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浜御殿は、浜離宮恩賜庭園特別名勝特別史跡に指定されています。
1654(承応3)年、4代将軍・徳川家綱の弟・甲府宰相松平綱重は、海を埋めて別荘を建立しました。これが甲府濱屋敷です。庭園面積は7万5800坪という膨大な広さを誇ります。
その後、綱重の子綱豊(6代将軍家宣)の時、今の
濱御殿と改称されました。
家宣が将軍となると、特赦によって、赤穂浪士の遺児は赦免されました。
真山青果は『元禄忠臣蔵 御濱御殿豊綱卿』で、ここを舞台に豊綱(家宣)と冨森助右衛門との仇討ちの心構えを描いています。 |
赤穂城受取をした龍野藩5万3000石・脇坂淡路守の上屋敷です。敷地は8255坪あります。
現在は、パナソニック電工があります。
赤穂浪士は、引き上げに際し、この脇坂淡路守上屋敷前を通って泉岳寺に進んでいます。 |
浜御殿 |
脇坂淡路守上屋敷跡 |
中央区浜離宮庭園1−1 |
中央区東新橋1 |
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陸奥仙台藩62万石・松平陸奥守綱村の上屋敷です。敷地は2万5819坪あります。
現在は、日本テレビがあります。
日本テレビの北玄関前の案内板には、仙台藩上屋敷表門跡(冠木門)とあり、義士に粥をふるまったことも記されています。
赤穂浪士は、引き上げに際し、上屋敷前で辻番に呼び止められます。この時、伊達家の家臣である大堀庄助亮隆が義士の行為に感激して、礼を尽くし通
過させたという話が残っています。 |
磯貝十郎左衛門らの住居があった所です。
源助町とは芝口3丁目と露月町との間にある町名です。
磯貝十郎左衛門が借主で、茅野和助と村松三太夫が同居していました。 |
松平陸奥守上屋敷跡 |
源助町跡 |
中央区東新橋1 |
中央区東新橋1・2 |
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宇田川橋は、柴井町と神明町との間にあった橋です。
吉田忠左衛門と冨森助衛門は、この辺から皆と別れて、仙石伯者守久尚邸へ自訴のために、出向きました。
大石内蔵助ら本隊は、汐留橋を渡って旧東海道へ出て、宇田川へ突き当たり、そこを右折して、宇田川橋を渡り、泉岳寺へ向かいました。 |
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宇田川橋跡 |
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中央区浜松町1 |
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