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争点D(真実相当性の有無)について(086P)
(1) 被控訴人らの主張
 前4(1)で子細に主張したように、控訴人梅澤が住民に対して「自決せよ」と
の命令を出したことを内容とする文献が多数存在しているところ、本件各書籍
中、座間味島における控訴人梅澤の自決命令に言及するものは「太平洋戦争」
である。
 「太平洋戦争」は、昭和61年に出版された「太平洋戦争 第二版」を平成
14年に文庫化したものである。
 そして、「太平洋戦争 第二版」が出版された昭和61年の時点において、
控訴人梅澤により自決命令が出されたとの事実は「歴史的事実」として承認さ
れており、文部科学省は、座間味島や渡嘉敷島などの集団自決が日本軍隊長の
自決命令によるものであることは、これまでの通説だったとし(乙95及び9
6)、軍の強制によるものであるとの教科書の記述の削除を求める検定意見も
事実上撤回しているのであって、控訴人梅澤による自決命令があったとの事実
が真実であると信ずるにつき相当の理由があったことは明らかである。
 また、前4(1)で主張したとおり、赤松大尉が住民に対して「自決せよ」との
命令を出したことを内容とする文献が多数存在しており、真実相当性について
は、控訴人梅澤による自決命令と同様である。

 昭和60年7月30日付けの神戸新聞に控訴人梅澤の自決命令を否定する記
事が掲載されたことによって、控訴人梅澤による自決命令の虚偽性が明らかに
なったとはいえず、また、「母の遺したもの」によって、その虚偽性が広く知
られるようになったともいえない。

 昭和48年5月の「ある神話の背景」の出版によって、赤松大尉の自決命令
を真実と信じる根拠が失われたということもない。
 昭和48年以降今日まで、赤松大尉の自決命令について記載した「鉄の暴
風」や「沖縄県史 第8巻」は訂正されていないし、昭和63年6月16日付
け朝日新聞(乙12)には、渡嘉敷村の富山兵事主任の供述が掲載されて赤松
大尉の自決命令が肯定され、平成2年3月31日に出版された「渡嘉敷村史」
(乙13)においても、赤松大尉による自決命令があったことが明記され、こ
れらの記載は現在まで訂正されていない。

(2) 控訴人らの主張(088P)
 「太平洋戦争」について
 控訴人梅澤が自決命令を出したとする梅澤命令説は、昭和60年7月30日
付けの神戸新聞(甲B9)に、初枝の「梅澤少佐らは、『最後まで生き残って
軍とともに戦おう』と、武器提供を断った」との供述が掲載された時点で、そ
の根拠は失われた。
 その後、昭和62年4月18日付け神戸新聞(甲B11)に宮村幸延の「証
言」(甲B8)とインタビュー記事が掲載されたことによって、梅澤命令説の
虚偽が明らかとなり、これを真実と誤信する相当性は完全に失われることとな
った。
 そして、平成12年、宮城証人の「母の遺したもの」(甲B5)が出版され、
これが平成13年第22回沖縄タイムス出版文化賞を受賞したことによって、梅澤
命令説が虚偽であることが広く知られるようになった。
 したがって、「太平洋戦争」については、出版された平成14年当初から不
法行為が成立する。

 「沖縄ノート」について(088P)
 赤松大尉が自決命令を出したとする赤松命令説は、その発端となった「鉄の
暴風」初版が出版された昭和25年当時から、不確かな風説と伝聞に基づいて
創作されたものであり、相当な根拠を欠くものであったが、昭和48年5月に
「ある神話の背景」(甲B18)が出版され、「鉄の暴風」の不確実性が明らかにされ、
「沖縄県史第10巻」(昭和49年発行 乙9)から隊長命令説が削除され
た段階で、赤松命令説を真実と誤信する根拠は完全に失われた。
 したがって、本件書籍については、出版された昭和45年当時から不法行為
を構成する違法有責な著作物であったとする余地があるが、 本件訴訟では、
「沖縄県史第10巻」が発行された昭和49年3月31日の後である昭和49年7月
降に出版された第5刷以後の頒布につき、不法行為責任が生じる。

争点E(公正な評論性の有無)について(089P)
(1)  控訴人らの主張
 沖縄ノートの各記述は、赤松大尉に対する過剰かつ執拗な人格非難をするもの
である。
 例えば、沖縄ノートの各記述には、「生き延びて本土にかえりわれわれのあい
だに埋没している、この事件の責任者はいまなお、沖縄にむけてなにひとつあが
なっていない」 「慶良間の集団自決の責任者も、そのような自己欺瞞と他者への
瞞着の試みを、たえずくりかえしてきたところであろう。人間としてそれをつぐな
うことは、あまりにも巨きい罪の巨塊のまえで、かれはなんとか正気で生き伸びた
いとねがう。」 「一九四五年を自己の内部に明瞭に喚起するのを望まなくなった
風潮のなかで、かれのペテンはしだいにひとり歩きをはじめただろう。」 「しか
もそこまで幻想が進むとき、かれは二十五年ぶりの屠殺者と生き残りの犠牲者の
再会に、甘い涙につつまれた和解すらありうるのではないかと、渡嘉敷島で実際
におこったことを具体的に記憶する者にとっては、およそ正視に耐えぬ歪んだ幻
想をまでもいだきえたであろう。」 「かれはじつのところ、イスラエル法廷にお
けるアイヒマンのように、沖縄法廷で裁かれてしかるべきであったであろう」と
の表現があるが、これは、曽野綾子が「人間の立場を超えたりンチ」と評するよ
うに、人身攻撃に及ぶもので、適正な言論として保護されるべき公正な論評の域
を完全に逸脱するものである。

