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中央区(5)

   
 
(写真提供:東京有賀泰三さん)  
 浅野内匠頭の弟で養子である浅野大学長広の屋敷跡です。
 現在の歌舞伎座の後ろ半分が大学の屋敷です。
 刃傷事件の1701(元禄14)年3月から広島本家お預けの1702(元禄15)年7月まで、この屋敷で大学は閉門になっていました。
 刃傷事件当時の大目付・庄田下総守の屋敷跡です。
 現在は松竹スクエアとなっています。
 浅野内匠頭の庭前切腹を命じた大検使です。切腹問題で、1701(元禄14)年3月19日にはお役御免、8月21日には廃職となりました。
浅野大学邸跡 庄田下総守邸跡
中央区銀座4−12−15 中央区築地1−13−5
    
 院使饗応役・伊達左京亮の屋敷跡です。
 現在の中央区役所が屋敷です。
 赤穂浪士・村松喜兵衛とその家族が住んでいた借店です。
 現在の築地本願寺の真裏が借店跡です。
 当時は、築地小田原町二丁目といい、大家は大屋四郎兵衛でした。
伊達左京亮邸跡 村松喜兵衛家借店跡
中央区築地1−2 中央区築地6−4
 
   
(写真提供:東京有賀泰三さん)
 間新六の墓があります。
 姉の夫である中堂又助が毛利邸に間新六の遺骸引取りに行き、その後、中堂又助の菩提寺である本願寺に埋葬しました。幕末に、間新六を改葬した時に、供養塔を建立しました。供養塔は現在も残っています。
 引き上げの時、新六が境内に投げ入れたという遺品の「新六の赤槍」があります。
 本願寺築地別院は、浄土真宗本願寺派に属し、境内の広さは6100坪、本堂は2000坪です。 
 1923(大正12)年に関東大震災で炎上し、1935(昭和10)年にインド風の本堂が完成しました。
本願寺築地別院
中央区築地3−15−1 
  

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