home next next

中央区(4)

 
(写真提供:東京有賀泰三さん)
 浅野内匠頭が生まれた屋敷です。
 屋敷は、東西127メートル、南北228メートルで、9000坪ありました。
 1657(明暦3)年、外桜田より現在地に移転しました。当時、上屋敷の正門前は築地川が流れていたそうです。
 赤穂浪士は、この上屋敷を見て、泉岳寺へ引き上げています。
 豊前中津藩奥平10万石の下屋敷がありました。
 赤穂浪士が引き上げの時、奥平家の家臣である桜井惣右衛門より尋問を受けた場所です。
 前野良沢・杉田玄白が「ターヘルアナトミア」を翻訳して「解体新書」して発行した屋敷とも言われています。そんな関係で、解体新書と慶應義塾発祥の石碑があります。
浅野内匠頭上屋敷跡 奥平大膳太夫下屋敷跡
中央区明石町10−1 中央区明石町9
    
 赤穂浪士の遺児・間瀬定八ら4人が大島へ流罪となった時、船出した場所です。  
船手奉行所跡  
中央区新川2−30  
 

home next next