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(写真提供:東京有賀泰三さん) |
松平邸屋敷跡(S) |
浅野内匠頭が切腹した場所で、一ノ関(岩手県)
藩の田村家の上屋敷。
内匠頭切腹の場所には、現在、田村銀杏稲荷
大明神が建てられている。 |
赤穂浪士のお預け先・伊予(愛媛県)藩の松山十五万石・松平隠岐守の上屋敷があります。
久松松平家とも言う。
事件当時の藩主は、松平定直です。
現在は、内匠頭切腹碑の左向い側ビルとなっている。現在は、イタリア大使館になっています。 |
田村右京太夫上屋敷跡 |
松平隠岐守上屋敷跡 |
港区新橋4−2 |
港区西新橋3−7 |
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大石内蔵助は、浅野家の再興のために、赤穂・遠林寺の祐海を江戸派遣しました。
その時、祐海が宿泊した場所が鏡照院でした。
鏡照院は、元禄事件当時、愛宕山の女坂登り口にありましたが、現在は、西新橋3丁目に移転しています。 |
荒木十左衛門は、赤穂城開城の時の幕府の受け取り目付で、1500石の旗本です。
荒木十左衛門は、大石内蔵助の3度にわたる嘆願を受けて、浅野家再興に尽力すると公約しました。
荒木十左衛門は、細川邸に大石内蔵助らの切腹を伝えたことでも有名です。この時、吉良上野介の継嗣・左兵衛の信州・諏訪藩お預けを伝えたとも言われています。
事件当時、荒木十左衛門邸は、芝愛宕下にありました。 |
鏡照院 |
荒木十左衛門邸跡 |
港区西新橋3−3 |
港区西新橋1−21 |
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浅野・広島本家の祈願所です。
浅野長政は、徳川家康から愛宕下の土地を与えられ、薬師瑠璃光如来の胎内には、薬師仏の像を納めたと言われています。そのため、愛宕薬師の名で親しまれています。
大石内蔵助は、本寺の第7世性遍を通じ、浅野家再興を図ったとも言われています。 |
赤井平右衛門は、1000石の旗本です。
赤井平右衛門は、目付の久留十左衛門とともに、水野邸に間十次郎らの切腹を伝えました。 |
真福寺(真尼珠山) |
赤井平右衛門屋敷跡 |
港区愛宕1−3−8 |
港区虎ノ門1−23 |
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