作家佐多稲子さんと
我が家の関係?
左が佐多稲子さん 右が作者の妻と娘 (20年前の相生での写真) |
佐多稲子さんの実父が下宿 していた米田長次さん (長次さんの娘が作者の妻) |
■牡丹のある家 「店先に夏蜜柑、ラムネ、駄菓子などを並べている土間の
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この小説は佐多稲子さんが娘時代に見た相生駅前の状 況を描いたものです。 牡丹は長次さんの庭にありました。佐多稲子さんが東京か ら相生の父親を訪ねてきた時によく見ていたといいます。 |
1917年−父田島正文、相生の播磨造船所に就職する 1918年−田島文子(14歳) 、初めて相生の父を訪ねる 1921年−文子、再び相生の父を訪ねる 1923年−文子、三度目の相生を訪ねる (米田長次さんに献本した署名には 「一九七二年秋 五十年ぶりの再会に」 とあるから、これが父の下宿先を訪問した最後 となる) |