吉良上野介と清水一学の墓があります。
1625(寛永2)年、吉良義定の夫人を葬ってから吉良家との関係が生まれました。
そのような関係で、上野介の遺骸もここに葬られました。
上野介の祖父義弥(15代)、曾祖父義定(14代)、父義冬(16代)、義央(17代)の墓があります。
上野介の治療をした栗崎道有の墓もあります。
大岡越前守の菩提寺です。
永井信濃守、歌川豊国、水野十郎左衛門の墓もあります。
昭和23(1948)年、万昌院と功運寺が合併しました |
梶川与惣兵衛の墓があります。
与惣兵衛は、浅野内匠頭が松の大廊下で吉良上野介に斬りつけたとき、後からだきとめた人物です。
その功で500石を加増されましたが、その後、世間から白眼視され、現在は無縁塚になっているそうです。
明治40(1907)年、神楽坂の赤城神社の隣から現在地に移転しました。 |