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港区(4)

南部坂雪の別れ(TV映画より)
 刃傷事件当時、南部坂の周辺に赤穂・浅野家の赤坂下屋敷、三次浅野家下屋敷がありました。
 討ち入りを決意した大石内蔵助が南部坂の遙泉院を訪ねたという「南部坂雪の別れ」は有名ですが、フィクションです。
 現在、南部坂下に南部坂の碑がありまする。地元の人から、「久国神社が目安です」と教えられました。
 旧泉岳寺があった所です。
 徳川家康は、今川義元の菩提を弔うため、霊南坂に泉岳寺を建立しました。
 寛永18(1641)年、大火で類焼し、現在の芝高輪に移転しました。
 現在の正福寺の近くにありました。
南部坂 霊南坂(旧泉岳寺)
港区赤坂2−22周辺 港区赤坂1
毛利邸跡(写真提供:東京有賀泰造さん)
 討ち入り後、吉良左兵衛は、この上杉家中屋敷に引き取られました。
 元禄16(1703)年2月4日、左兵衛は、この中屋敷から評定所へ呼び出され、信州・高島藩の諏訪安芸守に引き渡されました。
 現在、JP麻布郵便局となっています。
 岡島八十右衛門らが切腹した毛利甲斐守下屋敷跡があります。
 毛利元就のひ孫・長府藩祖の毛利甲斐守秀元が1万7317石を与えられた土地です。
 毛利下屋敷は、ニッカウヰスキーからテレビ朝日、現在は六本木ヒルズと持ち主が変化しています。
 毛利下屋敷の池の畔には、赤穂義士切腹の碑がありましたが、現在は取り払われています。
上杉家中屋敷跡 毛利甲斐守下屋敷跡
港区麻布台1−6 港区六本木6−9
 乃木希典は、長府毛利家・上屋敷の御長屋で生まれました。
 毛利家の菩提寺は泉岳寺という関係で、毎月、泉岳寺墓参し、その帰りに、赤穂義士の墓にもお参りしたと言います。
 乃木希典は、浅野内匠頭に対しては「なぜ、あの時突かなかったのか」と言ったといいます。
 刃傷事件当時の高家の一人で、従四位侍従、市兵衛町に2608坪の松寿院上屋敷があります。
 現在、六本木通りと外苑西通りとの交差点に面し、交通安全センターなどが建っています。
乃木希典生誕地跡 畠山民部太輔屋敷跡
港区六本木6−9 港区西麻布3−24

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