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港区(5)

 初代赤穂・浅野の藩祖である浅野長直が笠間藩主の頃の屋敷跡があります。
 赤坂を領していた南部家と浅野家が下屋敷交換となり、刃傷事件当時、浅野家はの赤坂下屋敷へ移っていました。
 現在、有栖川宮記念公園になっています。
 赤穂城収城使・中足守城主木下肥後守公定2万3000石の上屋敷跡があります。
 浅野長恒の妻は、木下肥後守公定の娘です。浅野長恒は、父は大石頼母良重(大石内蔵助良雄の大叔父)で、母は赤穂藩主浅野長直の娘です。
 上屋敷前の道は木下坂と命名されています。
笠間浅野家下屋敷跡 木下肥後守公定上屋敷跡
港区南麻布5−7 港区南麻布5−7
 荒木十左衛門は、赤穂城開城の時の幕府の受け取り目付で、1500石の旗本です。
 荒木十左衛門は、大石内蔵助の3度にわたる嘆願を受けて、浅野家再興に尽力すると公約しました。
 荒木十左衛門は、細川邸に大石内蔵助らの切腹を伝えたことでも有名です。この時、吉良上野介の継嗣・左兵衛の信州・諏訪藩お預けを伝えたとも言われています。
現在、ニュー山王ホテルになっています。
 三次・浅野家2代長照の室、長照の娘万代姫、3代長澄の室の墓があります。
 乃木希典の墓もあります。
 ルーズベルト大統領から逆に忠臣蔵の本を示さ
れた小村寿太郎の墓もあります。
 福本日南の墓もあります。
 霊園事務所で受け付け、地図を案内にしてお参りします。
荒木十左衛門上屋敷跡 青山霊園
港区南麻布4−12 港区南青山2−32−2
夏の大石内蔵助らの切腹場所
秋の大石内蔵助らの切腹場所(写真提供:東京有賀泰造さん)
内蔵助らの切腹の庭を見下ろす大シイの木がある
 赤穂浪士17人が預けられた熊本藩主細川綱利屋敷跡です。
 現在、高松中学校内にあります。
細川邸下屋敷跡
港区高輪1−16

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