(2)  被控訴人らの主張(089P)
 沖縄ノートの各記述には、前1で主張したとおり、いずれも赤松大尉を特定す
る記載はなく、赤松大尉に対する人身攻撃たり得ない。
 本件記述(2)は、集団自決に表れている沖縄の民衆の死を抵当にあがなわれる本
土の日本人の生という命題が、核戦賂体制の下での今日の沖縄に生き続けており、
集団自決の責任者の行動が、いま本土の日本人がそのまま反復していることであ
るから、咎めは我々自身に向かってくると問いかけるものであり、集団自決の責
任者個人を非難しているものではない。
 本件記述(4)は、「おりがきたら、一度渡嘉敷島に渡りたい」と語っていた集団
自決の責任者の内面を著者の想像力によって描き出すとともに、これは日本人全
体の意識構造にほかならないのではないかと論評したものである。
 本件記述(5)は、アイヒマンが「或る昂揚感」とともにドイツ青年の間にある罪
責感を取り除くために応分の義務を果たしたいと語ったように、渡嘉敷島の旧守
備隊長が、日本青年の心から罪責感の重荷を取り除くのに応分の義務を果たした
いと語る光景を想像し、しかし実は日本青年が心に罪責の重荷を背負っていない
ことについてにがい思いを抱くと述べ、日本青年一般のあり様について論評した
ものである。本件記述(5)は、ドイツ青年と日本青年の罪責感を対比することが主
眼であって、控訴人らが主張するように、赤松大尉を、「『屠殺者』やホロコー
ストの責任者として処刑された『アイヒマン』になぞらえられるような悪の権
化」であると人格非難するものではない。

争点F(控訴人赤松につき、敬愛追慕の情の侵害があったか)について(090P)
(1) 控訴人らの主張
(ア)  一般的に死者の名誉が毀損されれば、それにより遺族は死者に対する敬愛
追慕の情という人格的利益を違法に侵害され、不法行為が成立すると解すべ
きである。(中略)
 本件においては、被控訴人らによって死者赤松大尉の名誉が毀損されたこ
とにより、控訴人赤松は、赤松大尉に対する敬愛追慕の情という人格的利益
を違法に侵害されたものであり、不法行為が成立する。そして、不法行為の
成立を否定する被控訴人らが、事実の公共性、目的の公益性及び事実の真実
性又は事実を真実と信じるについての相当の理由の立証責任を負うのである。

(イ)  (以下要約)死者に対する名誉毀損行為が遺族に対する不法行為として一般私
法上の救済の対象となり得ることは、大阪地裁堺支部昭和58年3月23日判決、
東京地裁昭和58年5月26日判決、大阪地裁平成元年12月27日判決などにお
いて認められ、敬愛追慕の情の侵害に関するものであるからといって、生者に対
する名誉毀損の場合と此べて、要件を厳格にしたりする判断はなされていない。

(ウ)  (以下要約)東京地裁平成17年8月23日判決及び東京高裁平成18年5月24
日判決の基準(以下「百人斬り訴訟判決基準」という。)は、真実を蔑ろにする基
準であり不当であるし、東京高裁昭和54年3月14日判決を代表とする「虚偽」で
足りるとした裁判例を改悪した基準であり、「虚偽の」歴史的事実の表現の自由を
認めることになる。また、刑法上死者に対する名誉毀損罪の構成要件が「虚偽の
事実を摘示」することとされていることとも齟齬する。

(エ)  (以下要約)被控訴人らは、百人斬り訴訟判決と前記東京高裁昭和54年3月1
4日判決を挙げて、歴史的事実であることに基づく要件の厳格化を主張するが、
沖縄ノートは、赤松大尉の生前に出版されたものであり、その時点では、摘示され
た事実は「歴史的事実に移行した」ものではなく、「歴史的事実探求の自由、表現
の自由への配慮が優位に立つ」という価値判断が働く余地は全くない。

 控訴人赤松は、13歳年上の兄で、優秀な軍人であり、親代わりとして家族
の長のような存在であった赤松大尉を、幼き頃から強く尊敬していたところ、
沖縄ノートの各記述は、控訴人赤松が赤松大尉に対して抱いていた人間らしい
敬愛追慕の情を内容とする人格的利益を回復不可能なまでに侵害した。

(2) 被控訴人らの主張(091P)
(ア)  控訴人赤松は、死者の名誉が毀損された場合に、遺族の死者に対する敬愛
追慕の情という人格的利益を違法に侵害する不法行為が成立する場合がある
と主張するが、死者に対する敬愛追慕の情といった主観的感惰を害したから
といって、それだけで違法性を有し不法行為を構成するとはいえない。

