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港区(2)

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仙石邸の足洗い井戸(F)
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 吉田忠左衛門と冨森助右衛門が自訴した大目付の屋敷跡があります。
 現在は、第15森ビルと虎ノ門電気ビルになっています。
 隣の日本消防会館入り口には、「赤穂義士足洗の井戸」のモニュメントが作られています。
 赤穂・浅野家が断絶した後、永井伊賀守が藩主となりました。森和泉守が藩主となり、幕末まで続きました。
 その赤穂・森家の上屋敷跡があります。
 現在は、松下流通研究所があります。
仙石伯耆守邸跡 赤穂森家上屋敷跡
港区虎ノ門2−8 港区浜松町1
 赤穂・浅野家が断絶した後、赤埴源蔵や矢田五郎右衛門らは、桧物屋惣兵衛の借店に潜伏しました。
 この辺りは久右衛門町ともいわれていました。
 大門交差点の辺りにあったといわれます。
 観智院は、増上寺に勅使が参拝する途中の休息所です。
 メルパルクTOKYOの北側にあります。
赤埴源蔵等潜伏地跡 観智院
港区浜松町1−27周辺 港区芝公園2−2−13
 瑠璃光寺は、芝青松寺の末寺にあたります。
 赤穂・森家菩提寺です。
 延宝8(1680)年、浅野内匠頭の叔父・内藤忠勝は、増上寺本坊で、永井尚長を刺殺しました。
 内藤忠勝は、この青龍寺で、切腹しました。
 現在は、正則高校の真正面にあります。
瑠璃光寺跡 青龍寺
港区東麻布1−1−3 港区芝公園3−22

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