や国家観を備えてほしい」として導入。新しい歴史教科書をつくる会の福地惇(あつし)副会長や高森明勅(あきのり)理事、作家の井沢元彦氏らが講師を務めた。
 一昨年10月、懸賞で入選した論文の内容について「村山談話」に反すると問題視され航空幕僚長を事実上更迭された、いわゆる「田母神問題」の際に、同講座は国会で「内容が偏向している」「講師に問題がある」などと批判され、防衛省側が見直す方針を表明していた。
 今年度、カリキュラムの検討委員会が省内に設置され、「歴史観・国家観」を廃止、その時間を周辺国の情勢や法制に充てるとする結論が昨年末に示されていた。講座が新たに始まる4月前に正式に関係者に通知したものとみられる。
 統合幕僚学校では5日の卒業式をめぐり、歴代学校長の一人として田母神氏を招いていたが、直前になって一転して出席を「拒否」する出来事があった。廃止を伝えられた講師の一人は「健全な国家観は自衛官には不可欠で、こうした講座が無くなることが異常と考えている」と話している。

18  田母神問題も、色々な考えがあって、それを止揚して、より高度な知性に発展させるということは大切なことです。
 しかし、色々な考えが、バランスを欠いていては、導き出される結論は、バランスを欠いたものになります。
 戦争を体験した人の話を聞くと、「戦前の日本人は、『どこと戦っても負けない』という考えを持っていた」と異口同音に語ります。「アメリカ人は、ガムをかみ、コーラを飲み、エロ本ばかり読んでいるヘナチョコ兵ばかりで、負けるはずがない」と信じていたと言います。
 バランスを欠いた戦前の日本人と同じ教育をしてはいけません。バランスを欠いた講師が「こうした講座が無くなることが異常」と言ったとありますが、逆に、私は正常だと思います。
 正常・異常は、幅広く、色々な考えの中から選択されるものです。幅広く、色々な考えがないことは異常としか言え得ません。
 私は、田母神氏の考えもあっていい。井沢氏の考えもあっていい。他方、それに批判的な人も必要です。自由な言論こそ、日本人が誇るうる社会です。
 落語家の桂文珍師匠がある講演で次のように語っていました。
 サーカスの綱渡りの人は、長いバランス棒を持っている。右にも長いし、左にも同じように長い。これが短ければバランスをとれない。長ければ長いほど、バランスがとれる。人間の考えもサーカスのバランス棒の様でなければ、バランスを欠く。

 忠臣蔵に関していえば、私は大学時代より、史料の原典を解読してきました。私から見ると、井沢元彦氏の忠臣蔵論は、史料を恣意的に操作する作家だと思っています。井沢氏は、自分の説が正しいと主張するでしょう。当然です。そこで、史料に基づいて、幅広い人が討議することで、バランスのとれた忠臣蔵像が誕生するというのが私の持論です。

19  以上みて来たように、政権交代がないと、経済界の指導者には、寄らば大樹の陰で、研ぎ澄まされた感覚が育ちません。
 パソコンの世界でも同じで、競争のない、或いは、競争しない技術は「井の中の蛙的技術」です。自分のみならず、周囲をも不幸にします。指導者は、的確な方向性を打ち出さなければなりません。そのためには、いつも競争の中に身をおいて、方向性を磨くべきです。
 政権交代のない政治は、よりよい政治を選択できない国民にとって不幸なことです。

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