浅野内匠頭が生まれた屋敷です。
屋敷は、東西127メートル、南北228メートルで、9000坪ありました。
1657(明暦3)年、外桜田より現在地に移転しました。当時、上屋敷の正門前は築地川が流れていたそうです。
赤穂浪士は、この上屋敷を見て、泉岳寺へ引き上げています。 |
豊前中津藩奥平10万石の下屋敷がありました。
赤穂浪士が引き上げの時、奥平家の家臣である桜井惣右衛門より尋問を受けた場所です。
前野良沢・杉田玄白が「ターヘルアナトミア」を翻訳して「解体新書」して発行した屋敷とも言われています。そんな関係で、解体新書と慶應義塾発祥の石碑があります。 |