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中央区(3)

 
(写真提供:東京尾形信也さん)
 粟崎道有は吉良上野介を治療した御典医です。 北八丁堀三丁目長沢町に住んでいました。現在の三和会中央病院と新大橋通りの中間位置に当たります。屋敷跡はありません。  現在、亀島橋の北畔に大きな碑が建っています。
 堀部安兵衛武庸が浪人時代に生活していたといわれる所に八丁堀町会有志が建立しました。
粟崎道有屋敷跡 堀部安兵衛武庸之碑
中央区八丁堀3−21 中央区新川2−1
    
 亀島川にかかっている橋です。
 赤穂浪士が引き上げの時に渡った橋です。その時の橋は、現在地よりもう少し大川よりに架けられた橋だったそうです。
 現在の橋は、鉄製ホイルトラス橋です。
 八丁堀川(現在の桜川)にかかっている橋です。
 赤穂浪士が引き上げの時に渡った橋です。
 現在は二基の橋柱のみが残されています。
高橋 稲荷橋跡
中央区八丁堀3−28 中央区八丁堀4−12
   
 赤穂浪士が引き上げの時に見たであろう神社です。当時は河岸の湊一丁目の八番〜九番にありました。
 幕末、河岸より現在地に移転しました。
 
鉄砲洲稲荷神社  
中央区湊1−6−7  
 

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