(イ)  (以下要約)死者に対する敬愛追慕の情を侵害する不法行為の成立は、当該
事実摘示が、死者の名誉を毀損するものであり、摘示した事実が虚偽であって、
かつその事実が極めて重大で、遺族の死者に対する敬愛追慕の情を受忍し難い
程度に害したといえる場合に限られる。また、死者に関する事実は、時の経過とと
もに歴史的事案となるもので、その場合、歴史的事案探求の自由やこれについて
の表現の自由が重視されるべきであるから、虚偽性の要件については、一見明
白に虚偽であること又は全く虚偽であることを要する。

(ウ)  (以下要約)前記東京高裁昭和54年3月14日判決、東京地裁平成17年8月2
3日判決、この控訴審判決である前記東京高裁平成18年5月24日判決も、以上
の趣旨を判示している。

(エ)  本件においては、沖縄ノートの出版時点で、すでに自決命令から20年以
上経過しており、提訴時には60年経過している。したがって、赤松大尉に
よる自決命令は歴史的事実となっている。

(ア)  (以下要約)控訴人らは、大阪地裁等の判決を挙げて、虚偽性の面で立証責任
の転換や要件の厳格化はない旨主張する。しかし、これらの判決も本件とは事案
を異にするか、虚偽事実の摘示を要件としており、真実性の立証責任の転換に言
及するものではない。

(イ)  (以下要約)ある事実が歴史的事案となるか否かは、表現行為が表現の対象
者の生前になされたかどうかではなく、当該事実が発生してから事実摘示までの
期間が重要である。

争点G(損害の回復方法及び損害額)について(092P)
(1) 控訴人らの主張
(ア)  本件各書籍は、控訴人梅澤の社会的評価を著しく低下させ、その名誉を甚
だしく毀損し、もって控訴人梅澤の人格権を侵害し、筆舌に尽くし難い精神
的苦痛を与えた。
 「沖縄ノート」は、赤松大尉の社会的評価を著しく低下させ、その名誉を
甚だしく毀損してその人格権を侵害した上、控訴人赤松が実兄である赤松大
尉に対して抱いていた人間らしい敬愛追慕の情を内容とする人格的利益を回
復不能なまでに侵害した。
 そして、文部科学省が教科書検定意見で軍の命令や強制を認めない立場を堅
持することが示され、梅澤命令説及び赤松命令説に真実性が認められないとした
原判決が言い渡された後も、被控訴人岩波書店は「太平洋戦争」の、被控訴人ら
は「沖縄ノート」の、各出版、販売を継続し、特に「沖縄ノート」については平成20
年4月24日に第58刷、同年5月7日には第59刷と増刷を重ねており、さらに控
訴人らの人格権や人格的利益を侵害して、控訴人らに対し精神的苦痛を与えた。

(イ)  控訴人らの名誉回復と精神的苦痛を慰謝するためには、被控訴人岩波書店
は、本件各記述に対して訂正、謝罪広告を掲載し、控訴人らに慰謝料の支払
いをする必要があり、被控訴人大江は、沖縄ノートの各記述に対して訂正、
謝罪広告を掲載し、控訴人らに慰謝料の支払いをする必要がある。

(ウ)  被控訴人岩波書店が 控訴人梅澤に 支払うべき慰謝料は2000万円(本件各
書籍の原審口頭弁論集結時までの発行分1000万円、原判決言渡後の発行分1
000万円)、控訴人赤松に支払うべき慰謝料は1000万円(「沖縄ノート」の原審
口頭弁論集結時までの発行分500万円、原判決言渡後の発行分500万円)、被
控訴人大江が支払うべき慰謝料は、各控訴人に対してそれぞれ1000万円(「沖
縄ノート」の原審口頭弁論集結時までの発行分500万円、原判決言渡後の発行
分500万円)である。

 また、前記アのとおりであるから、人格権に基づく本件各書籍の出版、販売、
頒布の差止めがなされる必要がある。

(2) 被控訴人らの主張(093P)
否認し、争う。

 名誉毀損を理由として出版を差し止めることは原則として許されず、特に公
共の利害に関する事項については、表現内容が真実でないことが明白であるか、
または専ら公益を図る目的のものでないことが明白であって、かつ、被害者が
重大にして著しく回復困難な損害を被るおそれがある場合に限り、例外的に認
められるものである(最高裁昭和61年6月11日大法廷判決・民集40巻4
号872頁)。また、同判決は、名誉は生命、身体とともに極めて重大な保護
法益であり、人格権としての名誉権は物権の場合と同様に排他性を有する権利
であるという理由により、人格権としての名誉権に基づき例外的に侵害行為の
差止めを求めることができるとしているのであるから、死者に対する敬愛追慕
の情を侵害することを理由に出版を差し止めることはできないと解される。死
者に対する敬愛追慕の情の侵害は、排他性を有する名誉権を侵害するものでは
なく、単なる不法行為にすぎず、差止請求の根拠とはなり得ない。(以上原判
決3頁3行目〜95頁8行目)』

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